たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

インバウンド増加 <「共謀罪」採決強行 治安・人権、折り合わず>を読んで

2017-05-20 | 海外との交流と安全の道筋

170520 インバウンド増加 <「共謀罪」採決強行 治安・人権、折り合わず>を読んで

 

今朝も暗闇の中で脳細胞のどこかで何かが動きでしました。いま毎日朝刊で連載中の浅田次郎著『おもかげ』では、退職祝いで帰宅途中に電車の中で倒れて意識不明となった高齢者が主人公です。ICUのベッドの中で死の淵に佇んでいる状況で、その霊魂らしき主人公が初めて出会う人とさまざまな経験をしつつ、彼の昔からの同僚、竹馬の友、親族などなどのさまざまな思いや行動が静かに展開しています。私の暗闇の中での意識は、勝手に自由な動きをします。この心の動きというのでしょうか、これは誰にも留めることが出来ないですね。

 

浅田氏は、この『おもかげ』で高齢者となり、死の淵にある人の中にある、意識に現れてこなかったこれまでの体験を踏まえ通、隠された潜在的な何かを引き出してくれるのでしょうか。人はある種、合目的に行動するとも想定されますが、実際は、多様な意図が一人の人間の中にあり、あるいは、視野の中に入っても意識的に(あるいは無意識に)認識回路にも記憶回路にも入れてこない何かがあるのが普通ではないでしょうか。そのようなものにどのような意味があるか、分かりませんが、重大な意義をもつものもあるかもしれません。いずれにしてもまだ連載はスタートした序の舞でしょう。今後の展開を期待したいです。

 

さて毎日のように報道され、ついに<クローズアップ2017「共謀罪」採決強行 治安・人権、折り合わず>の見出しで、<「共謀罪」の成立要件を改めた「テロ等準備罪」を新設する組織犯罪処罰法改正案は19日、衆院法務委員会で可決され、成立に向けて大きく動いた。>と報じられました。

 

この法案の当否については、毎日を含めマスコミ、報道番組でも主要な争点について議論を繰り返していますが、どうも議論がかみ合わない印象もあります。毎日記事を見ていても、あまりしっくりきません。

 

私としては、日弁連の<日弁連は共謀罪に反対します>で整理された議論がわかりやすいのではと思っています。少し古いですが、<共謀罪の創設に反対する意見書>が整理されているように思います。また、一つの論点である「組織的な犯罪の共謀罪」の創設が条約上の義務であるかどうかについて、<法務省ホームページに掲載されている文書について>をとりあげ、それに対し、日弁連意見が的確に反論している部分は参考となると思うのです。

 

ここではこの法律論を取り上げるつもりはありません。日弁連の意見を全面的に賛成するというわけではありませんが、基本的には賛同します。

 

ただ、政府与党が3度目の正直を狙って、「テロ等準備罪」と看板を変え、適用対象を「テロリズム集団その他の組織的犯罪集団」ととして、まるでテロ組織対策法案であるかのように「レッテル貼り」をしているようにも見える点については、日弁連意見ではあえて言及するほどもないと思ったのか、あるいは私が見落としているのか、見当たりませんでした。

 

それでこのテロ組織の点に絞って、別の観点から少し触れてみたいと思います。

 

毎日の43日付け記事<法案、国会審議入り くすぶる乱用懸念 過去3度も廃案-改正案を検証>では、政府が<2020年の東京五輪・パラリンピックに向けたテロ対策の一つと主張する>とか、<安倍晋三首相は先月27日の参院予算委員会で、国際社会では政治的立場の違いによってテロリズムの定義は困難とし「条約には結果としてテロに直接言及する規定は設けられなかった」と説明。一方で、国際テロ組織「アルカイダ」や過激派組織「イスラム国」(IS)が近年、さまざまな犯罪行為の収益を資金源にし、テロ行為に及んでいる状況を挙げて、組織犯罪とテロの結びつきを強調した。>とか、指摘されています。

 

しかし、この安倍首相の説明は詭弁とはいいませんが、苦しい内容ではないでしょうか。だいたい、テロ組織がわが国において活動する可能性はどの程度あるのでしょう。彼らも組織目的に存在意義があるわけで、欧米はもちろん、中ソがテロ攻撃にさらされるのは宗教的理由や異民族(移民)に対し、軍事的制圧を行ったり、不当な弾圧を行ったり、それらの国々の不公正な強権的な対応が問題にされているのではないでしょうか。むろんそれだけで説明できるとは思いませんが、基本的な問題はそこにあると思うのです。

 

ではわが国はそういう国々と同様の立場をとってきたでしょうか。移民の受け入れに消極的ではあっても、特別に不公正な対応をしてきたとはいえないでしょう。むろん、これまでに70年代は三菱重工爆破事件や海外でも赤軍派のテロ事件が発生し、90年代にはオウム真理教によるサリン事件まで勃発しました。その背景事情は異なるものの、わが国でもまったくテロ事件が起こらないという安全宣言はできないでしょう。

 

しかし、少なくとも2000年代に各地で発生しているような悲惨なテロ事件がわが国で発生するような兆候は考えにくいのではと思うのは、甘い考えでしょうか。わが国の武力行使を伴わない平和外交の蓄積、外国人に対する公正な姿勢などが、宗教や民族の違いを超えて徹底してきたので、紛争地域を除けば、外国を訪問しても好意的な対応をされるのではないでしょうか。

 

2020年の東京オリンピック・パラリンピックで大勢の外国人が訪れることにより、危険な分子も入国してテロのおそれが高まる危険があるのでしょうか。わずかな期間にすぎず、それに応じて警戒態勢をすでに準備しているわけで、この法案が有効に機能するとは思えません。

 

で、偶然、毎日朝刊4面で「訪日外国人 1000万人超え」という囲み記事があり、ちょっとした思いつきですが、これに関連してこの問題に少し迫ってみたいと思います。ただし毎日ウェブ情報では見つからなかったので、時事通信社配信記事<訪日客、1000万人突破=過去最速、アジア中心に増加>を下に言及してみようかと思います。

 

同記事によると、<観光庁の田村明比古長官は19日の記者会見で、今年の訪日外国人数が今月13日に1000万人を超えたことを明らかにした。航空各社の国際線拡充や大型クルーズ船の寄港数増加もあり、アジアなどからの訪日客数が拡大。1000万人の大台乗せは、昨年(6月5日)より20日以上早い過去最速のペースとなった。

 政府は東京五輪・パラリンピックが開かれる2020年に、訪日客を4000万人まで増やす目標を掲げており、田村長官は「道半ばだが堅調に推移している」と述べた。>とのこと。

 

「捕らぬ狸の皮算用」なのかはなんともいえませんが、それくらいインバウンドの増大傾向が見込めるのでしょうね。その理由はいろいろ挙げられると思いますが、一つはテロのない安全な環境ではないでしょうか。むろん置き引きとか窃盗とかも少ない、基本的に安全な社会が外国人旅行者としては大きな魅力の一つではないでしょうか。

 

むろんその安全性は、維新時のわが国に来訪した異邦人が感じたよりは、残念ながら悪化していると思いますが、それでも一人旅でも、夜歩いていても心配ない環境は素晴らしいものでしょう。

 

いまヨーロッパではどこでテロが発生するか分からないほど不安な状況になっていますし、それを回避するために厳重な警戒網が敷かれていると思います。街に中に機関銃などを持って重装備の人たちが目についたらどうでしょう。楽しい旅行気分にはなれないですね。そのような武力による封じ込め策でしか安全性が保てないとすれば、いくら魅力のある施設や観光名所があっても楽しむ気分にはなれないのではないでしょうか。

 

アメリカでも同じでしょう。ここでは銃乱射事件は何度となく繰り返されています。公共の場ではいつでも銃を抜けるように警察官が見回っているのではないでしょうか。

 

それに比べてわが国は、警察官が銃をぬくのを見た人はほとんどいないでしょう。むろん重装備の警察官が見回る姿もほとんど見かけないでしょう。それでもとっても安全な環境が保たれているのではないかと思うのです。

 

そうなれば、これまでは近隣の中国、韓国、台湾や東南アジアの人々がインバウンドの中心でしたが、西欧や豪州の人々も、より足を向けるには最適の場所になるのではと思っています。

 

観光庁の<訪日外国人旅行者数の推移>を見ても分かりますが、中国の爆買い集団の漸減を補うように、西欧のインバウンド数が増えてきているようです。

 

その意味では観光庁長官の発言は確率が高いものかもしれません。換言すれば、テロの脅威は心配するような根拠に乏しいと思うのです。

 

そしてテロ対策法案を整備するより、真の「おもてなし」を具体化する施策にもっと注力を注ぐ必要があるのではないかと思うのです。

 

今日はこのへんでおしまいです。


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