180521 認知症を生きる <認知症と暮らす意味とは?>と<認知症になっても役に立てる>を読みながら
今朝もイソヒヨドリがベランダの手すりでさえずりをしています。居心地がいいのでしょうか。恋人を待っているのでしょうか。昨日は庭の剪定をしていて隣家の奥さんからきれいにしていますねと言われました。褒められるとお世辞でももう少し頑張ろうと思うのが人情でしょうか。
裏庭だとほとんど気づかれることもないので、勝手気ままに庭いじりをしていますが、通りに面したところだと、あまりいい加減にできないと心の中では思いつつ、普段はだいたい伸び放題にしています。花も枯れて、しおれてもそのままです。たまには面倒見てやらないといけないかなと思うのですが、なかなか思うようにいかないものです。たまにきれいにしようと思っているときに褒め言葉がかかると、次はもう少しと思うのところはまだまだ認知症の領域は遠いと自己満足しています。
ところで、認知症の簡易判断方法として<「長谷川式簡易知能評価スケール」>は人口に膾炙していますが、今朝の毎日記事にその方が登場していました。私は失礼ながら、もう来世にのんびりされていると思っていたのですが、現役で仕事をされているようで、自ら認知症の発症を公表されたりして、話題になっているようです。
毎日朝刊記事<そこが聞きたい認知症と暮らす意味とは? 精神科医 長谷川和夫氏>では、<認知症研究の第一人者で、検査法を確立したことで知られる精神科医の長谷川和夫さん(89)が昨年、認知症の発症を公表した。「普通に暮らす私の姿を見て、認知症になっても大丈夫と安心してもらいたかった」と話す。自ら患者の立場になり、認知症ケアにおける「一人の人間として尊重する」ことの意味をかみしめているという。【聞き手・原田啓之、写真・太田康男】>
ただ、その発症の確認方法は、長谷川式とは少し異なるようですね。
<認知症の発症に気付いたのはいつごろですか。
1年くらい前から、記憶に「確かさ」がなくなったと感じました。例えば外出時に「玄関の扉に鍵を掛けたかな」と気になって家に戻ります。一旦確認して家を出ても、また鍵が不安で戻る。これを1日に何度も繰り返すようになりました。私は50年も認知症に関係する仕事をしているものだから、すぐに「おかしいな」と分かりました。>
CT検査等の結果は、<「嗜銀顆粒性(しぎんかりゅうせい)認知症」=1=と診断>ということで、軽いようですし、進行も早くないようです。
長谷川氏は、診断結果にショックを受けつつも、認知症になっても症状を自覚して生活すれば、普通に暮らせることを示したかったようです。
<仕方がないと受け入れています。また、私の場合は夕方に疲れてくると認知症の影響が出てくるのですが、午前中は頭がはっきりしています。以前と変わらずに近所を散歩したり、映画を鑑賞したり、教会で礼拝に参加して聖書を読んだりしているのです。毎日楽しいですよ。>
<「パーソン・センタード・ケア」(本人を中心とした介護)という理念>を長谷川氏は訴えているそうです。
その具体的な内容はここでは明確にされていませんが、長谷川氏は自らの体験から、日本の介護レベルの高さを指摘しています。
<日本の介護はレベルが高く、パーソン・センタード・ケアといえるものもあります。発症後に利用した近所のデイサービスはスタッフの気遣いが行き届いてすばらしかった。利用者一人一人のことを把握し、まめに「いかがですか」「一緒に体操しませんか」と優しく声をかけてくれる。>
長谷川氏が体験したような介護の実態は、はたしてどの程度介護の現場で実現できているのでしょう。私がたまに訪問する介護施設では、そのような状況になるにはさらにスタッフが必要ではないかと感じます。ただ、介護職員の多くがまじめに明るく接しようとしているのは感じられます。マンパワーの不足を感じます。
ところで、もう一人の医師鎌田實氏は<さあこれからだ/152 認知症になっても役に立てる>の中で、<「蝶の眠り」というすてきな映画>の紹介で、<「アルツハイマーになっても小説を書くことも、人を愛することもできる。美しく、やさしく、可能性に満ちた映画だ」>と指摘しています。
他方で、アルツハイマー病の遺伝子をもっていても発症させないカギとして、慢性炎症を防ぐことと提言しています。それを防ぐには糖尿病や歯周病にならないことを勧めます。
そしてキーポイントとして、<骨ホルモンのオステオカルシン>に注目し、この分泌を促すには<かかと落としのような骨に衝撃を与える運動がいい。>と自ら実践しています。
そういえば、NHK番組でもゴースト血管を防ぐには、かかとおとしがいいと言っていたかと記憶しています。
そして認知症になっても大丈夫というのを、若年性認知症の男性の友人の言葉を引用しています。
<彼は「認知症患者にも満ち足りた生活がある」と言う。そのために、(1)ないものねだりをしない(2)小さな目標を立てて達成感に浸る(3)好きなこと、楽しいことを見つけて実行する--を心がけているという。>
そうですね。認知症にならない配慮も必要ですが、なってもそれなりの生き方はある、一度限りの人生、気持ちの持ち方次第で活き活きと暮らせますよね。
ということで今日はおしまい。また明日。
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