170401 AIの未来像のある断面 <BS7「井山六冠VS 人工知能・・」>を見て
今朝は消え入りそうな雨足。なれど雨は雨。濡れないように荷物を運びました。一日かけて。しかも慣れない軽トラで。昔アルファロメオを乗っていたことがあり、ギアチェンジペダルとブレーキペダル、アクセルペダルの微妙な調整を苦心してなんとか会得していたと勝手に思っていて、ギアチェンジの難しい軽トラを借りたのですが、四苦八苦の連続。エンスト、ノッキング、参りました。なんて農家の人は軽々と軽トラを運転していることかと改めて感心しました。運転している人は、80代の男性、女性を問わず、なかなかのものです。
このような微妙なテクニックや反応は、若い人でも大変だと思います。高齢農家の人にとって、農村地域では軽トラが必需品であるとともに、認知症防止機能もあるのではないかと思ってしまいます。かえってオートマチックの車だと、判断能力や微妙な感覚を維持することには繋がらず、軽トラ礼賛の農家人生ではないかと思ってしまいます。
今日は一日、慣れない軽トラで疲労困憊という状況もあり、また、腱鞘炎の危険度もましていますので、荷物運びは私はやっていないのですが、やはり神経が疲れると手首や肘の神経系統に負担になっているようです。そんな言い訳をして、今日もブログに時間を作ろうと思ったらすでに6時を過ぎており、夜の作業はよくないとの言い訳も追加して、600字を目標に書いてみようかと思います。
毎日記事や報道はあまり見ておらず、録画を昨夜見た見出しの<井山六冠 VS 人工知能~囲碁AIと人間、国内最強の戦い~>を取り上げてみたいと思います。
先にNHK杯でも優勝し、6冠のタイトル保持者として、井山氏の強さは、日本人の世界では群を抜いていると思うのです。ところが世界大戦では中韓の棋士に敗れ、そして国産コンピューター囲碁ソフト「Deep Zen Go(ディープ・ゼン・ゴ)」にも敗れるという結果は残念と思いつつ、AIの急速な進化に驚くばかりです。
私自身も、だいぶ以前からコンピューター囲碁ソフト(廉価なもの)を使って対戦を楽しんでいましたが、最強とかいっても弱すぎて?、ソフトに置き碁させてやっていました。コンピューターというのはそんなものと思っていましたら、それは一昔も前のことで、今では、趙治勲名誉名人にも勝ってしまい、今度は井山六冠をも退けるわけですから、AIの進化は私たちも適切に評価して、社会のあり方におけるAIの活用をよく見通しておく必要があると思うのです。
とりあえず井山六冠との対戦は、解説者いわく、最初のつばぜり合いで、井山六冠が確実に相手の石をとって、上辺中央から左隅まで確保してかなりの陣取りをしたことで、素人としてはさすが井山六冠と思っていたら、AI碁は碁盤全体の布石を大きくとらえて、とられた石の外に強力な陣形を作って中央や下辺全体への影響をきちんと数値化して最強の布石にしていたというのですから、驚くばかりです。
そしてDeep Zen Goの特徴は、全体を俯瞰する驚異的な数値データで解析するだけでなく、地域戦でも無数のデータを駆使して最強の手筋を編み出すというのですから、群を抜く意表を突く手筋を編み出す井山六冠といえども、その上を行かれてしまったようです。
わずか10年程度の間で(あるいはもっと短期間かもしれませんが)、これだけの進化をとげたのではないかと思うのですが、では実際の社会ではどうなるでしょう。
あげれば切りがないですが、たとえば私の関係している法律情報なんて、ある意味、何でもないかもしれません。裁判例が無数にあったとしても、AIの能力からするとさほどかいせきするのが難しいとは思いません。
ある事象が発生したとき、法曹の世界では要件事実という観念にどう当てはめるかといった思考回路をとりますが、要件事実自体は、囲碁の定石に比べれば簡単ではないかと思います。ある一定の枠組みを設定すれば、どのような裁判例をどのような場合に適用して、民事でいえばその成否や、請求額の適正額を算出することはさほど困難なことではないようにおもいます。
いまウェブ情報が巷で氾濫していますが、このような情報の多くは現在基礎的な情報として役立つことも少なくないかもしれません。しかし、AIの能力をたとえば法律情報に適用していけば、より具体的かつ明快な結論の提示が可能になるのではないかと思うのです。
ではそれですべて解決するかと言えば、あくまで現在ある法令を前提にして、その裁判例の集積、とりわけ判例といった形で確立している場合は、かなり有用で効率的な結論を導くことが出来る社会にそう遠からずなるのではないかと思うのです。
しかしながら、法令の解釈は、ときとして時代の趨勢に合わなくなったり、いや、元々誤った解釈が通用している場合もあるかもしれません。そのようないわばなにが正義かといった評価になると、AIとしても相当困難な場面に陥るのではないかと思うのです。
また、事実の認定といった部分は、証拠の収集、その評価といったことが不可欠ですが、とりわけ証拠の収集(収集方法などはAIがセオリーとして指示することになる?かも)は人間の作業でしょう。その評価も、AIとしてはかなり困難な作業かもしれません。ただ、これも経験則的な人間判断を集積することで、いずれはAIの射程距離に入ってくるように思うのです。
ではこの法曹分野で人の働く場面はどこか、それこそ人の心のあり方ではないかと思うのです。それが究極的には問われるように思うのは私だけでしょうか。
いつの間にか600字を大幅に超えて、時間も1時間近くになりつつあり、そろそろ限界となりました。今日はこの辺で終わりとさせて頂きます。
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