180901 竹と文化 <沖浦和光著『タケノ民族誌』>を少し読みながら
私がこのブログを書き始めた最初が竹に関する内容でした。ま、このときは三日坊主ならぬ2日くらいで書くのを断念しました。その後何年かしてリハビリ気分で再開したときも、竹林に関係していました。
実は当地に来て竹藪の世話に埋没していた時期があり、竹自体に自然と関心を抱くようになり、日々肉体的には竹や笹とともに暮らしていたので、ついブログ記事にも反映したのかもしれません。
その頃、竹の活用を考えて、竹関係の書籍を結構読み、ある種試行錯誤をしましたが、結局、いつの間にか持続性を欠き、なにも達成できず、竹とも遠ざかることになりました。
ヒノキやスギの手入れ的な作業では、さほど怪我をしたことがなかったのですが、竹林、竹藪では小さな怪我は毎日のようにできました。枝や切り株につい当たってしまうのですね。それに竹の弾力性で竹木を伐倒したとき、その竹木自体、あるいは別の竹木と当たって、跳ね返りでメガネなんかはよく飛ばされてしまいました。傾斜面での作業ですので、ちょっと滑ったり、転倒したりすると、切り株に背中や体のあちこちが当たってしまうこともしょっちゅうでした。
そんなこともあったなと思いながらも、最近は竹について書いていないように思っていたところ、沖浦和光著『竹の民族誌 ~日本文化の深層を探る』に出会いました。なかなか内容が濃く、他方でその考察がとても面白く、竹文化の深さ、日本人の成り立ちなど、いろんな思いが走りました。頭の中でうまく整理できていないので、今回は簡単に、また、適当につまみ食いをしてみたいと思います。
ところで、竹林の面積比率はわが国の森林面積の中でどのくらいと思いますか。これは沖浦氏が指摘しています。なんとく竹林に慣れ親しんでいる、あるいは竹藪が増えて困っていると悩んでいるという話題が刷り込まれているせいか、たいていの人が3~5%くらいと答えるそうです。私は多少知っているので、そこまではないけど、1%くらいかなと思ったら、沖浦氏は「森林総面積約2600万ヘクタールのうち、竹林はおよそ10万ヘクタールにすぎない。大ざっぱに言って0.38パーセントである。」と指摘されています。
この数値に少し疑問を感じ、私も調べてみると、林野庁の<竹関係係資料>では、平成19年現在では、竹林面積が約16万haで、しかも進入率25%以上の竹林を含めると、その面積は約41haとなるようです。つまり前者でも0.6%、後者だと1.5%強となりますね。ま、私の感覚に近いかなと思うのです。
ではなぜ沖浦氏の数値が低かったのかといいますと、この著作は91年発刊岩波新書を原本にしているそうですから、おそらく調査記録としては昭和末期のものかもしれません。
この点、<竹関係資料>でも<・竹林面積は、昭和50年代後半から増加>と指摘しています。そうです。いろいろご託を並べたのは、これをいいたいからです。
私が田舎で暮らしていた戦後から昭和40年代半ばまで、竹林はだいたい管理され、それほど目立つ状況にはなかったと思います。私たちの暮らしはまだかなりの部分で竹製品が身の回りの生活の中にあちこちにあったように思います。それが次第にプラスチック製品に置き換わり、普段目にすることがどんどんなくなっていったころから、竹藪あるいは竹林が増えていったように思うのです。
いまでは道路を走っていて、繁茂した竹林というか竹藪を見ないことがないほど、各地で普通に見かける状態になったように思います。
興味深いことに、いまプラスチック製品の普及に歯止めをかける動きがEUから生まれ、わが国でも代替品について研究する動きが出る一方、増殖し管理されない竹の利用について林野庁はこの資料の中で検討しています。
ずいぶん前置きが長くなりました。今日のテーマは竹と文化です。沖浦氏は多面的・重層的に、縄文期から現代に至る竹の多様な利用とそれを担ってきた人にスポットを当てています。日本書紀や万葉集、あるいは魏志倭人伝など多様な文献から深みに入っていますが、今回はそれはパスします。
竹(タケ・ササを一括して呼称します)の植生分布とその担い手、政治支配に伴う、身分制について、とくに九州南部を巧みに描いているように思えますので、それを取り上げたいと思っています。
<竹関係資料>では現在でも竹林面積が多いのが鹿児島、大分、福岡といった九州がメインです。飛び抜けていますね。
竹の製品化は縄文期に漆喰を利用して使われていたとされています。土器などとちがって、竹ですので、なかなか現在まで残らないのででしょう。
話は飛びますが、日本人の多くは維新前後の担い手たちの活躍に心を動かされ、最も関心のある時代の一つだと思います。いまNHK大河ドラマでも「西郷どん」でしたか、放映されていますが、こういう場合の筋書きはたいてい、旧弊だらけで硬直した身分制に埋没した幕府体制の問題点と、それを打ち破る差別された下層武士を中心とした能力主義的な薩長による倒幕が描かれているかと思います(少し誇張しすぎましたが)。
しかし、そこで見過ごされてきたのは、被差別民であり、えたとされた人たちです。かれらは、竹を利用して見事な竹製品を生み出し、伝統的に継承し、地域の伝統を活かす重要な要素として竹を活用してきたというのです。
日本の伝統文芸の世界でも、といわれた被差別民がいかに竹を活用して新しい文化を形成してきたのではないでしょうか。
短時間でうまく取り上げることができませんでした。沖浦氏の伝えたかったであろう日本文化の深層の手がかりでも描こうとしたのですが、それは別の機会にします。
今日はこれにておしまい。また明日。
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