たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

ブラジル・トメアス考 <眞子さま アマゾン訪問 皇室としては初>を読みながら

2018-07-28 | 日本文化 観光 施設 ガイド

180728 ブラジル・トメアス考 <眞子さま アマゾン訪問 皇室としては初>を読みながら

 

昨夜は台風の影響か?深夜なんどか起きました。といっても外は穏やかで、蒸し暑いというより涼やか、あるいは少し寒さを感じるくらいでした。ともかくぐっすり眠れませんでした。そのため朝食後もぼっとして、最近ほとんど座ったことのないロッキングチェアに腰を下ろした途端、ぐっすりと眠りにつきました。

 

目覚めた後台風の備えをしようかと思いつつ、ま、今夜か明朝当たりが紀伊半島かなと思い、それより事務所に置く花を購入に出かけました。毎週取り替えていますので、花屋さんとはなじみになったはずですが、いわゆる個人の花屋さんではないので、あまり会話が弾みません。事務所で花を取り替えた後、台風の様子を見ようとネットでNHKを見ると、<眞子さま アマゾン訪問 皇室としては初>と出ていました。たしかNHKTVニュースでも取り上げられていたのですが、なにか気になりました。

 

今日は台風がいつやってくるか分からないので、早めにブログも書き上げておこうと思い、その?の眞子さまニュースに注目して書こうかと思います。

 

眞子さんが訪問された、トメアスといえば、私が四半世紀前に仲間3人で訪れたところです。眞子さまニュースで取り上げられたトメアスのイメージと、私たちが半日ばかり過ごしたトメアスとは雲泥の差を感じたのです。同じところとは思えませんでした。

 

だいたい眞子さんが映った映像なり写真では、小型機といえどそれなりの立派な飛行機で、降り立った姿でした。え、トメアスに飛行場があったのと思ってしまいました。それに立派な講堂とか、町並み、墓地などなど、これはずいぶん開けた「都市」といってよいですね。

 

たしかにNHKの記事でも<ブラジルを公式訪問している秋篠宮ご夫妻の長女の眞子さまが、日本の皇室としては初めて、アマゾン地域のトメアスを訪れ、日系開拓者の慰霊碑に花を捧げたほか、現地の日系人が経営する農園などを見学されました。

眞子さまは27日、ブラジルのアマゾン地域の都市トメアスに到着されました。>とあり、冠名で、「都市トメアス」とありました。

 

えっと驚きました。私が見たトメアスと同じなのかと二度びっくりです。でグーグルマップをみると、確かに街路が縦横に走り、住宅地が整備されています。レストランもありますね。

 

でも私たちが経験したトメアスは、私が幼い頃の日本の田舎の農村風景か、それ以上に前時代的でした。だいたい、アマゾン川河口最大の都市、ベレンでも、私たちが宿泊した地区は整備されていましたが、その外は治安がよくない状況でした。で、トメアスまでの交通手段はというと、車しかないと思っていました。実はこの旅程は、先輩のOさんがほとんど全部決めていて、わたしともう一人後輩のKさんもそれに乗っかっただけでした。それに当時は、ネット情報もなく、Oさんが現地ガイドと連絡してガイドの情報を頼りに決めたのだと思います。

 

この3人の珍道中はとても面白くて次々と事件が起こり、その顛末をいまのようにネットに載せると結構面白かったと思います。当時は日記を書く習慣もなく、その後も次々と調査旅行があり、ときに話題にしても新たな事件などで忘れてしまっていました。それにOさんとKさんはとても饒舌で、二人で話題が尽きないほどずっとしゃべっていて、私にとってはうるさいくらいで、さまざまな体験があまり心にしみこまなかったかもしれません。

 

この二人の面白さは簡単に言い尽くせないのでこの程度にして、思い出したトメアスまでのこと、トメアスでの出来事を書いてみようかと思います。

 

車で行くと言っても、大変な悪路で、あれほどの悪路を長時間高速で走ったのは経験ないほどです。むろん舗装してなく、でこぼこ道で、砂埃が走った後に満ち一杯になります。ということは対向車があれば、まったく見えないことになります。幸か不幸か、長時間のトメアス往復で、対向車があったことを覚えていません。あったら怖かったでしょうね。

 

というか、ガイドによると、この道は強盗が出るのでということで、拳銃を携帯していましたから、対向車なりがあると、強盗の危険もあり、こちらも怖かったのです。

 

とはいえ、無事トメアスに到着してほっとしたのはほんの一時、また大変なことが分かりました。たしかトランクのドアが開かなかったのだと思います。荷物は全部そこにはいっていますから、ガイドも含めみんなで四苦八苦したように思います。陸の孤島と聞いていたので、JAFのような救援隊もありません。あきらめ気分になったとき、Oさんだったか、なにをしたのか分かりませんが、ドアが開いたのです。

 

そのとき農家の方からいただいたドリアンのジュースがとても美味しくて、その後ドリアンを飲むときこの思い出と重なることがあります。

 

農家の方は日系人で、その方にコーヒー畑を案内してもらいました。素朴な作り方でした。ジャングルの中に少し開けた感じで、手作業で畑作りをしている印象でした。

 

その後住宅が多少あるところまで案内してもらいましたが、人影も少なく、店舗もないか、あっても簡易なものだった記憶です。印象としてはわずかしか人が住んでいないのでは、それに移民したもののうまくいかなかったのかなと思ったのです。ほんと全体の一部しか見てなかったのです。ま、それも事実ではありますが。

 

私自身、事前知識もなく、Oさんの計画にのって動いていたこともあり、ほとんど疑問らしいものも沸いてこなかったのでした。もう一つは日本から安い航空便で40時間近くかかり、さらにひどい悪路で、疲れ果てていたのかもしれません。トメアスについての予備知識もなく行くのですから、適当この上なかったです。というかそれまでリオサミットの準備などで追われていて、旅先のことまで関心が及ばなかったのです。

 

いくつか事件が起こりましたが、もう一つ取り上げると、ベレンへの帰路、アマゾン川の支流、川の名前は覚えていませんが、平底のフェリー渡しがありました。そこを渡ると、検問があり、往きのときは無事通過できたのですが、帰りの時、止められたのです。そしてガイドが検問所に連れられていって、話をしていたのですが、それが一向にらちがあかないのです。たしか1時間ではきかなかったように思います。どうも行かせてくれないようなのです。へんな日本人と思ったのでしょうか。結局、お金で解決したように記憶しています。

 

そんな思い出が残るベレン往復でしたが、眞子さんの場合、そんな怖い道路を使うはずもなく、快適な空の旅で、しかも成功したトメアスの日系人たちに歓迎され、日本人のお墓参りをされたようで、なによりです。

 

なお、私たちも、ベレンでは、日系人の結構えらい方から、美人コンテスト?とかの祝典に来賓で招待され、結構な接待を受けました。日系ブラジル人は各地で活躍され、人望もあり、日本人が訪れると、ほんときもちよく接待していただいた、思い出があちこちでありました。

 

いま東京オリンピック・パラリンピックで「おもてなし」と標榜していますが、私たち日本人が忘れてしまったことを、日系移民の方々は現地で大切にその心を残されているのではと思い、むしろ私たちが学ばなければならないことも少なくないと思うのです。

 

今日はこの辺でおしまい。また明日。明日は異常な台風が襲ってくるのかしら、各地で大きな災害が起こらないことを祈っています。


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