171224 食と農の絆 <『食と農のコミュニティ論』を読みながら>
食と農、あるいは農業のあり方、この種のテーマを対象にした書籍は毎年のように出版されているように思います。マスコミでも結構取り上げられていますね。
私自身も、時折考えることもありますが、実際に自ら関わっていないこともあるせいか、どうも地に着いた議論に近づきません。いろいろ書籍を読んで勉強していますが、道通しという感じでしょうか。
この磯井崧・松宮朝編著『食と農のコミュニティ論―地域活性化の戦略』もそのような文献の一つです。
きちんと読破していませんので、つまみ食いの感じですが、そこで紹介されている事例はすでにマスコミでも紹介されたり他の文献でも紹介されているものも少なくなく、目新しいとは言えないかもしれませんが、なにか感じるものがあり、ここで一部をとりあげようかと思います。
宮崎県綾町の事例では、「『自然生態系農業』と循環システムの原型」として紹介されています。綾町の環境保全型農業は日弁連でも以前から調査して紹介してきました。私はこの調査には参加していないので、おおよそは理解していますが、この文献で改めて感じることがありました。
照葉樹林は少なくとも西日本というか関東地方まで続く日本の代表的な樹林ですね。林野庁の拡大造林政策の中で、これらの伐採が繰り広げられ、用材として有用な針葉樹に取って代わってしまい、現在日本の森林率の高さを誇る人工林となっているように思います。そんな中、綾町の郷田町長が反対した結果、中止になったというのです。その代わり、世界一規模の吊り橋「照葉大吊橋」の建設をはじめ、自治公民館、「自然生態系農業」の推進、等々の独自の事業を展開したそうです。
照葉樹林帯は関東にも今なお残っていて、たとえば東京湾の入り口、観音埼灯台のある公園は見事な照葉樹が鬱蒼としています。これが縄文時代以来の原型に近いのではないかとこの中を散策しているときよく思ったものです。それは日本人?の原風景の一つかもしれません。それを残した綾町の人たちの叡智は誇るべき事でしょう。
「ユネスコエコパーク」へ登録
この内容はよくわかっていませんが、本書によれば、2012年に登録されたとのこと。いわゆるコア、バッファー、トランジションのゾーニングをして、保護と活用により人と自然の共生を目指すプログラムと言うことは一般に言われていますが、具体的な中身はここでは紹介されていないのと、地域コミュニティとの関係も明らかではありません。
白神山地などでは、このようなプログラムにより、地域コミュニティとの連携が必ずしもうまくいっていないともいわれることがありました。それはこのプログラム自体の周知性や地域特性に合った具体的なゾーニング、利用規制が共通の理解に至っていない段階であったのかもしれません。
自然生態系農業として、有機農業の循環システムが取り上げられています。
いまゴミの収集が当たり前のように思うのは都市住民だけでなく、田舎の住民でもほぼ同じ感覚かもしれません。
本書では取り上げられていませんが、綾町では伝統的な焼き畑が続いていますね。かなりの傾斜のある山肌で焼き畑をしている様子をNHKだったか放映されるのを見たことがあります。照葉樹林が周りにも生い茂っていた記憶ですがはっきりしません。照葉樹林の中での焼き畑は、まさに縄文時代の農業の典型ではなかったでしょうか。焼き畑による農産物の供給という自然生態系のバランスで生み出す食を大事にしたいと思うのです。
私は四半世紀前、御巣鷹山事故からしばらくして、上野村を訪れる機会が何度かありましたが、そのときタクシーの運転手から(秩父駅から有効なアクセス手段)以前はゴミの収集なんてなかったよという言葉を聞き、あっそうかと思いました。ゴミになるものがないのです。食べ物の残りも利用されていました。衣食住のどれをとっても最後土に帰るまで利用されるのが当たり前だったのですね。むろんし尿はもちろん、家畜の糞尿も重要な肥料源でした。廃棄物として環境に有害に排出されることがなかったのですね。
それがいつの間にか、田舎でも、生ゴミ収集が毎週のようにあり、焼却場で焼却され、処分場で埋立処分されているのですね。し尿は便利な公共下水道なり浄化槽なりで、これまた一定の処理が行われるものの、結局は環境に排出され、一定のリサイクル利用という名目はあるものの、本来的な肥料価値の利用はされないままですね。
家畜の糞尿も同様に、有害臭などが嫌われ、コンポスト利用もかなり限定的ではないでしょうか。
そんな中、綾町は行政指導で、生ゴミと牛糞による堆肥化を実施して、利用されているようです。これが有機肥料として収益源となるほどの事業化ができているのかは、本書からはっきりしませんが、期待したいと思います。
よくいわれる、有機農業の生産者と消費者のネットワークが確立しないと、高いコストと余分の時間をかけて生産しても、消費者がその付加価値を理解して購入してくれないと、この循環利用は成立しませんね。
綾町の多彩な食料品について、本書ではあまり具体的な言及がなかったので、これは別の文献を引用して取り上げるのも何ですので、食と農がうまく今回扱うことができませんでした。
本書では、アンケート結果でうまくいっているといった内容となっています。経済的な面での収支も大事ですが、心のケアとか数字に表れないものをいかに評価するかという視点をどうくみ取るかも重要でしょうね。
もう一つ、奈良の柿を通じた農商工の連携の話しを取り上げようと思ったのですが、ちょうど一時間となりました。今日はこの辺でおしまい。また明日。
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