170610 竹と人の歴史景観 <NHK 世界里山紀行 中国・雲南 竹とともに生きる>を見て
今朝は久しぶりにぐっすり寝入ったのか、目覚めると6時でした。ゆっくり起床前の読書もなく、花に水やりなど早朝の作業をてきぱきとやっていきました。今日は終日晴れるようですから、だんだん暑くなっていくのでしょうけど、わが家は南西側に下り斜面でしょうか、朝のうちは斜面側(裏手)には日が当たらないので、結構過ごしやすいです。玄関側は日当たりがよく、ここに植えている花はだいたい元気がいいです。裏庭の場合はちょっと元気がないかなと、これも日照の影響かと思いつつ、土壌の影響も大きいのかなと勝手に思っています。
そろそろ土壌の分析とまではいかなくても、土壌の成分を少しは理解して、花の成長に役立つことでもしてやろうかと思っています。これは来年までにという趣旨ですが。川口由一流自然農法だと、なるべく人が手をかけないのがいいのですが、それは耕作放棄地や里山のようなところでは妥当するとしても、分譲地の貧弱な残土では少しは考えないといけないと思っています。だいたい、川口さんが本拠としている土地は、纏向ですから、大和朝廷以前から水田の長い歴史のある由緒ある農地です。なかなか同じに扱うことはできないように思うのです。
さて稲作の起源については諸説あり、また日本での栽培開始時期も同様で、なかなか定説がないようにも思えます。とはいえずっと以前、雲南省の稲作が伝わったという説が有力視されていたような記憶があり、雲南省の名前はその段々畑(あるいは棚田)にはなんとなく懐かしみのようなものを感じてきました。(なお、現在では、ウィキペディア「稲作」によると、約1万年前の中国長江流域の湖南省周辺地域が稲作の起源とされているようですが)
そんな思いを抱いていたとき、NHKアーカイブで10年前放送の<世界里山紀行中国・雲南 竹とともに生きる>が再放送され、録画していたのを昨夜見ました。1時間40分でしたか、淡々とその村人の暮らしを映し出しているのですが、見飽きませんでした。
私自身、当地にやってきて約8年くらい竹とともに日々を送り、しょっちゅう怪我だらけになりながらも、竹とのつきあいは気に入っていました。うまく活用できないままで終えたのは残念ですが、今の仕事を辞める決断ができたら、また再開したい気分です。なぜそう思うのかはわかりませんが、もしかして、幼い頃、まだ田舎の生活の中には竹が生活の中にある程度活かされていたからかもしれません。壁は竹で骨組みをつくり土や漆喰できれいにしていたと思います。竹で作られた籠もまだ普通に利用されていました。プラスチックが普及する以前は、風呂桶など、多種多様な生活用品に竹で作られていました。竹は重宝され、大事にされていたように思うのです。そしてその加工技術も相当な技量が伝承として引き継がれていたのでしょう。
ちょっと話が脱線しますが、愛読している「この国のすがたと歴史」は、網野善彦氏と森浩一氏の対談を掲載していますが、たしかこういう一説があったように思います。百姓というのは、農民のことをだけ言うのではない、農民は稲作や畑作など農業をやっているだけでなく、生活用品、衣食住のすべてを自分たちで作っていた技術力を持っていたというのです。その技術力というのは、徐々に明らかになりつつある縄文文化の精緻で高度な技術力を継承してきたものがあるといったことです。むろんその中に、専門的な職人集団が形成されることもあり、その場合はさらに高度な、それは現代の職人でも容易に到達できないほどのものになっていたというのです。
で、NHK番組の<竹とともに生きる>は、その技術力の精緻さとか高度さとかは別にして、竹を生活全般の中で活かしている素朴で、誠実な生き方、はたラクということがいかに自由で想像力をかき立て、人のために役立つことをしているかを、自然な感情として生まれているかを、雲南の人々の暮らしを通じて示してくれているように思いました。
とりわけ当時、60代初頭の初老の姿は、見事なほど竹とともに生きている人生を表してくれています。思い出す中でいくつかを紹介したいと思います。
彼は村を流れる川の浅瀬に、竹で組んだ籠を置きます。3時間くらいでしょうか、妻とのんびりと川辺に座ってただ待ちます。そして浅瀬に入っていき、籠の中に魚(ドジョウ?)が2匹いるのを確かめ、引き上げます。それを持ち帰って料理するのも彼です。妻は恰幅がよく、彼はやせ細っていますが、主として働くのは夫かなと思ったりします。そこには男女の差別とか役割分担というのがあるわけではなく、自然な二人の采配があるのかなと思えます。
彼はたしか2000坪の竹林を先祖から引き継いだとのこと。その竹の維持・管理、拡張そして時代へ承継することが彼の大きな目標のようです。竹は日本と違い何百種もあるようですが、高さ20mにも達する巨大なものもあるようですが、普段利用するのは少し小ぶりです。面白いと思ったのは、彼が竹を扱う道具はすべてナタです。ナタで竹の幹を何度も打ち付けて伐倒します。わが国は道具もまた精緻でその種類の多さがすごいです。むろん竹には竹用のノコギリ(これも何種類もあります)があり、きれいに素早く切れます。林業者はチェーンソーを使うでしょうね。ナタは、枝を切ったりするときに使いますが、この種類もめちゃ多いのです。そして伐倒竹の細断(造林)や、竹垣などの用途に合わせて、様々なせん断用機会できれいに素早く行います。
でも彼はすべて一本のナタで伐倒し、また、竹細工用の細くて薄くするのも、同じです。ナタ一本で器用にやり遂げる、これも高度な技でしょう。ある意味、特別の道具に頼らないでもやっていけるわけです。
ところで、多くはなんでも個々人が竹林を所有し、利用していますが、社会インフラとなると共同作業が必要です。なんと竹の入会地(共有地)があるのですね。わが国にもあったのかというと、例外はあるかもしれませんが、まず竹の共有地はなかったのではと思うのです。入り会い紛争は、古い歴史がありますが、多くは芝山、草山、篠山、蒔山など肥料や燃料用に村人が共同利用するところでした。
この雲南の村では、竹で橋まで作ってしまうので、竹の共有地が必要だったのでしょう。橋脚に使う竹の切り方、設置の仕方が、半端でなく面白いのです。大きな竹を何本も橋脚用に切り倒すのですね。大勢の村人が共同作業です。そして伐倒竹の途中に、ナタで縦に幹を裂くのです。変なことをするなと思っていたら、そこを中心にして竹を折り曲げて、既存の橋脚の周りを裂いた部分を巻き付けて、橋脚の部分と、それを支持する部分に分けて川底に打ち付けるのです。大胆ですね。
そしてこのような竹を中心とする生活は、自然生態系ともうまくつきあっています。田んぼで田植えをしている大勢の女性たちのすぐそば10㎝くらいの竹林の一角に、大きなフクロウがじっとしています。かれらもそれを見過ごしています。彼らにとってこのフクロウは神なのです(名称があったのですが忘れました)。フクロウは様々な害虫を食べて駆除してくれ、田畑を守ってくれているのです。こういった生物との多様な共生のあり方、多様な生態系の維持には、何千の歴史を積み重ねてきた雲南の農耕生活、働くということ、生活するということ、なんのためにかということ、教えられるものを感じます。
なぜか息子の存在が見当たりませんでしたが、彼の孫が中学生くらいでしたか、彼の仕事ぶりを毎日付き添い、彼の作業を見ながら、時折彼から指南を受けながら、黙ってついて行っていました。その孫が取材に対して、自分が祖父の後を継ぐというのです。そして一年後には一人で竹を伐倒し、長い竹を持ち帰り、すぐに籠を編み出しました。
そして彼に新たな孫が生まれました。その孫がすやすや寝ている揺りかごも、彼とその孫少年が一緒に作ったものです。彼は新たに生まれた孫のために、竹を根っこから掘り出し、4本ばかり別の土地に植えました。その孫のために竹林を増やしてやるというのです。
素朴ながら活気のある雲南の家族の物語でした。あれから10年どうなったでしょう。
今日はこの辺で終わりとします。
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