次男坊は、ザ~とですが、
ある程度自立して、
一人で入浴できるようになりました。
というか、なったと思っていました。
しかし、
私が、浴室のドアの近くにいるときと、
私が不在で、妻だけの時では、
次男坊の様子が違います。
妻には、「仕上げ」と言い、
自分で洗わず、妻に洗ってもらっているようです。
昨日、久しぶりにドアのそばにいると、
私にも「仕上げ」と言いました。
しかし、
「自分で洗います。そのあと仕上げ」と言うと、
自分で洗っていました。
頭も、同様です。
私は、毎日は自分で体や頭を洗わせて、
週1回の日曜日だけ、
きれいに洗った方が良いと考えていました。
しかし、妻は、
○○(私のことです)ときは、自立してやっているなら、
いいんじゃない。
私の時は、自分で全然ちゃんと洗っていないよ。
だから、洗ってあげてもいいんじゃない。
と言うのです。
私が妻に何を言っても納得する事はないのですが、
なんで、私が普段は次男坊に自分で洗わせているのかを
説明しなおして、
(理解してくれそうもないので)
「そうかい」で、終らせてしまいました。
こういう家族間の支援の考え方の違いの調整が、
難しい・・・ですね。
私がいない時、
妻が次男坊を洗ってあげることは、
次男坊の自立を阻害することにならないのだろうか?
一貫した支援ではないことになると、
私は思うのですが・・・
今度、誰かに調整してもらおう!
(私が、調整されるのかな?)
ある程度自立して、
一人で入浴できるようになりました。
というか、なったと思っていました。
しかし、
私が、浴室のドアの近くにいるときと、
私が不在で、妻だけの時では、
次男坊の様子が違います。
妻には、「仕上げ」と言い、
自分で洗わず、妻に洗ってもらっているようです。
昨日、久しぶりにドアのそばにいると、
私にも「仕上げ」と言いました。
しかし、
「自分で洗います。そのあと仕上げ」と言うと、
自分で洗っていました。
頭も、同様です。
私は、毎日は自分で体や頭を洗わせて、
週1回の日曜日だけ、
きれいに洗った方が良いと考えていました。
しかし、妻は、
○○(私のことです)ときは、自立してやっているなら、
いいんじゃない。
私の時は、自分で全然ちゃんと洗っていないよ。
だから、洗ってあげてもいいんじゃない。
と言うのです。
私が妻に何を言っても納得する事はないのですが、
なんで、私が普段は次男坊に自分で洗わせているのかを
説明しなおして、
(理解してくれそうもないので)
「そうかい」で、終らせてしまいました。
こういう家族間の支援の考え方の違いの調整が、
難しい・・・ですね。
私がいない時、
妻が次男坊を洗ってあげることは、
次男坊の自立を阻害することにならないのだろうか?
一貫した支援ではないことになると、
私は思うのですが・・・
今度、誰かに調整してもらおう!
(私が、調整されるのかな?)