吉備津神社に在る竜神池(手洗池)の中島に祭られている宇賀神社です。つい最近にねって改装した為に、写真に在るように、随分と派手派手しいお社になっていますが。
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この宇賀神社についての案内板には、写真でもお分かりのように、「吉備国最古の稲荷神」とありますが、これは、これを作った人が誰からの言葉だか知れませんが、「宇賀神社は吉備の国の最古の稲荷社だ」という言葉を何の疑いもなく、それをそのまま鵜呑みしてしまって、この説明板を作ったのだろうと想像します。本当は、この神社は、古事記にある「宇迦御魂神」をお祭りした社です。決して稲荷神ではありません。なお、日本書紀には、この神の名を「倉稲魂命(うがのみたまのみこと)」と書いてありますから、この「倉稲」という字から、この神を「稲荷」と勘違いしたのではないでしょうかね
なお、元禄4年に作られた吉備津宮御絵図によると、この宇賀神社はなく、其の社名は「弁財天」であると記されています。
しからば、どうして、元禄の時代に「弁財天」と呼ばれていたのが、何時頃かは分からないのですが、宇賀神社と名が変わったのでしょうか。又、この池も、当時は「手洗池」と呼ばれていたのが、何故、現在のような「龍神池」に変ったのでしょうかね。
それはそうとして。今日は一月十五日 左義長、そうです、どんど祭です。その昔には、この「左義長」は、徒然草で、兼好法師は「三毬打」という字を使っていますが。??
このように、我々の生活の中の習慣は、長い年月が過ぎる間に、宇賀神社が稲荷の昔の神だなんって、その内容まで本来のものより大層異なったものに変化することはよく見受けられるのです。
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この宇賀神社についての案内板には、写真でもお分かりのように、「吉備国最古の稲荷神」とありますが、これは、これを作った人が誰からの言葉だか知れませんが、「宇賀神社は吉備の国の最古の稲荷社だ」という言葉を何の疑いもなく、それをそのまま鵜呑みしてしまって、この説明板を作ったのだろうと想像します。本当は、この神社は、古事記にある「宇迦御魂神」をお祭りした社です。決して稲荷神ではありません。なお、日本書紀には、この神の名を「倉稲魂命(うがのみたまのみこと)」と書いてありますから、この「倉稲」という字から、この神を「稲荷」と勘違いしたのではないでしょうかね
なお、元禄4年に作られた吉備津宮御絵図によると、この宇賀神社はなく、其の社名は「弁財天」であると記されています。
しからば、どうして、元禄の時代に「弁財天」と呼ばれていたのが、何時頃かは分からないのですが、宇賀神社と名が変わったのでしょうか。又、この池も、当時は「手洗池」と呼ばれていたのが、何故、現在のような「龍神池」に変ったのでしょうかね。
それはそうとして。今日は一月十五日 左義長、そうです、どんど祭です。その昔には、この「左義長」は、徒然草で、兼好法師は「三毬打」という字を使っていますが。??
このように、我々の生活の中の習慣は、長い年月が過ぎる間に、宇賀神社が稲荷の昔の神だなんって、その内容まで本来のものより大層異なったものに変化することはよく見受けられるのです。