沖縄の特別の日 6/23
6月23日「慰霊の日」は沖縄県民にとって忘れることのできない特別な一日です
一般住民を巻き込み、20万あまりの尊い命と財産や、沖縄の文化財、自然がことごとく奪われた沖縄戦は、太平洋戦争で、唯一、日本国内の一般住民が地上戦を体験したという、まさに地獄そのものでした。
沖縄戦における20万人を越す戦死者のうち、約半数に近い、じつに9万4000人余りの戦死者が、兵隊以外の一般県民や子供です。この沖縄戦で、沖縄防衛第三十二軍司令官牛島満中将と同参謀長の長勇中将が糸満の摩文仁で自決した日が昭和20年6月23日の未明とされているのです。そしてこの日を、日本軍の組織的戦闘が終結した節目としてとらえ、沖縄慰霊の日が制定されました。
この6月23日の「慰霊の日」、沖縄戦の戦没者の霊を慰めて平和を祈る日として、本土復帰前は「休日」と定め、各行政機関や学校、企業に定着していましたが、1972年の本土復帰後は当然日本の法律が適用となって「慰霊の日」は「休日」としての法的根拠が無くなってしまったのです。
そして米軍との密約と日本政府の横暴で日本列島の米軍基地を沖縄に集中させたのである。
円ジョイが生れた1960年前後は東京や関東にも米軍基地が沢山あり、現在、沖縄で起きてる米軍人の犯罪や騒音、交通事故などがあり東京でも不満爆発でした。今、国会で問題になってる「砂川事件」(1957年)の年に「ジラード事件」が悲惨でした。 ジラード事件
【事件概要】
1957年1月30日、群馬県相馬が原の米軍演習場で、空薬莢拾いに来ていた主婦・坂井なかさん(46歳)が米兵に射殺された。当初は流れ弾に当たったものとされたが、米兵・ウィリアム・S・ジラード(当時21歳)が射殺していたことがわかった。
円ジョイも世田谷ボロ市でガラクタジャンクを30年近く売っているけど、当時はアメ横やボロ市などで薬莢が1個300円の高値で売れたのだ主婦が小遣い稼ぎで米軍薬莢を拾ってるの知って米兵は薬莢を餌に誘って面白半分に射殺したらしいのだ。しかし米国は犯人をかばい執行猶予にしたそれがあっての立川基地の砂川事件だったのである。
米国アイゼンハワー大統領も日本国民の反米運動が大きくなったので60年安保条約には、あまり乗り気ではなかったが、米国の支援を受けたく媚びを売った安倍晋三の祖父はアイゼンハワーと密約して日米集団的友好戦略をしたのだ
岸信介も孫の安倍晋三も愛国でもなく国民の命や基地負担など一切考えてない!と思う。
オスプレイのような危険なヘリもあった。
子供が米軍に轢かれても逮捕できない。東京でも現在の沖縄と変わらなかったのだ。
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