フィリピンの思い出2 不思議な体験 妖怪アスワン

2009-12-11 23:59:36 | フィリピン

    フィリピンでは、色々な人からアスワンのことを聞きました。知識層であろうが、庶民であろうがほとんどの人がアスワンの存在を信じています。

  アスワン(Aswang)というのは、フィリピンの妖怪のことで、いわば吸血鬼のような存在です。 彼らは昼間は人の姿をしているのですが、夜になると怪物の姿に変身して人間を襲って食べるのだといいます。特にお産の近い妊婦や不注意な旅人や眠っている人々を餌食にするために夜現われるのだそうです。 人間の姿から蝙蝠、豚、黒毛の犬などの動物の姿へ変身するのだといわれています。

「フィリピンの言い伝え」という分厚い学術書風の本の中のアスワンの話。
挿絵から恐怖の対象なのは明らかだ。

  フィリピンの東大に値するフィリピン大学ディリマン校の優秀な学生が、真面目な顔をして話してくれたことがありました。うちの近所にはアスワンの血を引く家族がいて、夜になると飛び立って人を襲うらしいので、まわりの住人は皆避けています、と。

  小生もにわかには信じられませんでした。フィリピンでフィリピンの方と結婚したりフィリピンの方とつきあっている日本人の中には、それを少々ばかにしたり、時代遅れのような感じでブログに書いている方も見受けられましたが、小生の場合もばかにはしないまでも眉つばものだよなぁとか思いながらも、でも、つい最近まで日本人だってきつねに化かされたとか話したり信じたりしていた時代があったし、そういう言い伝えを信じられるくらいそれを伝える長老達の話を真面目に聞いてあげられる国なんだなぁと羨ましくも思いました。

  ある時、フィリピンの長い休日が続く時期(ホーリーウィークだったかなぁ)に、ひとり家にいるのもなんなので同じく故郷に帰らずに暇をしていたフィリピン人の仲のよい友達5人と映画を見に行ったり、うちでデリバリーを注文して飲み喰いしたりしていました。
  それでも暇を持て余し始めたころ、車があるんだからどこか遠出でもしたいねという小生の一言から、友達のひとりが、じゃぁ、ビコールのおばあちゃんのうちに行ってみようかということになり、運転の得意な別のひとりが運転を担う形で深夜マカティを飛び出してビコール地方に出かけました。
  当初、皆でワイワイガヤガヤ話したり歌ったりして車中を過ごしていましたが、そのうちだんだんと眠たくなって小生は寝てしまいました。外が明るくなって来たころ、まだ車は走っていました。しかもノロノロ運転で道は非常に細く対向車に道を譲りながらの砂利道や崩れかけたような木の橋も渡ったりしています。
  ビコールが遠いことは知っていました。ルソン島はぱっと見は正方形に近い長方形ですが、よく見るとその南東部にはオタマジャクシの尾っぽのようにビコール半島が長くつながっており、その距離はメトロマニラから北のバギオへ行くよりも距離があります。バギオへはハイウェイ始め割合広い道路を行けるのですが、ビコールは違っていたのです。しかも、どうも今走っている道路よりもさらに細くて険しい横道に入ってジャングルのような場所におばあちゃんのうちはあるようなのです。うちの車は普通のセダン、三菱バジェロではありません。車の底に岩がガンガンなんてのはお断りです。オイオイ大丈夫なんかいと問うのですが、大丈夫大丈夫と言うその子を信じるしかありません。
  皆さんもお分かりの通り、予想の通りの道をもう小生は諦めを通り越して笑うしかないという心境で、車のガンガンいう振動の中、なんとかおばあちゃんのうち、というかジャングルの中のロビンソンクルーソーの隠れ家のような小屋にたどり着きました。まわりに数軒ほど親戚の小屋があるだけで、まわりは鬱蒼と茂る熱帯雨林に囲まれたところです。着いたのは夕方でしたが、夜になるとランプの灯りだけであたりはまさに漆黒の闇です。その小屋を借り切る(タダですが)かたちで皆で料理を作り、ランプの下でトゥバというヤシの樹液を発酵して作ったややすっぱい地酒を飲みながら酒宴が始まりました。友達のひとりが、夜は大声でフィリピノ語や日本語で話さないほうがいいよと言いました。この辺はゲリラが今でも潜んでいる場所だからということでした。一瞬、おいおい、なんてところに来たんだと思いましたが、今更怖がっても仕方ないし、こんな貴重な体験は滅多に出来るものではないと思うと、幸せな気持ちのほうが優って来ました。

  酒宴も終わり、皆で洗いものを済ませ、竹の敷かれた高床式の床にそれぞれが雑魚寝をする形で寝ました。翌朝、小生は皆がいそいそと朝ごはんを作る音で目が覚めました。でも、何か違うのです。彼らは時々、メトロマニラ・オルティガスの自宅に皆で泊まって遊ぶことがあったのですが、そんな時は小生が一番最初に目が覚め、お手伝いさんが朝ごはんを作ってくれたのを待って、なかなか起きて来ない皆を起こすほうなのです。それが、今日は陽が出たばかりの早朝に皆で起きてそわそわ急ぐように仕事をすすめているのでした。珍しく感心だね君たちは、よく眠れたの?と聞くと、皆が一斉に、昨晩は一睡もできませんでした。あなた(イカウ)はよく眠れたんですか?昨日は寝付いたと思ったら、何かが床をどんどん蹴り上げて来てそれが一晩中続いて眠れなかったんです。イカウの他は皆そうだったんです。きっとアスワンです。私達よそ者を脅そうとしたんですよ。だから、早く朝食を済ませて出ていきましょう。友達たちはいつもはとても冷静で都会的な人間ばかりです。それが明らかに顔は青ざめ、決してうそをついている風ではありませんでした。小生は信じることにしました。

 

  その事件を忘れかけたころ、ある年のクリスマス休暇の時期、ひとりでメトロマニラで過ごすのは絶対に嫌だったので、フィリピン中部のセブ島の左横にあるイロコス島の南東部、フィリピン随一といわれるダイビングスポットのある地方都市ドゥマゲテに出かけて年を越すことに決めました。ダイビングをするというよりも、そこでダイビングショップと小さなコテッジを経営するふたりの日本人の友達のところに出かけて行って、日本からの宿泊客をもてなす手伝いを勝手に買って出たのです。
   お客様達に食事を運び、サンミゲルビールを酌んで差し上げ、フィリピンの色々な話題を提供しながら、ニューイヤーズイブのカウントダウンとともに大音響で飛び交う花火や爆竹の音をヤシの木の向こうに観賞したあとは、明日のダイビング前の十分な睡眠確保のために、明日早くセブに向かうためにと、皆、それぞれの理由でコテッジに散って行きました。
    翌朝、ひと組の中年に近い年頃の夫婦が朝食のために食堂に入って来るや否や、この島には猿がいるんですかとオーナーに聞いて来たのです。オーナーはこのあたりに猿がいるとは聞いたことがないと答えます。でも、その夫婦は昨日の晩は一晩中屋根の上で何か分からないが動物がドンドン飛び跳ねて明け方まで眠れなかったというのです。奥さんのほうがひどく感じ、起きると音が止むので頭のいい猿かなあと思ったそうですが、誰かを呼ぼうと外に出ようとすると静かになるし、こういうことは南国では当たり前なのかなぁと思いながら、静かになった明け方ころにいつのまにか眠っていたそうです。
  小生はその言葉を聞いたとたん、あっと思いましたが、その時は口を開きませんでした。お客は信じないでしょうし、信じたとしたら気持ち悪がられて二度と来てくれなくなるかもしれないととっさに思ったからです。

   その客を空港まで見送ったあと、さり気にオーナーに聞いてみました、アスワンじゃなかったのかなぁ、と。小生は期待していなかったんです。そうしたら、オーナーがいいました。うん、実はそうなんだ。なぜかあそこに泊まった客のほとんどがそう言ってくるんだよ。しかも、起こるのは、翌日ここを去るという前の日の晩に限ってね。

    小生はアスワン始め、そういう経験がほとんどない人間です。鈍いのかなあと思います。でも、日本に帰って来てある時、ある霊媒師に言われたことがあります。小生の左肩には何が分からないのだけれど、日本のものじゃない南洋の物の怪のようなものがちょこんと停まっているよ、害は与えないけど、と。

  あなたは信じますか、これらの話を。
  
ほ・ん・と・うのことなのですよ。
  
私が保証しますから。

宗教、英雄等の291もの言い伝えの中に
アスワンの言い伝えが9つ書かれてあった。

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コメント (7)
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