「世間を欺くには、世間と同じ顔色をなさらなくては」。こちらもシェイクスピアの『マクベス』からの名台詞だ。それが正に、この国の媒体だ。即ち新聞やテレビの事だが、表面は日本のフリして中身は特亜である。近年は特に容赦なく、テレビでは国内感覚さえ狂い、国内ニュースにしれっと韓国や中国での事故のニュースを挟むので、日本であった事故だと錯覚してしまう。たぶんそれが狙いだろうが、厄介なものだ。だから反日報道も堂々とやらかす。民主主義国家であり得ないのが、アンケートの比率だが、安倍元総理の国葬での賛否が「国民の殆どが反対!」と言うのは情報統制を取っている共産圏国家でもあるまいし、まるで何かに支配されているようだ。テレビの報道バラエティーでも「国民の殆どが」と言った以上は、「そんな報道をしなければならない」と言うのが定義付けをされているのだろうが、そう言いながらも44県知事が出席し、欠席は長野•静岡•沖縄のみだ。これとて〝国民の殆どが反対〞ならば、まだ欠席する知事も多数居る事だろう。結果、日本の媒体では、「南京大虐殺」とか「従軍慰安婦問題」と手口は大して変わりないのだ。つまり民主党が政権交代をするまでの世論誘導と同等の事をやっている。民主党政権時代は、何と韓流関連の番組が多かった事か?これこそトラウマだ。
そんな感じで指摘をすれば野暮な事ばかりだ。アノ国は、とにかく数字を盛るが、国葬反対も、例えれば BTSの YouTubeでのアクセス数と同等だ。((嘗ての)日テレのNiziUゴリ押しも然り)何でもそうだが、極端な事は黙認せずに疑問を持った方が良い。報道番組を見れば、その反対派は市民団体と動員された労組の組合員ばかりである。即ち赤旗だらけだが、それらの団体や労組は日本共産党や旧社会党系の立憲民主党の支持母体である。「野暮な事ばかり」とは、そう言う事なのだ。
安倍晋三は国葬に値する
https://timesofindia.indiatimes.com/blogs/globespotting/shinzo-abe-deserves-a-state-funeral/
ツイ民「ニュースみてたら女子アナが「世論を二分している国葬」とか言ってて、もうその発言が印象操作じゃん!ってなった!」
http://seikeidouga.blog.jp/archives/1080509586.html
私が「国葬儀」に反対することに反対する理由 --- 倉沢 良弦
https://agora-web.jp/archives/220802011225.html
そんな特殊な環境が、現在の日本の実情である。話を国葬に戻すが、インドの外交政策評論家であるインドラーニ・バグチ女史のblogによると「安倍晋三暗殺は衝撃的だった。悲劇的。しかし、さらに悲劇的なのは、彼が9月27日に国葬を行うべきかどうかについて、日本で進行中の抗議です」と残念に思っている。そこで「国葬は、世界の指導者との正式な別れであるため、帝国の遺産ではありません」と見識を述べた。その上で「安倍首相は、今後の地政学的な課題に対応するために、日本が異なる種類の力を持つ必要があることを認識していた稀有な世界的リーダーでした。彼はまた、新しい世界秩序には、同様の価値観を持ち、国際ルールに基づくシステムを尊重する民主主義国家の協調が必要であると確信する勇気を持っていました」と評価をしている。これ即ち海外での安倍晋三氏が、政治外交に於いての結果であり、評価なのだ。だが否定派は、それらを認めない事で、正統としている。そこに反対派の意地があるのだ。このblogでは「多くの点で、現在の状況を考えると、日本の抗議行動は寛大ではないように見えますか?」と疑念を抱いているが、選挙の最中に凶弾に倒れた安倍元総理を死体蹴りをするのは、それこそ民主主義の否定ではなかろうか?つまり反対派がしている事は、加害者を応援するに等しい。現に刑罰も決まらないうちから減刑を求めるのだから異常としか良いようがない。