元祖 ひまうま本舗

「ひまうまの世間は、鬼ばかり?」後身blog

友達なんか?

2023-06-18 08:24:59 | 独り言




タモリさんは言う。「今はね、友達を作ろう作ろうって言い過ぎるよ。友達なんかいなくていいんだよ」と。これって年齢を重ねていくと解る。そこで思うのが、“人に依存するのはいけない”と言う事。つまり便利屋にされてしまうと「便利な人=友達」てな扱いになってしまい、それ以外は用の無い人になってしまう。「依存」とは、そう言う事なのだ。なので敢えて【友達】と言うのは、“互いに理解をしている人”だろう。即ち「あの人は、そんな人」と互いに思う関係だ。だから「そんな人」は「末長く」てな野暮な事を言わなくても、結果、付き合いが長い。わざわざ言葉に出さずともだ。そのタモリさんの名言だが、誤解もされているので、自分なりに思う事を述べた。親の不幸の時に、その関係が解るのかな?これから3ヶ月間のうちに父の納骨と一周忌がある。やはり落ち着くのは、その後のようだ。それもあるのか「友人」や「知人」には、なかなか会える機会を作れない。まあ~、仕方がない。持ちつ持たれつみたいな感じもない訳でもないが、その辺はバランスを取りつつでちょうど良い。



最近、急に「あしたのジョー」が観たくなった。そのタイトルの意味合いは、丹下段平の台詞に表れているが、あんな「対人間」の深いアニメは、全てが御行儀良い現代ならば作る事も出来まい。それが急に観たくなったのは、大河内傳次郎さんの「丹下左膳」を観たからだ。然もそれは戦後に大映京都で撮った三部作で、主役の左膳を演じる大河内傳次郎さんも歳を取り、その役の演じ納めとなった作品だ。(それからアッサリと脇役に回った。)その左膳が「丹下段平」と重なるのだ。アニメの方で、その声を演じていたのは、俳優の藤岡重慶さんだったが、大河内傳次郎さんがベースに在ったのか、自然とそれっぽくなったのは、小生の思い過ごしか?だがその「丹下段平」とて、何がモデルかは、放送当時の視聴者は、誰しも思う処で、それこそ野暮だと思う。原作者のちばてつやさんとて、そんな世代だ。尚、それはビジュアル面だが、精神性な面では、元日本フェザー級チャンピオン菊地万蔵(1941年2月1日 - )と言う人。現在、キクチボクシングジム を主宰している。そこに本質とイメージの違いがあるのだろうが、藤岡重慶さん側のイメージと、原作者のイメージが、上手く融合した結果が、ボクシングアニメの名作「あしたのジョー」の誕生に結びついたと思う。久々に観たら、そんな事を思った。ちなみに大映京都での三部作は、三作目だけビデオ化すらされていない。

”明日のジョー”・丹下段平のモデルといわれる男!
https://ameblo.jp/stanbox7/entry-10273267654.html

コメント
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