今日で3年が経ちます、
あの日のことは忘れらない日になりました。
主人と大きな揺れのあと、恐ろしい津波が押し寄せるテレビを、
呆然と見ていたのです、
どれほど恐ろしい事になるなんて思わず、
あの瞬間は、
まるで映画やドラマのようにテレビから伝わってくるだけでした。
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昨日、夕方のテレビでに映った岩手県大槌町の山の上
庭師の方の庭にある
『風の電話ボックス』です。
震災前に亡くなった従兄弟と話せたらと、
いらなくなったボックスをもらい、
設置したといいます。
その後起きた東日本大震災で亡くなった身内をしのび、
話をしたくて電話をかけに、遺族の方が訪れるのです、
ダイヤル式の黒電話は繋がっていません、横にはノートが置かれ、
それぞれの思いが綴られていました。
亡くなった親、子供、夫、妻、兄弟に友人に
ダイヤルを回して語りかけるのです。、
受話器からはさやさやと風の音が聞こえるといいます。
いまだ見つからない息子に毎月電話をかけに来る母親がいました
泣けますね、
ボックスの中に小さなお地蔵さんがあり、
どうぞお持ちくださいと書いてありました。
小さな孫がおじいちゃんに話しかけていました、
「おじいちゃんなんて言っていた?」
「大きくなったねって言ってた。」
子供の自然な言葉に泣けました。
思いを断ち切らない気持ちを
心で語る、心をつなぐ電話です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/05/afe1aba61f26a0eaf1bebb375d4c4432.jpg)
私も弟と話しに行きたくなりました。
風の音を聞いたら
泣いちゃうな!きっと!
わたしはそこにいません ・・・
千の風になって ・・・
「千の風になって」をコーラスでも歌いました。
風の電話ボックスで、どんな会話が交わされているんでしょうね。
改めて多くの方々の冥福を祈ります。
いろいろなものを失いました。
でも皆にいろいろな思いを残しましたね。
「千の風になって」、だんだんさんの母上も
風になっていられるのですね、
身内を亡くすとよりあの歌しみじみと聞けます。
残されたものの気持ちが穏やかにありますようにと
祈りたいですね。
でも最近私は、この話題になると何も見ない前から
泣けてきてしまうんです、、、
涙腺が壊れたのかと思うくらいです、、、
わたし、最近ブロッコリーを茹でていたら父がこうして
マヨネーズつけて食べてなとふと思い出したら
たまらなく、元気だった頃の両親に無性に会いたくなり
泣けてきてしまったんですよ、、、
変でしょ、、
まだ見つからない方の遺族の方の事を思うと
きちんとお墓に入れてあげれたことに感謝ですね。
私たちもそうですから、
何もかも無くし、家族まで亡くし、被災された方は
立ち直ることが大変なことなのでしょう。
そうですね,ふとした事で会いたくなることありますね、
元気な頃の父の思い出たくさんありますが
20年間介護して、最後病院に間に合わず、
会いたくなります。
弟はもっとですが、夢にも出てきません(笑)
私も話したい人がたくさんいます。
復興が進まず、若い方は離れていきますね。
津波に放射能、
国もお手上げのようで、これからどうなるのでしょうか?
被災地の皆さんは自力で踏ん張ってきたんですね。
昨日は夜、ずっとテレビにくぎ付けで、いろんな思いがめぐりました。
いつか来るかもしれない震災、その時の自分を想像しながら・・・
話したい人・・・若いころの母親かなあ
コードが丸めて置いてあるのに、
受話器を持つと
自然に伝えたい思いが出てくるようです、
本がたくさん並んでいるミニ図書館があったり、
持ち主が話し相手になり、
すべてを話して、気持ちを整理して帰っていく人
いろいろのようです。
放射能問題がなければ
復興はもっと違っていたのかと!
強く復興を思う1日でしたね、
頑張って立ち直った人が多い中、
やはり身内を亡くした人は辛い年を重ねていくのでしょうね、
そう若い頃の母上ですか、
何を話しますか?
私はね、生きている母のに夢を時々見ますが、
いつも50代頃の母で、車椅子の母の夢見たことないのです、
いつも歩いています。
素敵なお話しにジーンときました。
bonjiさんの語りも上手く表現されていますね~。
被災され亡くなられた方には
それぞれのドラマがあり、ティッシュ片手の
テレビ前の一日でした。
ネットには出ていました、
知る人ぞ知るお話だったようです。
震災の後もTVを見ては、
あまりの切なさに涙、涙でしたが、
なかなか思うように進まぬ、復興、
人の別れ、
前に進まないといけないと頑張らないとと言う姿
泣いてしまいますね、