北朝鮮が韓国に砲弾を発射したという。
この件をもって、「ほらみろ、だから安保法制が必要なんだ」という意見がネット上にはちらほら見られるようだが、これはとんでもない話である。この“事件”は、集団的自衛権の行使を容認すべきという根拠ではありえない。むしろ逆といっていい。
そもそも、韓国には相当な数の米軍が駐留している。朝鮮半島有事を想定して、はっきりと北朝鮮を敵として想定し、日ごろから合同演習を繰り返し、これ以上ないぐらいに軍事的なけん制をくわえている。そこへ、北朝鮮は砲弾を発射してきたのである。その背景を考えるなら、この砲撃事件は、米軍の“抑止力”によって北朝鮮の行動が抑止されなかったということを示している。
北朝鮮のような国家が本当に攻撃しようと思ったら、相手がどんな体勢をとっていようが攻撃する。事実、米軍がにらみをきかせているにもかかわらず、北朝鮮は砲撃してきた。この事件は、むしろ、集団的自衛権が抑止力になどならないことの証明なのだ。
この件をもって、「ほらみろ、だから安保法制が必要なんだ」という意見がネット上にはちらほら見られるようだが、これはとんでもない話である。この“事件”は、集団的自衛権の行使を容認すべきという根拠ではありえない。むしろ逆といっていい。
そもそも、韓国には相当な数の米軍が駐留している。朝鮮半島有事を想定して、はっきりと北朝鮮を敵として想定し、日ごろから合同演習を繰り返し、これ以上ないぐらいに軍事的なけん制をくわえている。そこへ、北朝鮮は砲弾を発射してきたのである。その背景を考えるなら、この砲撃事件は、米軍の“抑止力”によって北朝鮮の行動が抑止されなかったということを示している。
北朝鮮のような国家が本当に攻撃しようと思ったら、相手がどんな体勢をとっていようが攻撃する。事実、米軍がにらみをきかせているにもかかわらず、北朝鮮は砲撃してきた。この事件は、むしろ、集団的自衛権が抑止力になどならないことの証明なのだ。
そもそも、日本が攻められたらどうなるかといった話に、日本が集団的自衛権の行使を容認しているかどうかは関係がないということを知るべきです。
集団的自衛権はほとんどの国にとってあってなきがごときものであり、それを行使しているのは大国風を吹かせたがる一部の国であり、そして行使されたときには攻撃した側もされた側も損害しか受けていない――というのが現実です。集団的自衛権などというものは、百害あって一利なしの代物なのです。
そもそも、“保持”はともかく、多くの国は集団的自衛権を積極的に“運用”はしていません。このことは、どこかの国が攻撃されて、それに応じて第三国が応戦した……というようなニュースを日ごろほとんどまったく聞かないことからもわかるでしょう。多くの国にとって、集団的自衛権というのは、持っていても使わない、使えないものなのです。それは、多くの国がバカではないからです。バカでないから、むやにみ集団的自衛権などふりかざさないのです。
それに対してアメリカは、積極的に集団的自衛権を行使しますが、その結果として、地域を不安定化し、むしろ情勢を悪化させ、しかも自国の国力を低下させるということを繰り返してきました。その最たる例がベトナム戦争ですが、ほかにも1970年代から80年代にかけての中南米諸国への介入もひどいものです。社会主義勢力の浸透を防ぐために集団的自衛権を口実として行った軍事介入でしたが、それから二十年も経つと中南米には反米左派政権がひしめていました。まさに、バカのなせるわざといっていいでしょう。
もう一つ、NATOの例も挙げておきましょう。NATOは冷戦時代においても一度も集団的自衛権を行使することはありませんでした。彼らが初めてそれを行使したのは、21世紀に入って、アメリカのアフガン攻撃につきあったときです。このアフガン戦争に参加した結果、参加国は少なからぬ戦死者を出し、しかもアフガンという国の治安を最悪レベルの状態にし、周辺地域を不安定化させたばかりでなく、ヨーロッパ各地でもテロの危険を高め、実際にシャルリ・エブド事件のようなテロにさらされる状況を招きました。いまなおイスラム過激派の勢力は弱まるどころかかつてないほどに拡大していますが、これが集団的自衛権を行使した結果なのです。これらの事例をみれば、「集団的自衛権の行使」というのがじつはかなり危険な愚行だということがわかるでしょう。
ありとあらゆる国々の政府は、みんなバカばっかりなんですかね?