1月7日、民主党の蓮舫代表代行が、参院本会議後の記者会見で次のように発言した(朝日新聞電子版より)。
参院本会議で、安倍総理の答弁をじっくり聞かせてもらった。一言で言えば品がない、誠意がない、謙虚さがない。安倍総理の特性だと思ったが、いいことがあったときは自分のおかげ。自分にとって都合が悪いのは、全部民主党と他者の責任と改めて思った。
今日の答弁で耳を疑ったのは、安倍総理は3万円の一回こっきりの(低所得の高齢者らに配る臨時)給付金に対し、「一回きりです。だからバラマキに当たりません」と答弁した。総理の考えるバラマキとは一体何かをしっかり問わなければいけない。
この発言は、うまいところを突いていると思う。
安倍晋三という人は、とにかく品性がないのである。人間が持ちうる性質のなかでも、差別意識とか思い上がりとか、とりわけ卑しい部分ばかりを集めて出来上がったような人間なのだ。
そしてそれが、悲しいことにある種いまの日本社会を映し出す鏡でもある。この十数年ぐらいの日本をみていると、差別やそねみ、憎悪、野蛮さ、嗜虐心といった人間のダークサイドが、いっせいに噴き出してきたように私には感じられる。弱い立場に立たされている人間をみると、薄ら笑いを浮かべて足蹴にするような感覚――そういった負のエネルギーが、社会に充満し、滞留している。それが結晶化して、安倍政権というものができあがっているわけである。
これをどこかで反転させていかないと、この国は砂漠になってしまう。
しかし、そうならないための道はある。「負のエネルギーが滞留し、充満している」と先ほど書いたが、それはあくまでもごく一部の人のことだと私は考えている。ただ、そのごく一部の人たちは大声でわめきたてる習性を持っているので、なんだか世の中全体がそうなっているように見えてくるのである。ここをまず認識しなければならない。世の中の大多数は、憎悪の側に立ってはいない。ただ、沈黙しているだけなのだ。沈黙しているから、自分たちの側が圧倒的に大多数であることに気づかない。
実際には、憎悪や差別を喧伝する少数派の暴走を止めるには、サイレントマジョリティがほんの少し動くだけで十分なのである。そして、なんのリスクを負うこともなく意思表示するために、選挙という制度がある。この夏に参院選があるわけだが、そこで暴走を止めることは可能なのだ。逆に、「どうせ選挙にいっても無駄だ」というふうにその機会をふいにしてしまえば、“わめきたてる少数派”がさらに暴走していくことになる。そしておそらく、時が経つにつれて、それを止めるのはより困難になっていくであろうと思われる。この国が砂漠になってしまわないよう、“多数派”の良識ある行動を期待したい。
参院本会議で、安倍総理の答弁をじっくり聞かせてもらった。一言で言えば品がない、誠意がない、謙虚さがない。安倍総理の特性だと思ったが、いいことがあったときは自分のおかげ。自分にとって都合が悪いのは、全部民主党と他者の責任と改めて思った。
今日の答弁で耳を疑ったのは、安倍総理は3万円の一回こっきりの(低所得の高齢者らに配る臨時)給付金に対し、「一回きりです。だからバラマキに当たりません」と答弁した。総理の考えるバラマキとは一体何かをしっかり問わなければいけない。
この発言は、うまいところを突いていると思う。
安倍晋三という人は、とにかく品性がないのである。人間が持ちうる性質のなかでも、差別意識とか思い上がりとか、とりわけ卑しい部分ばかりを集めて出来上がったような人間なのだ。
そしてそれが、悲しいことにある種いまの日本社会を映し出す鏡でもある。この十数年ぐらいの日本をみていると、差別やそねみ、憎悪、野蛮さ、嗜虐心といった人間のダークサイドが、いっせいに噴き出してきたように私には感じられる。弱い立場に立たされている人間をみると、薄ら笑いを浮かべて足蹴にするような感覚――そういった負のエネルギーが、社会に充満し、滞留している。それが結晶化して、安倍政権というものができあがっているわけである。
これをどこかで反転させていかないと、この国は砂漠になってしまう。
しかし、そうならないための道はある。「負のエネルギーが滞留し、充満している」と先ほど書いたが、それはあくまでもごく一部の人のことだと私は考えている。ただ、そのごく一部の人たちは大声でわめきたてる習性を持っているので、なんだか世の中全体がそうなっているように見えてくるのである。ここをまず認識しなければならない。世の中の大多数は、憎悪の側に立ってはいない。ただ、沈黙しているだけなのだ。沈黙しているから、自分たちの側が圧倒的に大多数であることに気づかない。
実際には、憎悪や差別を喧伝する少数派の暴走を止めるには、サイレントマジョリティがほんの少し動くだけで十分なのである。そして、なんのリスクを負うこともなく意思表示するために、選挙という制度がある。この夏に参院選があるわけだが、そこで暴走を止めることは可能なのだ。逆に、「どうせ選挙にいっても無駄だ」というふうにその機会をふいにしてしまえば、“わめきたてる少数派”がさらに暴走していくことになる。そしておそらく、時が経つにつれて、それを止めるのはより困難になっていくであろうと思われる。この国が砂漠になってしまわないよう、“多数派”の良識ある行動を期待したい。