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軍事同盟で抑止力が高まるなどということはない

2016-07-03 16:01:35 | 安全保障
 以前当ブログでは、「抑止力は幻想に過ぎない」という記事を掲載した。
 ameba のほうでやっているブログやこのgoo のブログに対するコメントに対して書いた記事だったが、今回はその続編としてameba に投稿した記事を転載する。軍事同盟が抑止力になることもないというという内容である。


■軍事同盟で戦争を防ぐことなどできないのは、歴史上あきらか
 ここでも、机の上の理論や記号を用いたシミュレーションなどではなく、歴史上の実例に基づいて考えます。
 歴史上の実例をみてみれば、軍事同盟がまったく戦争の抑止にならないことがはっきりとわかります。

 まず、第一次世界大戦のことを考えてみましょう。
 第一次世界大戦は、1914年にセルビアとオーストリアの間ではじまりましたが、このときセルビアはイギリスと同盟していました。
 当時のイギリスは、世界屈指の大国です。ややその力に翳りが見えはじめていたとはいえ、まだ世界中に多くの植民地を持ち、“大英帝国”の面影を残してはいました。しかし、その大英帝国との同盟が抑止力になってはいないのです。

 次に、第二次世界大戦について。
 第二次大戦は、1939年にドイツがポーランドに攻め込んだことではじまりましたが、このときポーランドはイギリスと同盟していました。デジャヴです。ここでもやはり、イギリスとの同盟はドイツの侵攻を食い止める抑止力になっていません。

 セルビアはイギリスと同盟していたし、ポーランドもイギリスと同盟していた。
 しかし結局、抑止力が働くことはなく、世界大戦が起きた。しかも30年ほどの間に二度も。軍事同盟など、なんのあてにもならないということがわかります。ひとたび戦争が起きるような状況が生じれば、いくら軍備を増強しようが、同盟を結ぼうが、そんなことでは止められないのです。

 ついでにいうと、二度の世界大戦どちらのケースにおいても、イギリスは開戦当初は同盟相手であるセルビアやポーランドを積極的に救援しようとはしませんでした。自国が巻き込まれるのが不可避な状況になってから、ようやく本格的に動き出しています。特に第二次大戦ではその姿勢が顕著で、結局のところ開戦初期の段階でポーランドは全土を制圧されています。

 次に、イギリスつながりで、今度は日英同盟について考えてみましょう。
 20世紀のはじめごろ、およそ20年間にわたって、この条約は存在していました。では、それによって、日本やイギリスは戦争をせずにすんだでしょうか?
 明らかにノーです。
 この同盟の存続期間中に、日本もイギリスも戦争をしています。しかも、小競り合い程度のものではなく、日露戦争、第一次世界大戦という大戦争です。
 軍事同盟は、たかだか20年間戦争を防ぐ役割さえ果たしていないのです。

 ついでに第二次大戦と日本のかかわりで言えば、その当時の日本はドイツやイタリアと同盟していたわけです。ではこの三カ国が三国同盟のおかげで戦争をせずにすんだのか、ということになってきます。ここでも、同盟によって戦争が防がれることにならないのは明白でしょう。

 こんなふうに書いてくると、いやそれは昔の話じゃないか、という反論があるかもしれません。
 昔はそうだったろうけれど、いまのアメリカと同盟を結んでいれば抑止力になるじゃないか、という人がいるかもしれません。
 では、アメリカと同盟していれば戦争は起きないのか。
 それも、ベトナム戦争という史実によって否定されます。
 南ベトナムはこれ以上ないぐらいアメリカと一体化していましたが、そのアメリカとの一体化は抑止力にならず、北ベトナムとの泥沼の戦争の末に南ベトナムは敗戦し、消滅しました。また、ついでにいっておくと、ベトナム戦争はいわゆる「核抑止力」を否定する史実でもあります。

 もっとわかりやすい例は、9.11テロでしょう。
 世界最大の軍事力をもつアメリカが、NATOという強力な軍事同盟に加わっているのですから、もし抑止力というものがあるとしたら、これ以上ないぐらい強い抑止力が働いているはずです。しかし、そのアメリカが、タリバン政権下のアフガニスタンというとるに足らない小国から攻撃を受けているのです。

 これらの歴史的事実から、軍事同盟によって戦争が防がれるという考えもはっきり否定されます。
 軍事同盟によって抑止力が発生することなどないのです。


■「共通の敵がいるから結束する」という理屈も成り立たない
 また、「第二次大戦後に西欧諸国が戦争をしなくなったのは、ソ連という強大な敵がいたためにそれに対抗する必要から結束していたためだ」という意見がありますが、これも私は成り立たないと考えます。
 なぜなら、勢力均衡の考え方においては、同盟関係は常に流動的なものであり、「共通の敵がいるから」といって結束し続けられるものではないからです。

 歴史上の実例として、たとえば19世紀後半のフランス包囲網のことを考えればわかります。

 普仏戦争の後、ドイツ、オーストリア、ロシアが三帝協商というものを形成していました。
 これは、フランスを孤立させるために、“鉄血宰相”と呼ばれたドイツのビスマルクが主導したものです。
 しかし、フランス包囲網に加わった諸国が一致結束していられたのは、ほんの10数年ほどでしかありませんでした。ロシアとオーストリアがバルカン半島進出をめぐって対立したことからこの包囲網は瓦解し、三帝協商から離脱したロシアは、それまで敵だったフランスと手を組んだのです。

 歴史をみれば、こんなふうに敵が味方に、味方が敵に、という例はいくらでも見出せます。
 「共通の敵がいるから結束する」というのは、一面では正しいでしょう。
 しかし、もしその同盟内部で対立が生じたら、その同盟を離脱してそれまで敵だった側と手を組むという選択肢もあります。実際、そういうことは勢力均衡の考え方のもとではしょっちゅう行われてきました。

 したがって、もし英独仏といったかつての列強諸国が第二次大戦後もパワーバランス的な外交を続けていたとしたら、たとえばドイツがフランスと対立したら、フランスと手を切ってソ連と手を組むということだってできたわけです。
 このとき、イデオロギーの違いは問題になりません。
 実際、第二次大戦のときには戦略上の必要から資本主義諸国がソ連と手を組んでいるのであり、パワーバランスという発想のもとでは、イデオロギーの違いなど二の次となるのです。
 このように考えてくれば、西欧諸国が互いに対立しなかったのは、ソ連という敵がいたからだとはいえません。

 また、「ソ連という共通の敵がいたから戦後の西欧諸国は結束していた」というのは、一面ではあきらかに事実に反しています。
 というのも、フランスが、独自外交路線をとってNATOに加盟していなかった時期があるからです。西側諸国が、NATOという軍事同盟のもとで常に東側に対して結束していたわけではないのです。
 そんなのたかだかフランス一国のことじゃないかと思うかもしれませんが、そうともいえません。フランスは安保理常任理事国であり、かつての列強であり、第二次大戦以前はヨーロッパにおける戦争の常連でした。そのフランスがNATOに加盟していない状態は、「西欧諸国が結束しているとはいえない」というのに十分です。

 ついでにいっておくと、西欧諸国同士での“戦争”は生じていませんが、東側陣営では陣営内部での衝突が結構起きています。
 ソ連がハンガリー、ルーマニア、アフガニスタンなどに軍事干渉した例があります。この点からも、「同じ陣営内にいるから対立が起きない」とはいえません。やはり、英独仏西といったかつての列強諸国が戦争をしなくなったのは「同じ陣営内にいて、共通の敵がいるから」ではないのです。むしろ事態は逆で、西欧諸国同士での対立がなくなったためにイデオロギーによる東西の対立が固定化されたとさえ私は考えています。「共通の敵に対して同盟しているから対立しなかった」のではなくて、「対立が生じないから同盟が長期にわたって存続し、結果として共通の敵が共通の敵であり続けた」ということです。


■なにが本当に戦争を抑止するのか
 おそらく、抑止力論者の次なる反論は「ではなぜ日本や西欧諸国は戦争をせずにすんでいるのか」というものでしょう。

 私にいわせれば、それが抑止力のおかげだという考え方が根本的に間違っています。
 これは前に書いたこととも重複しますが、第二次大戦後、いわゆる列強諸国が互いに戦争をしなくなったのは、経済的な理由などにくわえて、領土不拡大、民族自決、無賠償・無併合……といった第二次大戦以前には実現することのなかった理念がある程度実現したためです。それまで軍事同盟で戦争を防ぐことなどまったくできていなかったのですから、そう考えたほうがはるかに合理的です。

 具体例として、先ほど出てきたフランス包囲網のことを考えればわかります。
 フランス包囲網を崩壊させたのは、バルカン半島進出をめぐるオーストリアとロシアの対立でした。つまり、植民地獲得競争が背後にあったのです。そしてこの対立が、第一次大戦にまで尾を引いています。もっといえば、イタリア・ドイツと英仏などの対立の根底にも、アフリカや中東の植民地をめぐる争いがありました。植民地獲得競争が第一次世界大戦の大きな原因の一つであることは疑いようがありません。そして、第二次大戦もある程度まではそうでしょう。
 しかし、第二次大戦後には、民族自決、領土不拡大といった理念が次第に認められるようになり、表立って植民地を作ることはできなくなりました。そのため、露骨な植民地獲得競争もなくなります。つまり、「植民地獲得競争」という、戦争を引き起こす大きな原因のひとつがなくなった。そのために、列強諸国が戦争をする理由がなくなったので、戦争が起こりにくくなった……そう考えるのが合理的です。もちろんそれがすべてではありませんが、一つの大きな要因であるのは間違いないと私は考えます。


■安保法など何の意味もない
 以上のように考えてくれば、「軍事同盟で抑止力が高まる」という発想はまったくナンセンスであることがわかります。
 たとえば、現在の中国や北朝鮮の行動がその証拠です。
 日本がいかにアメリカとの同盟を深化させるなどといったところで、それで相手が怯んで行動を抑制するなどということはまず考えられません。実際に、日・米・韓などでいくら合同軍事演習などしても、北朝鮮や中国の行動はいっこうに抑制されていません。むしろ、エスカレートしています。当ブログでは何度もいってきたことですが、日本近海での中国艦船の行動や北朝鮮のミサイル発射は、軍事同盟で抑止力が発生することなどないという証拠なのです。過去の歴史をみてもそうだったし、現代でもそうです。
 「日米同盟を深化させて抑止力を高める」などといって安保法が出てきたわけですが、その安保法が施行されても、中国の公船は尖閣周辺の領海侵犯を繰り返していますし、軍艦が接続水域に近づくなどしています。しかも、尖閣だけでなく大東島などでも中国軍艦が接続水域を航行するということがありました。そして、北朝鮮は北朝鮮で、相も変わらずミサイル発射を繰り返しています。「あれ? 抑止力は……?」という話になってくるわけです。軍事同盟を強化したところで抑止力になどならないという実例を、私たちはまさにいま目の当たりにしているのです。


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