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安保法強行採決から半年 進む民主主義再生への動き

2016-03-19 15:33:28 | 政治
 今月も、民主主義・立憲主義の月命日である19日がやってきた。

 早いもので、安保法の強行採決から半年が経過したことになる。
 この一、二ヶ月で、市民連合・野党共闘の動きはかなり進展してきたが、そのペースは、はやまりこそすれ、まったく衰える気配をみせない。
 今月になって、関西市民連合が誕生。SEALDs KANSAI 、SADL といった団体や、学者の会、ママの会などの有志らで結成し、関西にある参院の一人区(奈良・和歌山・滋賀)で野党候補の一本化を促すなどの活動をしていくという。

 徳島・高知合区でも、野党統一候補が実現しそうだ。
 民主党の候補を推す両県の市民団体が連携にむけた協定案をまとめ、社民・共産がこれを了承したという。市民団体の積極的な活動によって野党共闘が実現した好例といえるだろう。 

 私の地元福岡では、北九州にもママの会ができたそうで、これでいよいよ福岡県全域にママの会が広まってきた様相である。しかも、そのほとんどは安保法採決後からこれまでの半年の間にできているのである。
 九州の動きとしては、宮崎で野党候補一本化が進んでいる。当ブログで一度紹介したとおり宮崎では「市民連合みやざき」が誕生しているが、この動きもあってか、先日野党統一候補擁立の動きに大きな進展があった。共産党が候補を取り下げ、宮崎では野党共闘が完全成立しそうだ。また、沖縄でも、オール沖縄で伊波洋一氏を擁立する動きが進み、「歯舞」を読めなかったあの大臣と対決する方向である。

 政界側の動きとしては、民主・維新の合流がいよいよ「民進党」という具体名を決定するところまで進展した。国民の間に“民主嫌い”はまだまだ根強く、看板のかけかえでそれがどこまで払拭できるかは未知数だが、ともかくも野党共闘の大きなステップとして歓迎したい。

 一方、このような野党の動きに対して与党は警戒を強め、けん制するような発言や「選挙目当ての野合」といった批判を繰り返しているが、「野合」というのはまったく的外れな批判である。安倍総理は、みずからに対する批判をしばしば“レッテル貼り”と呼んでかわそうとしてきたが、「民共合作」などというのは“レッテル貼り”の最たるものだろう。
 しかし、「民共合作」という言い方は、ある種、いいえて妙というところもある。この言葉は、いうまでもなく、かつて中国で国民党と共産党が手を組んだ「国共合作」を意識した表現だが、この故事からは学ぶべきことがある。
 激しく対立していた国民党と共産党がなぜ手を組んだかといえば、それは日本が大陸に侵攻してくるのに対抗するためだ。日本の勢力がどんどん中国に侵入してくる。このままでは、まずい。だから、一時的に対立は棚上げにして、まずは国が直面している最大の脅威に対処しよう――ということである。合作が必ずしも完璧には機能せず仲間割れのようなことがあったのも事実だが、国民党と共産党が対立したままでいたら、中国はもっと広い範囲が侵略にさらされていたかもしれない。
 いまの日本の話に戻ると、野党が共闘しているのは、安倍政権という日本が直面している最大の脅威を除去するためだ。別に民主党と共産党がそんなに激しく対立していたわけでもないが、少なくとも水と油の関係であることはたしかで、そんな両党が手を組まなければならないぐらい今の状況は危機的だということなのである。
 そのように危機的な状況では、対立する陣営が手を組むというのも当然だ。そして、選挙においては、候補を取り下げて票の分散を避けるというのは有効な手段であり、現状を考えれば野党各党はそれぐらいやらなければ話にならないのである。

 それに似た例として、たとえばすこし前に、ブルームバーグ前ニューヨーク市長が、アメリカ大統領選への立候補をとりやめるということがあった。
 これは、“トランプ大統領”という悪夢が現実のものになる可能性をすこしでも下げるためである。このままでいくとトランプ氏が共和党候補になる可能性が高く、その状態でもし自分が立候補すれば、そのぶん票が分散し、結果としてトランプ候補が大統領になる可能性を高めることになる(アメリカの大統領選では、そのような例が過去にいくつかある)。それを避けるために、ブルームバーグ氏は出馬を断念したのだ。英断といっていいだろう。トランプ氏のような無茶苦茶な人物が大統領になってしまうような危機があるなら、一時的に自分の信念や政治信条をわきにおいてでもそれを阻止するのが政治にかかわる人間としての責任である。ここでまた日本の話に戻ると、プチトランプのような総理大臣のやりたい放題を許してしまっているいまの状況をどうにかするために政治家として当然の責任を果たしているのであって、“野合”などという批判はあたらない。

 有権者の声にこたえる形で、野党は一部自分たちに痛みを強いるような決断もくだしている。今度は、もっと幅広い国民がそれに応える番ではないだろうか。


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