自民党の高村正彦氏が、またトチ狂ったことをいっている。民主党は、刹那戦術的空想的平和主義だというのである。
彼によれば、社民党は「空想平和主義」であり、共産党は「戦略的空想的平和主義」かもしれず、自民党は「現実的平和主義」なのだそうだ。まったくばかげた話ではないか。
民主党のことはともかくとして、自民党が「現実的平和主義」だというのは事実に反している。私にいわせれば、自民党の主張こそ「空想的平和主義」である。このことを説明するために、前回北朝鮮の“事実上の弾道ミサイル”発射について書いた記事の内容を少し補足しておきたい。
前回私は、北朝鮮の核実験、“ミサイル”発射は、米韓同盟、米軍のプレゼンスが抑止力として機能していない証拠だと書いた。なぜかといえば、米軍が韓国と一緒になって威圧を続けるなかで核実験が行われたのであり、その核実験を受けてさらにプレッシャーを強めるなかでそれを無視するかのようにミサイル発射が強行されたからだ。もし米韓同盟や集団的自衛権が抑止力になるというなら、北朝鮮は挑発的な行動をとっくにしなくなっているはずではないか?
考えてもみてほしい。
アメリカという国は、これまでに実際に集団的自衛権を何度も行使してきている。そのアメリカが韓国と一緒になって、北朝鮮にプレッシャーをかけている。核実験の後には、B52戦略爆撃機を派遣しもした。こうした行動は、一般的に、それ以上北朝鮮の行動がエスカレートするのを阻止するためと説明される。しかし、それらは北朝鮮の振舞いをなんら変化させていないのだ。
もう少しいうと、アメリカは過去に実際に気に食わない国を攻撃してきたという“実績”をもっているわけだが、その事実があってさえ、それは北朝鮮に対する抑止力として機能していないのである。これで、日本が「集団的自衛権を行使します!」などといったところで抑止力になどなろうはずもない。抑止力論者は、存在しないものを存在すると思い込んでいるのだから、まぎれもなく「空想的平和主義者」なのである。
ここで、話をよりわかりやすくするために、逆の立場に立って考えてみよう。
北朝鮮が核開発を進めているのは、核による“抑止力”をもつためだ。核開発によって、抑止力を高め、それによって体制を維持しようという意図がある。
では、北朝鮮が核開発を進め、核を小型化し、弾道ミサイルの性能を向上させたら、そのぶんだけわれわれは北朝鮮に対して何も文句をいわなくなるのだろうか? 抑止力を認めるということはそういうことである。
もちろん、実際にはそんなことはありえない。
北朝鮮が核開発を進めればすすめるほど、周辺諸国は北朝鮮を危険視するようになり、よりハードにあたるようになる。つまり、北朝鮮が「抑止力」のつもりでやっていることは、まったく「抑止力」になっていないどころか、むしろ自国をより危険にしているのだ。これが、抑止力論のもつ欺瞞である。
北朝鮮がいくら“抑止力”といって核開発やミサイル開発を進めたところで、それは自国をより危険にするだけである。それと同様に、こちらがいくら「抑止力」といって集団的自衛権などの整備を進めたとしても、それは抑止力として機能することはない。それは、実際に機能していないことで証明されている。世界で現実に起きているできごとを踏まえれば、「抑止力によって平和が守られる」という考え方こそ「空想的平和主義」にほかならないのだ。
彼によれば、社民党は「空想平和主義」であり、共産党は「戦略的空想的平和主義」かもしれず、自民党は「現実的平和主義」なのだそうだ。まったくばかげた話ではないか。
民主党のことはともかくとして、自民党が「現実的平和主義」だというのは事実に反している。私にいわせれば、自民党の主張こそ「空想的平和主義」である。このことを説明するために、前回北朝鮮の“事実上の弾道ミサイル”発射について書いた記事の内容を少し補足しておきたい。
前回私は、北朝鮮の核実験、“ミサイル”発射は、米韓同盟、米軍のプレゼンスが抑止力として機能していない証拠だと書いた。なぜかといえば、米軍が韓国と一緒になって威圧を続けるなかで核実験が行われたのであり、その核実験を受けてさらにプレッシャーを強めるなかでそれを無視するかのようにミサイル発射が強行されたからだ。もし米韓同盟や集団的自衛権が抑止力になるというなら、北朝鮮は挑発的な行動をとっくにしなくなっているはずではないか?
考えてもみてほしい。
アメリカという国は、これまでに実際に集団的自衛権を何度も行使してきている。そのアメリカが韓国と一緒になって、北朝鮮にプレッシャーをかけている。核実験の後には、B52戦略爆撃機を派遣しもした。こうした行動は、一般的に、それ以上北朝鮮の行動がエスカレートするのを阻止するためと説明される。しかし、それらは北朝鮮の振舞いをなんら変化させていないのだ。
もう少しいうと、アメリカは過去に実際に気に食わない国を攻撃してきたという“実績”をもっているわけだが、その事実があってさえ、それは北朝鮮に対する抑止力として機能していないのである。これで、日本が「集団的自衛権を行使します!」などといったところで抑止力になどなろうはずもない。抑止力論者は、存在しないものを存在すると思い込んでいるのだから、まぎれもなく「空想的平和主義者」なのである。
ここで、話をよりわかりやすくするために、逆の立場に立って考えてみよう。
北朝鮮が核開発を進めているのは、核による“抑止力”をもつためだ。核開発によって、抑止力を高め、それによって体制を維持しようという意図がある。
では、北朝鮮が核開発を進め、核を小型化し、弾道ミサイルの性能を向上させたら、そのぶんだけわれわれは北朝鮮に対して何も文句をいわなくなるのだろうか? 抑止力を認めるということはそういうことである。
もちろん、実際にはそんなことはありえない。
北朝鮮が核開発を進めればすすめるほど、周辺諸国は北朝鮮を危険視するようになり、よりハードにあたるようになる。つまり、北朝鮮が「抑止力」のつもりでやっていることは、まったく「抑止力」になっていないどころか、むしろ自国をより危険にしているのだ。これが、抑止力論のもつ欺瞞である。
北朝鮮がいくら“抑止力”といって核開発やミサイル開発を進めたところで、それは自国をより危険にするだけである。それと同様に、こちらがいくら「抑止力」といって集団的自衛権などの整備を進めたとしても、それは抑止力として機能することはない。それは、実際に機能していないことで証明されている。世界で現実に起きているできごとを踏まえれば、「抑止力によって平和が守られる」という考え方こそ「空想的平和主義」にほかならないのだ。