『五体不満足』などの著書で知られる乙武洋匡氏が、今夏の参院選に自民党から立候補するという。
朝日新聞によれば、東京選挙区か比例区から出馬という方向で最終調整していて、4月にも正式に発表する予定だそうだ。
乙武氏は生まれつき手足がないという障がいをもっており、その経験をもとにして執筆活動を行うなど活躍しているということで、安倍政権がかかげる“一億層活躍”に合うとして自民党の「目玉候補」に浮上したとのことだ。
前回、今井絵理子氏が出馬を表明したときにも書いたが、なんでまた自民党から出馬するのかという話である。
細かいことは以前書いたので繰り返さないが、自民党の目指す国家像は「国民が国家に奉仕する」というものであり、それが実現したら障がいをもっている人は冷たい視線を注がれることになるのは疑いようがない。実際に、安倍総理が敵視する“戦後レジーム”になる前の戦時中の日本は、障がいを持っている人たちを“ゴクつぶし”として非国民あつかいしていた。
いまの安倍政権は、なりふりかまわず選挙対策に走っている。高齢者相手にカネをばらまき、辺野古問題では和解で一時問題を棚上げし、“タレント候補”というお決まりの手段にも手を出している。特に、今井絵理子氏と今回の乙武氏は、“障がい”というキーワードでつながっているが、これもまたイメージ戦略でしかないと私は考えている。
障がいがあっても差別を受けることなく生活できる社会にしていくことは、もちろん重要である。
だが、これまでにも書いてきたとおり、自民党の目指す国家はそれとは正反対にあるものだ。
自民党にとっての“理想の国家”とは、国民が国家に従属し、国家のために国民の犠牲をいとわないという国である。歴史をみれば、そのような国は障がい者を「国家に奉仕せずに資源を浪費するだけのお荷物」とみなすようになるのはあきらかだ。
もちろん、いまの自民党はそんなことは口にしない。それは、選挙前だからだ。選挙の前だから、なるべくソフトにみえるようにしているにすぎない。選挙の前だけ、「私たち、障がいのある人にもやさしいですよ」「辺野古でも和解しましたよ」「保育もきちんとしますよ」と人のよさそうな顔をしておいて、選挙が終われば、またもとの顔にもどって、集団的自衛権とか改憲とかそういうことばかりやるようになるのは、あきらかだ。
日本の有権者は、くれぐれも、こんなみえすいた選挙シフトのイメージ戦略にだまされてはいけない。だまされて後で痛い目をみるのは自分や自分の子供、孫たちなのだ。
朝日新聞によれば、東京選挙区か比例区から出馬という方向で最終調整していて、4月にも正式に発表する予定だそうだ。
乙武氏は生まれつき手足がないという障がいをもっており、その経験をもとにして執筆活動を行うなど活躍しているということで、安倍政権がかかげる“一億層活躍”に合うとして自民党の「目玉候補」に浮上したとのことだ。
前回、今井絵理子氏が出馬を表明したときにも書いたが、なんでまた自民党から出馬するのかという話である。
細かいことは以前書いたので繰り返さないが、自民党の目指す国家像は「国民が国家に奉仕する」というものであり、それが実現したら障がいをもっている人は冷たい視線を注がれることになるのは疑いようがない。実際に、安倍総理が敵視する“戦後レジーム”になる前の戦時中の日本は、障がいを持っている人たちを“ゴクつぶし”として非国民あつかいしていた。
いまの安倍政権は、なりふりかまわず選挙対策に走っている。高齢者相手にカネをばらまき、辺野古問題では和解で一時問題を棚上げし、“タレント候補”というお決まりの手段にも手を出している。特に、今井絵理子氏と今回の乙武氏は、“障がい”というキーワードでつながっているが、これもまたイメージ戦略でしかないと私は考えている。
障がいがあっても差別を受けることなく生活できる社会にしていくことは、もちろん重要である。
だが、これまでにも書いてきたとおり、自民党の目指す国家はそれとは正反対にあるものだ。
自民党にとっての“理想の国家”とは、国民が国家に従属し、国家のために国民の犠牲をいとわないという国である。歴史をみれば、そのような国は障がい者を「国家に奉仕せずに資源を浪費するだけのお荷物」とみなすようになるのはあきらかだ。
もちろん、いまの自民党はそんなことは口にしない。それは、選挙前だからだ。選挙の前だから、なるべくソフトにみえるようにしているにすぎない。選挙の前だけ、「私たち、障がいのある人にもやさしいですよ」「辺野古でも和解しましたよ」「保育もきちんとしますよ」と人のよさそうな顔をしておいて、選挙が終われば、またもとの顔にもどって、集団的自衛権とか改憲とかそういうことばかりやるようになるのは、あきらかだ。
日本の有権者は、くれぐれも、こんなみえすいた選挙シフトのイメージ戦略にだまされてはいけない。だまされて後で痛い目をみるのは自分や自分の子供、孫たちなのだ。