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吉永小百合「憲法9条を守って、武器ではなく対話で平和な世界を作っていきたい」

2016-06-19 19:37:25 | 日本を守るためのアクション 2016
 今月も、19日がやってきた。
 昨年の9月19日以来、当ブログでは毎月19日に安保法反対運動のことを書いてきたが、参院選前最後になる今日も、その例にならいたい。

 まずひとつ書いておきたいのは、今月「関西市民連合」が開いた意見交換会に、吉永小百合さんが寄せたメッセージだ。朝日新聞電子版の記事によると、市民連合のメンバーが吉永さんに集会参加を要請したところ、直筆のメッセージが寄せられたということである。そのメッセージは以下のとおり。


  今、私達はしっかり考えて行動しなければいけない時です。
 戦争をする国になってはいけない。憲法9条を守って、武器ではなく対話で平和な世界を作っていきたい。私は強くそう思います。
 初めて選挙権を持つ十代の皆さんもぜひ投票して、あなた達の思いを考えを一票に託して下さい。
      吉永小百合


 吉永さんがこのように発言しているということは、非常に心強い。


 以前も書いたとおり、参院選の情勢は実際のところ野党側にかなり厳しい。情勢調査でも、自公の勝利とするものが多いようだ。
 だが、あきらめてはいけない。あきらめてしまえば、そこですべてが終わり、日本は闇に引きずり込まれていってしまう。まさに「今、私達はしっかり考えて行動しなければいけない時」なのだ。そこで、今回はあらためて安保関連法がいかに有害無益なものかということを書いておきたい。

 「自分の国は自分で守れるようにするべきだ」という人がいる。
 しかしこれは、集団的自衛権の行使容認を支持する理屈としては的外れである。「自分の国を自分で守る」というのは個別的自衛権であり、集団的自衛権とは関係がない。集団的自衛権というのは、「よその国が攻撃されたときに直接攻撃されていない国がそれを自国に対する攻撃とみなして反撃する権利」である。つまり、日本が攻撃されたわけではないのにどこかの二国間でおきた衝突に日本が介入していくということだ。
 ちょっと考えればわかるとおり、二国が紛争しているところに第三者が介入していけば、事態はよりややこしくなるだけで、収束することにはならない。そして、はじめに対立していた当事者の片方に助太刀が入れば、もう片方にも同じように助太刀が入ってくる可能性が高い。こうして、はじめは二国の争いにすぎなかったものが、四国の争いになり、ときにはさらに多くの国々が介入してきて紛争は泥沼化していく。当ブログでは、「集団的自衛権行使事例を検証する」というシリーズを書いてきたが、これは実際に集団的自衛権が行使された多くの事例でみられたことである。

 実際の事例に即してもうひとついっておくと、集団的自衛権は「自衛」という言葉が使われてはいるが、実際には大国が小国に軍事介入していく口実として利用されてきた。
 集団的自衛権の根拠とされる国連憲章51条には「この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。」とあり、実際に報告されてきた事例が15個ほどある。先述した当ブログの「集団的自衛権行使事例を検証する」では、そられの一つ一つを検証してきた。その例というのは、たとえばベトナム戦争やソ連による周辺諸国への軍事干渉、アメリカによるニカラグアへの軍事干渉などであった。これらの事例からわかるのは、集団的自衛権をめぐって日本で行われていた議論は過去の事例から相当かけはなれたものであり、実際には集団的自衛権とは「防衛」ではなく「攻撃」のための権利であるということだ。昨年の安保国会で旧維新の小野議員が指摘したように、純粋に自国の防衛のために行使された例はひとつもない。

 そして、安保関連法が抑止力になるという考え方にも、当ブログは疑念を呈してきた。
 抑止力というのはつまり、軍事力が高まることで相手が行動を躊躇するようにしようということである。政府与党は、安保関連法によって抑止力が高まるとしてきた。たとえば、昨年7月安保法審議の際に沖縄で行われた参考人質疑で、与党推薦の参考人は、尖閣諸島周辺で中国船舶の領海侵入が頻発していることを指摘して、安保法が「日本の平和・安全をより確かにする」と評価した。
 しかし、それから一年が経ってみて、どうだろうか? 安保関連法は施行されたが、それによって状況は変わったのだろうか? 中国船舶の領海侵入は依然として頻発している。どころか、これまではなかった軍艦による接続水域の航行という事態が立て続けに発生した。ついでにいえば、北朝鮮も以前と変わらずミサイル発射を繰り返している。これで安保法が「日本の平和・安全をより確かに」したなどといえるだろうか?
 当ブログでは以前、「抑止力は幻想にすぎない」という記事を書き、歴史をみれば軍事力で戦争を防ぐなどということはまったくできてないことを指摘した(http://blog.goo.ne.jp/booradley/e/7004969ee86cb0c66392137a7b1eeae7)が、いままさに、私たちはその実例を目の当たりにしているのである。軍事力をいくら高めたところで、それで安全が保障されることなどありえない。過去の歴史をみてもそうだし、現代でもそうである。安保法などというものは、百害あって一利なしの代物なのである。


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