最近、政治家とメディアの関係が問題となっている。
たとえば、昨年の衆院解散の際に安倍首相がTBSの報道番組に出演した際に、街頭インタビューの内容に偏りがあるとして「おかしいじゃないですか」などと発言したことが問題視された。今年になって衆院の予算委でこれについて批判されると、安倍首相は自分には言論の自由があるのだといった。
私は、この発言に対して強い違和感をぬぐえない。
先の発言に対して民主党の岡田代表は、憲法は権力を縛るものであり、「憲法の言論の自由があるから縛られない」というのは憲法観が根本から間違っている、と批判している(※)。私も、そのとおりだと思う。
政治家になれば、言ってはならないこと、やってはならないことがいくつもある。権力というのは大きな虎のようなもので、好き勝手に振舞えば、周りにいる小動物を怯えさせたり、あるいは押しつぶしてしまったりするかもしれない。虎が寝返りを打ってたまたまそこにいたネズミが押しつぶされて死んでしまったとしたら、自分にそんなつもりはなかったといっても通用しない。そんなことにならないように、権力は幾重にも縛りをかけたうえで、さらに権力を持つ者は慎重な言動を要求される。すなわち、公人は、言論の自由も制限されるのが当然なのだ。安倍首相(とその仲間たち)はそこを履き違え、国民には義務を押し付けようとしながら、自分たちは声高に権利を主張している。
そもそもが逆だと私は考える。一般国民は権利を主張していいし、その権利は極力制限されるべきではないが、政治家は権利を制限されてしかるべきであり、自分たちの権利を主張するべきではない。政治家は義務の存在であり、一般国民は権利の存在なのだ。
自民党は昨日、テレビ朝日とNHKの幹部を呼び出し、聴取するという暴挙に出た。報道されるところによれば、BPO(放送倫理・番組向上機構)への申し立ても検討しているという。この一連の動きも、私にはたちの悪いジョークとしか思えない。これには、読売新聞も今日の朝刊の社説で疑念を呈しているが、何につけ政権よりの見解を示すことの多い読売新聞の社説でさえそういうことを書かざるを得ないほど、自民党の行動は常軌を逸しているのだ。
そもそもBPOは、一般人の権利を保障するために作られたものである。テレビによって民間人の人権が侵害されるような場合にその救済をはかるためのものであり、政治家の権利のために存在するものではない。
政治家がいそいそとBPOに申し立てをする姿は、お前ら何を勘違いしてるんだという話で、醜悪以外の何ものでもない。もし本当に申し立てがなされた場合、BPOは、甘ったれたことをいってんじゃねえと一蹴するべきである。
※3月13日の記者会見での発言。朝日新聞(電子版)より。同じ記事では、民主党側からの批判に対する菅官房長官の反論も報じられている。それによれば、「総理大臣の地位にある者についても表現の自由は保障される。(首相は)裏ではなくその場で放映された映像について、偽らざる強い違和感を吐露した。問題視するのはおかしい」ということである。
官房長官が総理大臣を擁護するのは当然といえば当然なのかもしれないが、それにしても菅官房長官の木で鼻をくくったような態度はいかがなものか。先日も、辺野古の基地移設について沖縄県側が出した作業停止指示を林農水相が無効としたことについて「公平・中立な立場から審査をした」と評したが、誰がどう考えても出来レースであるこの判断について「公平・中立」といってのける姿勢に、まるで北朝鮮のような気持ち悪さを感じるのは私だけだろうか。
たとえば、昨年の衆院解散の際に安倍首相がTBSの報道番組に出演した際に、街頭インタビューの内容に偏りがあるとして「おかしいじゃないですか」などと発言したことが問題視された。今年になって衆院の予算委でこれについて批判されると、安倍首相は自分には言論の自由があるのだといった。
私は、この発言に対して強い違和感をぬぐえない。
先の発言に対して民主党の岡田代表は、憲法は権力を縛るものであり、「憲法の言論の自由があるから縛られない」というのは憲法観が根本から間違っている、と批判している(※)。私も、そのとおりだと思う。
政治家になれば、言ってはならないこと、やってはならないことがいくつもある。権力というのは大きな虎のようなもので、好き勝手に振舞えば、周りにいる小動物を怯えさせたり、あるいは押しつぶしてしまったりするかもしれない。虎が寝返りを打ってたまたまそこにいたネズミが押しつぶされて死んでしまったとしたら、自分にそんなつもりはなかったといっても通用しない。そんなことにならないように、権力は幾重にも縛りをかけたうえで、さらに権力を持つ者は慎重な言動を要求される。すなわち、公人は、言論の自由も制限されるのが当然なのだ。安倍首相(とその仲間たち)はそこを履き違え、国民には義務を押し付けようとしながら、自分たちは声高に権利を主張している。
そもそもが逆だと私は考える。一般国民は権利を主張していいし、その権利は極力制限されるべきではないが、政治家は権利を制限されてしかるべきであり、自分たちの権利を主張するべきではない。政治家は義務の存在であり、一般国民は権利の存在なのだ。
自民党は昨日、テレビ朝日とNHKの幹部を呼び出し、聴取するという暴挙に出た。報道されるところによれば、BPO(放送倫理・番組向上機構)への申し立ても検討しているという。この一連の動きも、私にはたちの悪いジョークとしか思えない。これには、読売新聞も今日の朝刊の社説で疑念を呈しているが、何につけ政権よりの見解を示すことの多い読売新聞の社説でさえそういうことを書かざるを得ないほど、自民党の行動は常軌を逸しているのだ。
そもそもBPOは、一般人の権利を保障するために作られたものである。テレビによって民間人の人権が侵害されるような場合にその救済をはかるためのものであり、政治家の権利のために存在するものではない。
政治家がいそいそとBPOに申し立てをする姿は、お前ら何を勘違いしてるんだという話で、醜悪以外の何ものでもない。もし本当に申し立てがなされた場合、BPOは、甘ったれたことをいってんじゃねえと一蹴するべきである。
※3月13日の記者会見での発言。朝日新聞(電子版)より。同じ記事では、民主党側からの批判に対する菅官房長官の反論も報じられている。それによれば、「総理大臣の地位にある者についても表現の自由は保障される。(首相は)裏ではなくその場で放映された映像について、偽らざる強い違和感を吐露した。問題視するのはおかしい」ということである。
官房長官が総理大臣を擁護するのは当然といえば当然なのかもしれないが、それにしても菅官房長官の木で鼻をくくったような態度はいかがなものか。先日も、辺野古の基地移設について沖縄県側が出した作業停止指示を林農水相が無効としたことについて「公平・中立な立場から審査をした」と評したが、誰がどう考えても出来レースであるこの判断について「公平・中立」といってのける姿勢に、まるで北朝鮮のような気持ち悪さを感じるのは私だけだろうか。