命のカウントダウン(健康余命3605日)

トレッキング、カメラ、陶芸、スキー、釣り、カヌー、遊びなら何でも大好き。仕事も好き、時間がない!

奈良のリアルワールドに引き戻されて来ました。その2

2023-01-10 04:04:24 | ワークライフバランス
患家に飛び込んでいきました。
顔色蒼白、明らかに尋常ではありません

〇〇さーん!!大声で呼ぶと、反応はありました。
声は出ないけれど、返事をしようとされているのは分かります。

パルスオキシメーターで酸素飽和度を計ろうと、紫っぽくなった(チアノーゼ)手先を測定端子で挟みましたが、測定不能でした。
血圧は、聴診できず。触診で50台前半でした。

ショックと診断、ボスミン(アドレナリン)を0.15ml筋注しました。しばらく経っても反応が悪いので、デカドロン6.6㎎とボスミン0.15㎎を再度筋注。配偶者さんに重症であることを説明、「入院頼みましょう」と、言いました。ご本人、配偶者さん ともに出来るだけ入院は避けたいと言われていた方ですが、今回はお二人とも了承されました。病状の悪化をお二人とも認めざるを得なかったのでしょうね。

入院させてもらうのに、酸素10L/min投与したままの状態で運ばないといけませんから、当然救急車の登場が必要です。救急車を呼びました。そしてそのあとすぐに〇〇病院に電話をしました。

〇〇病院を退院され、私が在宅で受け持つ時の条件に、「いつでも必ず入院させて下さいね。」と、言うお願いを第一番目に入れており、了承していただいておりました。ですから、連絡すれば必ず入院許可は出ると確信してはいたのですが、実際に電話をすると、色々と関門があります。夜間でしたから、最初に電話に出るのは守衛さん、そして救急外来の看護師、いずれも我々の約束を知らない人ですから、「ちょっとお待ちください。」と、上の部署の判断を仰がれるのですが、その待ち時間が長かったです。消化器内科の担当医名前を出して、何とか入院許可が出ました。

救急車、出払っているので、到着まで時間が掛かります。先にレスキューが到着しますと言われました。10分足らずで消防車にしか見えないレスキュー車なるものが到着。当然救急サイレン鳴らしての登場ですから、ご近所は騒然、ましてや、登場したのが救急車ではなく消防車にしか見えませんから、火事はどこだ!!と、相当驚かれたと思います。レスキュー隊員4人ほどの方と、これまでの経過、現況を伝え、搬送先、搬送方法を確認していたら程なく救急車が到着しました。先にレスキュー隊が到着しており、準備万端整っていたので、救急車は、非常にスムーズに患者さんを収容し、搬送先に向かい始めました。
ご近所は、複数の救急車両と多数の救急隊員の登場にヒートアップしている感じがしました。
私は患者さんにアドレナリンを注射しましたが、複数の救急車両と多数の救急隊員の登場は、ご近所さんにはアドレナリン注射だった様でした。

救急車が去っていくよりも早く、私は現場から徒歩で遠ざかっておりました。
結局、患家に居たのは30分程度でしたが、私にとってもアドレナリン注射をしているような30分でした。

そのあと、自宅に帰っても、寝付けなかったのは当然ですよね。
漸く寝付き始めた午前1時58分 正に丑三つ時の静寂が降り積もっていく中、携帯ボルケーノが噴火しました。
「天理警察です。こんな時間に済みません。検視、お願いできませんか?」
「すみません。今日は無理です。」
ふり絞る様に言ったら、私の状況が伝わったのでしょうか、本当に済まなさそうに
「済みませんでした」と謝っていただけました。
向こうも午前2時前に電話してくるなんて、余程困っておられたのでしょうが、私も、信州から6時間かけてワープしてきて、奈良に着いた途端、ショック患者の救急対応→救急搬送した後、目が冴えて眠れず、漸く何とか着の身着のまま寝入っていたのです。「勘弁してよ」と思う気持ちが言葉の端々に染み出たのでしょうねぇ!!

と言うわけで、そのあとは邪魔されずに眠って1月10日の朝を迎えたのでありました!!

奈良の現実世界に引き戻されて来ました。その1

2023-01-10 04:00:07 | ワークライフバランス
栂池高原スキー場で、あさイチの広大な特上バーン大滑降を愉しんだのは10数時間前の事。

只今、奈良県中部の我が家の自室にて、PCに向かって眠れぬ夜を過ごしております。

午後1時に愉しかった栂池でのスキーを何とか切り上げ、蕎麦を食べに白馬村に向かったのですが・・・連休最期を昼で切り上げて蕎麦を食べて帰宅しようなんて、皆が考える事なのでしょう。

名だたる蕎麦屋はどこもかしこも満席または売り切れで入ることも出来ませんでした。そこで、通りがかりのお店に入ったのですが、十分に満足できるお味でした。この辺り一帯皆そこそこの基準を満たしているのでしょうねぇ!
そこから、奈良県にワープ!!
途中、魔のオメガカーブに差し掛かったあたりで携帯電話が鳴りました。
掛かってきた相手は、今回のスキー旅行に関して、一番心配していた患者さんでした。もともと、食道癌末期の方で、昨年11月に自宅で最期の時を過ごしたい と言う希望をかなえるために在宅療養に移行された患者さんです。

呼吸をするため、空気が通る管(気管)と、食事をするため、食べ物が通る管(食道)の間の壁が癌のために崩れてしまってツーツーになってしまっている(気管食道瘻と言います)ので、常に肺炎の危険性があり、退院されたときから「何時急変してもおかしくない」状態でした。事実、退院されて10日ほどは、毎日1日2回の点滴が不可欠な状態でした。昨年12月に入り、両側の肺炎が収まると、不思議な安定状態が続いていたのです。

それが、この連休前に呼吸状態が悪化、やはり、肺炎の再発でした。CRP(炎症反):23と、重症でしたが、抗生物質の点滴で解熱されたので、ご本人ご家族の希望もあり、経口の抗菌剤に、切り替えて連休を乗り切る予定でした。

「今日の夕方から、急に痰が溢れる様に出続けています。呼吸もしんどそうです。」と言う電話でした。
「1時間以内には行けますから。何かまた変化があれば電話してください。」
と、言って、先を急ぎました。

その2に続く