患家に飛び込んでいきました。
顔色蒼白、明らかに尋常ではありません
〇〇さーん!!大声で呼ぶと、反応はありました。
声は出ないけれど、返事をしようとされているのは分かります。
パルスオキシメーターで酸素飽和度を計ろうと、紫っぽくなった(チアノーゼ)手先を測定端子で挟みましたが、測定不能でした。
血圧は、聴診できず。触診で50台前半でした。
血圧は、聴診できず。触診で50台前半でした。
ショックと診断、ボスミン(アドレナリン)を0.15ml筋注しました。しばらく経っても反応が悪いので、デカドロン6.6㎎とボスミン0.15㎎を再度筋注。配偶者さんに重症であることを説明、「入院頼みましょう」と、言いました。ご本人、配偶者さん ともに出来るだけ入院は避けたいと言われていた方ですが、今回はお二人とも了承されました。病状の悪化をお二人とも認めざるを得なかったのでしょうね。
入院させてもらうのに、酸素10L/min投与したままの状態で運ばないといけませんから、当然救急車の登場が必要です。救急車を呼びました。そしてそのあとすぐに〇〇病院に電話をしました。
〇〇病院を退院され、私が在宅で受け持つ時の条件に、「いつでも必ず入院させて下さいね。」と、言うお願いを第一番目に入れており、了承していただいておりました。ですから、連絡すれば必ず入院許可は出ると確信してはいたのですが、実際に電話をすると、色々と関門があります。夜間でしたから、最初に電話に出るのは守衛さん、そして救急外来の看護師、いずれも我々の約束を知らない人ですから、「ちょっとお待ちください。」と、上の部署の判断を仰がれるのですが、その待ち時間が長かったです。消化器内科の担当医名前を出して、何とか入院許可が出ました。
救急車、出払っているので、到着まで時間が掛かります。先にレスキューが到着しますと言われました。10分足らずで消防車にしか見えないレスキュー車なるものが到着。当然救急サイレン鳴らしての登場ですから、ご近所は騒然、ましてや、登場したのが救急車ではなく消防車にしか見えませんから、火事はどこだ!!と、相当驚かれたと思います。レスキュー隊員4人ほどの方と、これまでの経過、現況を伝え、搬送先、搬送方法を確認していたら程なく救急車が到着しました。先にレスキュー隊が到着しており、準備万端整っていたので、救急車は、非常にスムーズに患者さんを収容し、搬送先に向かい始めました。
ご近所は、複数の救急車両と多数の救急隊員の登場にヒートアップしている感じがしました。
ご近所は、複数の救急車両と多数の救急隊員の登場にヒートアップしている感じがしました。
私は患者さんにアドレナリンを注射しましたが、複数の救急車両と多数の救急隊員の登場は、ご近所さんにはアドレナリン注射だった様でした。
救急車が去っていくよりも早く、私は現場から徒歩で遠ざかっておりました。
結局、患家に居たのは30分程度でしたが、私にとってもアドレナリン注射をしているような30分でした。
そのあと、自宅に帰っても、寝付けなかったのは当然ですよね。
漸く寝付き始めた午前1時58分 正に丑三つ時の静寂が降り積もっていく中、携帯ボルケーノが噴火しました。
「天理警察です。こんな時間に済みません。検視、お願いできませんか?」
「すみません。今日は無理です。」
ふり絞る様に言ったら、私の状況が伝わったのでしょうか、本当に済まなさそうに
「済みませんでした」と謝っていただけました。
向こうも午前2時前に電話してくるなんて、余程困っておられたのでしょうが、私も、信州から6時間かけてワープしてきて、奈良に着いた途端、ショック患者の救急対応→救急搬送した後、目が冴えて眠れず、漸く何とか着の身着のまま寝入っていたのです。「勘弁してよ」と思う気持ちが言葉の端々に染み出たのでしょうねぇ!!
と言うわけで、そのあとは邪魔されずに眠って1月10日の朝を迎えたのでありました!!