宮城まり子さんが亡くなった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E5%9F%8E%E3%81%BE%E3%82%8A%E5%AD%90
宮城まり子さん 大女優で歌手としてもヒットを連発し、紅白出場も8回あるそうだ。
私は、そんなことはほとんど知らず、上野毛の宮城まり子さんのご自宅をおたずねした事がある。
多分、1976年の3月初めだったと思う。
私は当時慶応大学の工学部の劣等生だった。
工学部の体質が身に合わなくて、学校をさぼってばかりいた。
英語の教授はとても素敵な紳士で、NHKにも出演しておられたK先生。
先生は、授業をさぼると罰金を科せられた。そして、最後の授業の時に、罰金王である私に、これを「ねむの木学園」の宮城まり子さんのところに届けに行けと言われたのだ。
教えられた家は、上野毛駅から坂を下って5分ほどのところにあった。
私の記憶の中での表札は・・・・2枚並んでいたのは確かなのだが・・・・縦長だっただったように思うのだが・・・
私は右側に掛けられていた宮城の表札だけ確かめて、左側の表札はみていなかった。
私は、当時吉行淳之介さんの作品は読んだことがなかった。(お名前は存じ上げていたが・・・)
家にクリーム色のBMWが止まっていたのを覚えている。
この年表とも合っている。
https://tonikakuyoshiyuki.jimdofree.com/%E9%9B%91%E5%AD%A6%E5%B9%B4%E8%A1%A8/
私が事前に連絡していなかったためだろう、お手伝いさんが出てこられて、「では、伝えておきます」
と、言われて、私の役目は終了
そのまま、下宿に戻り、後日、K教授にはその旨伝えたのだが・・・
そう、会えませんでしたか・・・それは残念だったね・・・
と、少し意外そうに呟かれたのが印象的であった。
その後、私は学業不良により中退処分となり、プータロー(今でいうフリーター)で2年ほど過ごした。
暇だったので、いろいろな本を読み漁った。その中で嵌まったのが吉行淳之介さんだった。
砂の上の植物群などの純文学作品も勿論好きだったが、一番好きなのは軽妙で頭の素晴らしい切れ具合を感じることの出来るエッセイだった
そして
このエッセイを読んでいるときに、自宅付近の描写が出てきた・・・
あれ、なんだか覚えのある景色だなぁ・・・
その時まで、私は吉行さんとお付き合いのある元大女優のM.M.が誰なのか、全く分かっていなかった
まさか??マリリン・モンローではないよなぁなんて思っていたのだから、馬鹿です。
その時に、頭の中で、瞬間的に多数のニューロンが繋がった!!!
そうだ!!あの時、上野毛の宮城まり子さんの家の、左側の表札は吉行さんだったのではないか?
そして、ひょっとすると・・・・・出てきてくれなかったのは・・・
出ていけない事情があったのかも・・・・なんてね!!!
宮城まり子さん
素敵な人生を送られた方に 心からの哀悼の意を表します
宮城まり子さんは「スター」だったのに、ねむの木学園の園長さんになられてから、化粧っ気がなくぼさぼさの髪(失礼)でマスコミの前に出ていたことがとても衝撃的でした。でも、笑顔が良かった。
ご冥福をお祈りするばかりです。
多分、宮城まり子さん、吉行淳之介さんのお二方の10mまでには近づいていたのにね!!お二人のご冥福を祈ります!!