おはようございます。
この間の3連休は滋賀方面を走って来ました、と言うことでその記録についてのお話と行きたいところなのですが、夏に走った時の話がまだ終わってないので先にそちらの方をお伝えしていきたいと思います。今年はその夏に走ったまでに2回、正月とGWに大津まで走ってその後京都へと折り返しているのですが、この時の走りも大津市内をチョイとかじっただけで京都へと折り返しました、まあ相変わらず交通費をケチっているからなんですが・・・。この時の旅のメインはお地蔵様巡り、山科から追分へと上り国道1号線へと入り、逢坂関から大津市内へと下ってきた大津編前編はこの前お送りしました、今回はその後編となります。1号線を左へと逸れて三井寺方面界隈を少し回ってから浜大津へと至る、大津の中心地には古い町並が広い範囲で展開していて趣深い建物も多い、写真1枚目の料亭、下2枚の写真にある医院は登録有形文化財巡りで取り上げたことがありました。ありゃりゃ、写真が白飛びしてしまってますねえ、この時はカメラが調子悪い頃の真っ最中、それでも何とかなると思って使っていたのですが、結局新しく買い替える羽目になってしまいました。
国道1号線の京阪電車が道路上を走る所から旧東海道へと入るとすぐの所にも登録有形文化財の建物がいくつか見ることができる、まあそれについても前に巡り済みなので今回はスルーして先へと進んで行くと、沿道ではいくつかの地蔵堂を見かけることができる。往時から多くの旅人が山の向こうに控える京に、もしくははるか遠くの旅路の向こうにある江戸に向かって行き来した道にあるお地蔵様、その時代からあったかどうかは分からないがもしあったとしたら旅人の安全を見守ってくれていたことだろう、旅人もそれに感謝の意を示していたのだろう。旧街道の雰囲気が漂う町並を走り抜けて京阪石山坂本線の踏切を渡るとすぐに義仲寺へとたどり着く、寺院名から分かるようにここは・・・「平家討伐の兵を挙げて都に入り、帰りに源頼朝軍に追われて粟津(あわづ)の地で壮烈な最期を遂げた木曽義仲(1154-84)をここに葬ったことに由来しています」・・・と言うことです。この時は中へは入らず山門横の地蔵堂をチョイとのぞいただけ、中に入るには拝観料がいるみたいなので、いや、チョイと立ち入って境内を写すくらいだったら大丈夫かな、また近いうちに行ってみることにしようか。
旧東海道は湖岸道路の渋滞を嫌ってたくさんの車が入ってきて、しかもJR膳所駅付近は人通りも多く案外走りにくい、湖岸道路沿いにはたくさんの商業施設が集まっているからそれも仕方ないところか。旧街道の雰囲気もこの辺りはちょっとお預け、しかしここを抜けると道は鍵型に右折左折や緩やかなカーブを繰り返してこれぞ旧街道と言った感じで進んで行く。京阪膳所本町駅付近はいい雰囲気の町並、この辺りでは由緒ある寺院やお地蔵様を多く見かけることができた、おやおや、ここにもお顔を化粧されたお地蔵様がいらっしゃいます、こんな事して罰が当たらないんでしょうかね~、って人の心配するよりもお地蔵様の了承も得ずに無礼に写真を撮っている自分(一人称)に罰が当たりそう。そう言えばお地蔵様巡りを始めてからなんですよね、写真が白飛びするようになったのは・・・と言うことはやっぱり罰が当たったのか?いやいや、自分(一人称)はそんな非科学的なことは信じない質なので。さて、走りの方はそろそろ京都へと戻らなければと言うことでこの辺りで折り返し、大津市内の町巡り、お地蔵様巡りはまた次の機会への宿題として、また逢坂の関を越えることとしよう、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。 まちみち
この間の3連休は滋賀方面を走って来ました、と言うことでその記録についてのお話と行きたいところなのですが、夏に走った時の話がまだ終わってないので先にそちらの方をお伝えしていきたいと思います。今年はその夏に走ったまでに2回、正月とGWに大津まで走ってその後京都へと折り返しているのですが、この時の走りも大津市内をチョイとかじっただけで京都へと折り返しました、まあ相変わらず交通費をケチっているからなんですが・・・。この時の旅のメインはお地蔵様巡り、山科から追分へと上り国道1号線へと入り、逢坂関から大津市内へと下ってきた大津編前編はこの前お送りしました、今回はその後編となります。1号線を左へと逸れて三井寺方面界隈を少し回ってから浜大津へと至る、大津の中心地には古い町並が広い範囲で展開していて趣深い建物も多い、写真1枚目の料亭、下2枚の写真にある医院は登録有形文化財巡りで取り上げたことがありました。ありゃりゃ、写真が白飛びしてしまってますねえ、この時はカメラが調子悪い頃の真っ最中、それでも何とかなると思って使っていたのですが、結局新しく買い替える羽目になってしまいました。
国道1号線の京阪電車が道路上を走る所から旧東海道へと入るとすぐの所にも登録有形文化財の建物がいくつか見ることができる、まあそれについても前に巡り済みなので今回はスルーして先へと進んで行くと、沿道ではいくつかの地蔵堂を見かけることができる。往時から多くの旅人が山の向こうに控える京に、もしくははるか遠くの旅路の向こうにある江戸に向かって行き来した道にあるお地蔵様、その時代からあったかどうかは分からないがもしあったとしたら旅人の安全を見守ってくれていたことだろう、旅人もそれに感謝の意を示していたのだろう。旧街道の雰囲気が漂う町並を走り抜けて京阪石山坂本線の踏切を渡るとすぐに義仲寺へとたどり着く、寺院名から分かるようにここは・・・「平家討伐の兵を挙げて都に入り、帰りに源頼朝軍に追われて粟津(あわづ)の地で壮烈な最期を遂げた木曽義仲(1154-84)をここに葬ったことに由来しています」・・・と言うことです。この時は中へは入らず山門横の地蔵堂をチョイとのぞいただけ、中に入るには拝観料がいるみたいなので、いや、チョイと立ち入って境内を写すくらいだったら大丈夫かな、また近いうちに行ってみることにしようか。
旧東海道は湖岸道路の渋滞を嫌ってたくさんの車が入ってきて、しかもJR膳所駅付近は人通りも多く案外走りにくい、湖岸道路沿いにはたくさんの商業施設が集まっているからそれも仕方ないところか。旧街道の雰囲気もこの辺りはちょっとお預け、しかしここを抜けると道は鍵型に右折左折や緩やかなカーブを繰り返してこれぞ旧街道と言った感じで進んで行く。京阪膳所本町駅付近はいい雰囲気の町並、この辺りでは由緒ある寺院やお地蔵様を多く見かけることができた、おやおや、ここにもお顔を化粧されたお地蔵様がいらっしゃいます、こんな事して罰が当たらないんでしょうかね~、って人の心配するよりもお地蔵様の了承も得ずに無礼に写真を撮っている自分(一人称)に罰が当たりそう。そう言えばお地蔵様巡りを始めてからなんですよね、写真が白飛びするようになったのは・・・と言うことはやっぱり罰が当たったのか?いやいや、自分(一人称)はそんな非科学的なことは信じない質なので。さて、走りの方はそろそろ京都へと戻らなければと言うことでこの辺りで折り返し、大津市内の町巡り、お地蔵様巡りはまた次の機会への宿題として、また逢坂の関を越えることとしよう、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。 まちみち