おはようございます。
奈良の古墳巡り、今回は御所市にある古墳を巡って行こうと思います、御所市は奈良県の中では地味なイメージがある市ですが歴史に関してはなかなか興味深い所、名の知れた大きな古墳はありませんがいろいろと見所がありました、早速行ってみることしましょう。
まずは写真1枚目、2枚目にある遠目にある古墳が飯豊天皇陵、飯豊天皇・・・あまり馴染みのない名前ですが清寧天皇(22代)の死後、政権の指揮者が決まらない時期に臨時に皇位についた女性とのこと、あくまでも代理とのことで歴代天皇の中に名前は重ねられていません。いきなり話は逸れるが「飯豊」はそのまま「iitoyo」と読む、い飯豊まりえって女優さんもそうですね、でも競馬好きな自分(一人称)は「iide」の方がイメージ強いんだよなあ。トウカイテイオーが勝ったダービーにはセゾン、シビア、サターン、3頭のイイデを冠する馬が走っていた、東北にある飯豊山が冠名の基になっていたとのことです、まあ漢字の読み方は難しいなあ・・・と思っていたら写真一番下にある「日本武尊」、「nihonbuson」・・・違う違う、これで「yamatotakeru」と読みます。日本武尊白鳥陵は畿内に3つあるヤマトタケルの陵墓のうちの一つ、歴史的に結構名前が知られている人物の墓が3つもあると言うのも変な話だが、その1つが御所の山里にひっそりとあるのがなんとも奥ゆかしい感じです。
日本武尊の古墳がある所から国道309号線へと出て西へ、一番下の写真には「條」と言う変な名前のバス停があるが、この周辺にはたくさんの古墳が点在していてそれらは巨勢山古墳群に属している。京奈和の高架道が通っている所だが風景は緑色が支配している所、その中でどれが古墳なのか・・・とりあえず緑の色の濃さやポコッとした丘など、ある程度それかな、これかな、と思ったものはいくつかある。でも不確実にあれこれと決めつけるのは行けないのでここはグーグルマップで検索して巡って行く。特に有名な名前の知れた人物の陵墓はなく、どれもそれほど規模が大きくないものばかり、それらが狭い範囲に集まっているので巡り走りにはちょうどいい具合、国道309号線から少し離れた所にある町並も静かでいい雰囲気。しかしこの巨勢山古墳群、以前には地元のゴルフ場が無許可で拡張工事したために一部の古墳が破壊されてしまうと言う憂き目に合っている、何とも痛々しい話です・・・。
場所は変わってJR和歌山線掖上駅付近、駅の裏の山道を進んで行くと割と大きな古墳へとたどり着く。看板には掖上鑵子塚古墳とある、難しい漢字に難しい読み方、現地で看板を見るまでは何と読むか分からなかった。位置的にさっき訪れた古墳群と同じ一帯になるのだろうが、小規模な古墳が多かった古墳群の中では2番目の大きさと言うことでこの地の有力者の墓だと言う説も浮かんでいる。最後は高取町に入って近鉄市尾駅の近くにある古墳、集落を離れた田園風景の中にポコッとした緑色が鮮やかな丘が見えてくる。6世紀から8世紀頃にかけてこの地を支配していた巨勢氏の墓だと言うこと、巨勢山古墳群の巨勢と名前がつながっているしこの付近にはその名のついた寺院跡や道もあるから、この地に所縁のある一族だったことが分かる。そんなわけで御所の古墳巡り、最後は高取まで足を伸ばしましたがとりあえずここらで終わりとしておきましょう、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。 まちみち
奈良の古墳巡り、今回は御所市にある古墳を巡って行こうと思います、御所市は奈良県の中では地味なイメージがある市ですが歴史に関してはなかなか興味深い所、名の知れた大きな古墳はありませんがいろいろと見所がありました、早速行ってみることしましょう。
まずは写真1枚目、2枚目にある遠目にある古墳が飯豊天皇陵、飯豊天皇・・・あまり馴染みのない名前ですが清寧天皇(22代)の死後、政権の指揮者が決まらない時期に臨時に皇位についた女性とのこと、あくまでも代理とのことで歴代天皇の中に名前は重ねられていません。いきなり話は逸れるが「飯豊」はそのまま「iitoyo」と読む、い飯豊まりえって女優さんもそうですね、でも競馬好きな自分(一人称)は「iide」の方がイメージ強いんだよなあ。トウカイテイオーが勝ったダービーにはセゾン、シビア、サターン、3頭のイイデを冠する馬が走っていた、東北にある飯豊山が冠名の基になっていたとのことです、まあ漢字の読み方は難しいなあ・・・と思っていたら写真一番下にある「日本武尊」、「nihonbuson」・・・違う違う、これで「yamatotakeru」と読みます。日本武尊白鳥陵は畿内に3つあるヤマトタケルの陵墓のうちの一つ、歴史的に結構名前が知られている人物の墓が3つもあると言うのも変な話だが、その1つが御所の山里にひっそりとあるのがなんとも奥ゆかしい感じです。
日本武尊の古墳がある所から国道309号線へと出て西へ、一番下の写真には「條」と言う変な名前のバス停があるが、この周辺にはたくさんの古墳が点在していてそれらは巨勢山古墳群に属している。京奈和の高架道が通っている所だが風景は緑色が支配している所、その中でどれが古墳なのか・・・とりあえず緑の色の濃さやポコッとした丘など、ある程度それかな、これかな、と思ったものはいくつかある。でも不確実にあれこれと決めつけるのは行けないのでここはグーグルマップで検索して巡って行く。特に有名な名前の知れた人物の陵墓はなく、どれもそれほど規模が大きくないものばかり、それらが狭い範囲に集まっているので巡り走りにはちょうどいい具合、国道309号線から少し離れた所にある町並も静かでいい雰囲気。しかしこの巨勢山古墳群、以前には地元のゴルフ場が無許可で拡張工事したために一部の古墳が破壊されてしまうと言う憂き目に合っている、何とも痛々しい話です・・・。
場所は変わってJR和歌山線掖上駅付近、駅の裏の山道を進んで行くと割と大きな古墳へとたどり着く。看板には掖上鑵子塚古墳とある、難しい漢字に難しい読み方、現地で看板を見るまでは何と読むか分からなかった。位置的にさっき訪れた古墳群と同じ一帯になるのだろうが、小規模な古墳が多かった古墳群の中では2番目の大きさと言うことでこの地の有力者の墓だと言う説も浮かんでいる。最後は高取町に入って近鉄市尾駅の近くにある古墳、集落を離れた田園風景の中にポコッとした緑色が鮮やかな丘が見えてくる。6世紀から8世紀頃にかけてこの地を支配していた巨勢氏の墓だと言うこと、巨勢山古墳群の巨勢と名前がつながっているしこの付近にはその名のついた寺院跡や道もあるから、この地に所縁のある一族だったことが分かる。そんなわけで御所の古墳巡り、最後は高取まで足を伸ばしましたがとりあえずここらで終わりとしておきましょう、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。 まちみち