まちみちふうけい

間もなく10年目も通過点

No.1253 都の記憶(2)

2020-01-08 10:21:30 | 
よろしくお願いします。











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歴代天皇が政治の拠点とした都=宮を訪れてみよう、と言うことで昨夏は古墳、お地蔵様巡りに兼ねて都巡りでも走りました。都と言うと藤原京や平城京、平安京、その他に長岡京や恭仁京と言った縦横に道が並んだ町の様子を思い浮かべるのですが、その形式・・・都城制となったのは藤原京からと言うことで、それまでは天皇が変わる毎にその拠点はコロコロと変わっていってました。いわば天皇の居城と言った所、前回は12代景行天皇の「纒向日代宮」まで巡りました、となると今回は13代成務天皇、14代仲哀天皇と行きたいところなのですが・・・。13代成務天皇の宮は「志賀高穴穂宮」、滋賀県大津市にあってついこの間行ってきたばかりですが写真の編集がまだなので今回は写真はなし、また機会を設けてお送りしようと思っています。14代仲哀天皇の宮は山口、福岡の方でさすがに手が届きません、ここはスルーでお願いします。
さて、やっと上の写真に触れられると言うことで15代応神天皇は写真1枚目~4枚目にある「磐余若桜宮」、ここは桜井と言う地名の由来となった場所でもあるとのこと、5枚目、6枚目にあるのは「軽島豊明宮」は以前万葉歌碑巡り、藤原京廃寺巡りの項でも取り上げたことがあった場所です。
16代仁徳天皇は万葉歌碑の時にいろいろと話題を提供してくれた天皇、宮は「難波高津宮」なのですが、ここもついこの年末に走って来たばかリです。写真には高津神社とあるのですが、実際の場所はそこから東に行った所にある高校の敷地内に碑があるとのことで、写真を撮ることはできませんでした。
17代履中天皇は「磐余稚桜宮」、桜井市にある稚桜神社がその場所に当たるとのことです。






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18代反正天皇の宮は大阪の松原市にある丹比柴籬宮、ここも高津宮と同じ日に行ってきました、境内では年末も押し迫ったと言うことで初詣の準備が進められていました。この宮はそのまま次代にも引き継がれたようですが、その19代允恭天皇は明日香にも宮を置いたとのことで、ここで初めて天皇の宮に飛鳥の地が登場することになります。
20代安康天皇は天理市の「石上穴穂宮」、天理駅の近くの町中にあるのですが天皇の宮だったと言う記録を表したものは何もありませんでした。
21代雄略天皇は桜井市の「泊瀬朝倉宮」、場所は近鉄大和朝倉駅から国道165号線を東に行った所にあり、ここも以前万葉歌碑巡りでお送りしたことがありました。
22代清寧天皇は「磐余甕栗宮」、場所は桜井市と橿原市の境界となる場所にあり、以前万葉歌碑巡りで訪れた寺院と隣り合わせの所にありました。しかし下3枚にある写真はそことは別の場所、御所市にある角刺神社、清寧天皇崩御後のしばらくの間、次代への繋ぎとして政務を行った飯豊皇女が宮とした所、期間は10ヶ月ほどで次代へと襷を渡している。当時は女性だったとのことで、いわばこの後登場する女性天皇の先駆けとなる存在となっている、天皇の称号が与えられてはいるが歴代天皇の枠には含められていないとのことです。




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ちょっと長くなってしまっていますがもう少しだけ進めて行きましょう、23代顕宗天皇の宮は「近飛鳥八釣宮」、明日香村の山に入るひっそりとした所に神社がありました。
24代仁賢天皇は「石上広高宮」、天理市にあり自分(一人称)が通っていた中学校の近くにありました。国道169号線東側の石上町の集落を抜けると目の前に山が現れ、一本道の先にある急な坂道を上って行った先のひっそりとした森の中に神社がありました。そこには写真にもあるようにここが宮跡だったことを表す碑が立っている、でもこんな近くのことなのに全然知らなかった、歴史の授業でも取り上げられませんでしたしね。
今回最後の25代武烈天皇は「泊瀬列城宮」、先に紹介した泊瀬朝倉宮から更に長谷寺側に進んだ旧街道の町並沿いにありました。桜井市には宮跡が多くて今回もいくつか紹介させてもらったのですが、この後はいよいよ飛鳥が都として登場してくることになってきます、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。           まちみち