まちみちふうけい

間もなく10年目も通過点

No.1256 万葉歌碑巡り・榛原、大宇陀編 

2020-01-14 10:06:39 | 万葉
よろしくお願いします。











万葉歌碑巡り、昨年の夏に榛原、大宇陀から桜井方面を巡った記録を今になってのお伝えとしていきます。この日は夏の甲子園真っ盛りの頃、3回戦4試合があったのですがその第2試合目が星稜vs智辯和歌山、これは何かあると思って録画して家を出たのですが、まさかあのような大熱戦になるとは・・・、と言うことでまずは榛原界隈を巡って行ってみましょう。

「宇陀の野の 秋萩しのぎ 鳴く鹿も 妻に恋ふらく 我れには増さじ」(丹比真人・巻8-1609)

近鉄榛原駅から東へ、急な斜面の丘の住宅地の中にある公園にあったのが写真1枚目の歌碑、今回の宇陀方面の走りの始めに相応しいかのように、宇陀の地名が入った歌碑がお出迎えしてくれました。その公園の向こう側には小学校が見えている、この辺りにも歌碑があるとのことで周囲の道を進んで行くと、正門の近い所の草むらに隠れるようにして立つ碑を見つけることができた。走り始めて早速2つの歌碑、これは幸先いいスタートか・・・と思ったが次の目的地の歌碑がある寺院は急な上り坂を行かなければならない、ここは相棒君を置いて徒歩で進んで行く。

「遠つ人 猟道の池に 住む鳥の 立ちても居ても 君をしぞ思ふ」(作者不詳・巻12-3089)

現代文で刻まれたスラリとした歌碑、まだ新しそう、寺院は山の中腹にあり寺院は本堂はあるもののひっそりとしていて人の気配はなかった、下に置いてある相棒君のことが心配になったので早々と折り返すことに、急な坂は上るより下りる方が怖い。















「安騎の大野に 旗すすき 小竹を押しなべ 草枕 旅宿りせす・・・」(柿本人麻呂・巻1-45)
「東の 野にかぎろひの 立つ見えて かへり見すれば 月かたぶきぬ」(柿本人麻呂・巻1-48)

写真2枚目~6枚目にあるのは大宇陀にあるかぎろひの丘万葉公園にある風景、小さな丘を上り詰めた所には2つの歌碑が立っています。写真4枚目、5枚目にある歌碑は上の歌に当たるのですがこの文は途中の部分、始まりは↓↓↓

「やすみしし わご大王 高照らす 日の皇子 神ながら 神さびせすと 太敷かす 京を置きて ・・・」

となっています。上の歌のこの部分を載せたのは「安騎の大野」について、この安騎=「阿騎」と言うのは「あきの」を表し大宇陀の地を示している、軽皇子(後の文武天皇)が阿騎の野に狩りに行かれた時に、お供をしていた柿本人麻呂が詠んだ歌とのことです。この公園の裏手には阿紀神社、向かい側には阿騎野人麻呂公園と万葉集に所縁のある場所があり、それぞれに万葉歌碑が立っています。阿騎野人麻呂公園にある碑の歌は上に紹介した「東の野にかぎろひの」の歌で、これも柿本人麻呂が皇子と共にここを訪れた時に詠んだ歌、東に陽の光、西の空には月が浮かんでいる光景は今も変わらずですが、その光景を何の捻りもなく31文字に収めている辺りが逆にこの地で見た見事な風景を表している感じです。












大宇陀から国道の急な下り坂を進んで桜井市へと入って来ました・・・と言ってもこのゾーン、この日の走りでの写真は下の2枚だけ、上の8枚は別の日に長谷寺、桜井方面を訪れた時の写真を貼りました。写真上から1枚目、2枚目にあるのは長谷寺参道の途中にある旧家、この辺りにあるはずなんやけど・・・と思いながら走っているとこんな所にあったのか~と言う感じでありました。

「莫囂円隣之大相七兄爪謁氣 我が背子が い立たせりけむ 厳橿が本」(額田王・巻1-9)

前半の「莫囂円隣之大相七兄爪謁氣」が歌碑にある「三室の・・・」に当たるようですが、まだはっきりとした読みや解釈については確定していないとのことです。なぜこの歌碑がこの家の前にあるのかは・・・これは現地に行って確かめた方がいいかも、ちなみに作者の額田王については近々また別の枠で取り上げることになります。
さて、夏の走りに戻って、星稜と智辯和歌山の試合が始まりました、星稜の奥川投手は智辯打線から三振の山を築いている、果たして智辯和歌山はこの投手から得点できるのだろうか・・・などと考えながらやって来たのは桜井市の中心部から外れた所にある聖林寺、

「倉橋の 山を高みか 夜隠りに 出で来る月の 光乏しき」(間人宿禰大浦・巻3-290)

倉橋と言うのは桜井市にある地名ですが、この先都巡りでも出てくることになる地名、桜井を表す重要なキーワードになるかも知れません。そこにある山から出てくる月についてはもうひとつ、同じ作者でこれと対になる歌があってそちらは三日月の光の明るさに心を安らかせているもの、こちらは光乏しきに心細さを歌っていると言うことになっています。現代の夜でも光があふれている時代とは違って、三日月でも明るさを感じていただけに、月がなかなか浮かび上がってこないことに心細さを感じていた往時の人々の不安がうかがえるかのよう、作者は桜井と大宇陀の間に立ちはだかる山の高さを恨みに思っていたのかも・・・今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。          まちみち