まちみちふうけい

間もなく10年目も通過点

No.1283 都の記憶(3)

2020-03-02 11:07:14 | 
よろしくお願いします。














歴代天皇の都巡り、前回のお送りが1月の始め頃で長く間が空いてしまいましたが忘れていたわけじゃないですよ・・・ついでに更新も長く空いてしまいました、ちょっと体調がすぐれなかったものなので・・・、今回は26代継体天皇から始めて行くこととしましょう。まずは写真1枚目~5枚目、樟葉宮は京都府と大阪府の境界線の場所にありました、樟葉と言うと新興住宅地のイメージがあり、この宮も住宅地のど真ん中にあり結構探すのに苦労しました。継体天皇はその後都を現在の京田辺にあった筒城宮、更に長岡京の弟国宮・・・この間お送りした乙訓寺の辺り・・・と移して、晩年は奈良県桜井市の磐余玉穂宮へと移って来ます。その場所についてはどうもはっきりしなくてとりあえずここじゃないかな、と言う場所を写真に撮っておきました。





















27代安閑天皇は写真1枚目、2枚目にある勾金橋宮、場所は橿原市の北西部、横大路が通る辺りでJR万葉まほろば線の金橋駅が最寄りとなっている。
28代宣化天皇は檜隈廬入野宮、写真3枚目~5枚目にあった都は今の明日香村の中心部からは少し離れた所にあるのですが、近年はこの近くにあるキトラ古墳が観光施設として整備され、この場所にも観光客がやって来るようになりました。
29代欽明天皇は磯城島金刺宮、場所は桜井市の中心部から外れた所、そばを中和幹線の高架が通る大和川沿いにあり、山の辺の道の終点にあった海石榴市跡もこの場所から近い。
30代敏達天皇は百済大井宮・・・この場所についてはいろいろと候補になる地があり、その中には広陵町の百済寺付近との説もある・・・から上の写真の真ん中辺りにある訳語田幸玉宮へと移った。場所は桜井市の中心部に近い所、国道に沿う所にある神社の側にはここに都があった説明が書かれた看板が立っている。
31代用明天皇は磐余池辺雙槻宮、先述の磐余玉穂宮と同じ感じの場所と言うだけではっきりはしないんですよね~、付近を走っていると池尻、池ノ内と言う地名がありその地域には磐余池があったともされていたので、この場所が宮であったのだろう・・・。
32代崇峻天皇は倉梯柴垣宮、桜井市の中心部から南へ小高い所を上って行った所にある、西の方向に真正面に二上山が、ちょっとだらしなくも美しい姿を見せてくれています。













33代推古天皇については別枠で取り上げることとして、続いて34代舒明天皇は飛鳥岡本宮、田中宮、厩坂宮、百済宮と都を移していきます。百済宮については当の百済寺やその付近にここに都があったという説明を為されたものが何もないので、やっぱりはっきりしない状態です。
この後35代皇極天皇、36代孝徳天皇・・・と続いて行くわけですが、ちょうどこの辺りが大化の改新の時期に当たり、都も明日香村を中心とした場所へと置かれることとなります。そして40代天武天皇が造営工事を始めて41代持統天皇の時代に藤原京が完成、条坊制を備えた都が出来上がりそれが後の平城京、平安京へと受け継がれて行くこととなります。最後はちょっと駆足になりましたが都巡りはとりあえず今回で終了です、ただし都の存在についてはまだまだ奥が深い部分もあるので、また機会があれば探りに行ってみようと思っています、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。          まちみち