よろしくお願いします。
お地蔵様を通しての町巡り、普段何気なく走っている町並を再発見してみようと思いながら大和郡山市から川西町へと進んできました、今回お送りするのは三宅町、この間の『鶴瓶の家族に乾杯』で鶴瓶師匠とゲストの加藤雅也が訪れていた町です。番組では三宅町は日本で2番目に小さな町、グローブ生産が盛んな町、聖徳太子に所縁のある町・・・前回の都巡りの項で33代推古天皇については別枠でのお送りとしましたが、その時にもまたこの町を取り上げることになると思います・・・として紹介されていました、まずはその聖徳太子に所縁のある太子道から進んで行ってみることとしましょう。
写真1枚目~6枚目、ここはまだ川西町、寺川に沿う所にあるのは面塚、由縁については写真1枚目にある看板に書かれた通りです。この先に橋があり、信号のある所から太子道へと入るとすぐの所にあるのが式下中学校、ちょうどこの辺りが三宅町と川西町の境界線に当たる、普通なら公立の中学校は市立、町立となるがこの学校は2つの町にまたがり、しかもその2つの町にある唯一の中学校なので「組合立式下中学校」と名乗っている。更に先へと進んだ辺りが『家族に乾杯』では一番最初に行っていた屏風の町並、そこには木の柵に覆われた木抱かれ地蔵と言うお地蔵様がある。説明板にはその時の写真が貼られているが、普通にお地蔵様が立っていた所に木が育って長年のうちにまとわりつかれてしまったのでしょう、まあ迷惑な話だが今は自由の身になられて良かった良かった。
太子道を更に進んで行くと道が少し狭くなり神社の入口へとたどり着く、ここはちょっと寄り道でその杵築神社へと入って行く。入口には三宅村道路元標、と言うことはここが町の中心部となる所か、境内に入るとなぜか道標が立っていて、町の花であるあざさも栽培されて・・・いない、この日は真冬だったのでシーズンオフと言うことか。神社を出ると車が擦れ違うのが難しいほどの狭い道、民家が押し迫るように両脇に建ち並びいくつか常夜燈が目に入ってくる、側には観光客用にこの町の特徴を示す看板が立っているがこの町に観光でやって来る人って余程の・・・、まあいいか、自分(一人称)もそうだからね。民家の並びを抜けると恋人の聖地と呼ばれている場所へ、どこが聖地やねん、と言いたくなるような場所の脇には融観寺と言う寺院があり山門の横のお堂にはたくさんの石仏が並べられている。数を数えてみると全部で33体あるから西国33か所霊場巡りをここで一気に終わらせようと言う感じで並べられた石仏なのか。更に南へと進むともう三宅町とはお別れ、県道が合流する辺りでは田原本町に入ってしまう、さすがに日本で2番目に小さな町、この太子道も全速力で走ると5分もあれば抜けてしまう。近鉄田原本線の黒田駅前の踏切を過ぎて桃太郎伝説発祥の地ともされる法楽寺へ、何かこの伝説は眉唾物と言う気もするのですが・・・そう言えば広陵町にはかぐや姫伝説もあったなあ、張り合っているんかしら。
と言うことで再び三宅町内へと戻って、町中でいろいろとお地蔵様を探してみようとあちらこちらを走り回ってみる。まあ古墳や産業などで古くから知られた町であることだからお地蔵様もいろいろな所で探し当てることができた、しかし南北に小さな町は東西にもやっぱり狭い町、走って行くとすぐに、と言うかいつの間にかまた川西町や広陵町へと抜けてしまった。何か切ない町やなあ~と思うなかれ、これでも『家族に乾杯』で取り上げられてちょっとは知名度が上がった・・・であろう町なのだから。さて、次回はこれも奈良県内では地味~ぃな存在である安堵町へと進んで行ってみようと思います、地味~ぃとは言っても見所はたくさんありそうな町ですよ、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。 まちみち
お地蔵様を通しての町巡り、普段何気なく走っている町並を再発見してみようと思いながら大和郡山市から川西町へと進んできました、今回お送りするのは三宅町、この間の『鶴瓶の家族に乾杯』で鶴瓶師匠とゲストの加藤雅也が訪れていた町です。番組では三宅町は日本で2番目に小さな町、グローブ生産が盛んな町、聖徳太子に所縁のある町・・・前回の都巡りの項で33代推古天皇については別枠でのお送りとしましたが、その時にもまたこの町を取り上げることになると思います・・・として紹介されていました、まずはその聖徳太子に所縁のある太子道から進んで行ってみることとしましょう。
写真1枚目~6枚目、ここはまだ川西町、寺川に沿う所にあるのは面塚、由縁については写真1枚目にある看板に書かれた通りです。この先に橋があり、信号のある所から太子道へと入るとすぐの所にあるのが式下中学校、ちょうどこの辺りが三宅町と川西町の境界線に当たる、普通なら公立の中学校は市立、町立となるがこの学校は2つの町にまたがり、しかもその2つの町にある唯一の中学校なので「組合立式下中学校」と名乗っている。更に先へと進んだ辺りが『家族に乾杯』では一番最初に行っていた屏風の町並、そこには木の柵に覆われた木抱かれ地蔵と言うお地蔵様がある。説明板にはその時の写真が貼られているが、普通にお地蔵様が立っていた所に木が育って長年のうちにまとわりつかれてしまったのでしょう、まあ迷惑な話だが今は自由の身になられて良かった良かった。
太子道を更に進んで行くと道が少し狭くなり神社の入口へとたどり着く、ここはちょっと寄り道でその杵築神社へと入って行く。入口には三宅村道路元標、と言うことはここが町の中心部となる所か、境内に入るとなぜか道標が立っていて、町の花であるあざさも栽培されて・・・いない、この日は真冬だったのでシーズンオフと言うことか。神社を出ると車が擦れ違うのが難しいほどの狭い道、民家が押し迫るように両脇に建ち並びいくつか常夜燈が目に入ってくる、側には観光客用にこの町の特徴を示す看板が立っているがこの町に観光でやって来る人って余程の・・・、まあいいか、自分(一人称)もそうだからね。民家の並びを抜けると恋人の聖地と呼ばれている場所へ、どこが聖地やねん、と言いたくなるような場所の脇には融観寺と言う寺院があり山門の横のお堂にはたくさんの石仏が並べられている。数を数えてみると全部で33体あるから西国33か所霊場巡りをここで一気に終わらせようと言う感じで並べられた石仏なのか。更に南へと進むともう三宅町とはお別れ、県道が合流する辺りでは田原本町に入ってしまう、さすがに日本で2番目に小さな町、この太子道も全速力で走ると5分もあれば抜けてしまう。近鉄田原本線の黒田駅前の踏切を過ぎて桃太郎伝説発祥の地ともされる法楽寺へ、何かこの伝説は眉唾物と言う気もするのですが・・・そう言えば広陵町にはかぐや姫伝説もあったなあ、張り合っているんかしら。
と言うことで再び三宅町内へと戻って、町中でいろいろとお地蔵様を探してみようとあちらこちらを走り回ってみる。まあ古墳や産業などで古くから知られた町であることだからお地蔵様もいろいろな所で探し当てることができた、しかし南北に小さな町は東西にもやっぱり狭い町、走って行くとすぐに、と言うかいつの間にかまた川西町や広陵町へと抜けてしまった。何か切ない町やなあ~と思うなかれ、これでも『家族に乾杯』で取り上げられてちょっとは知名度が上がった・・・であろう町なのだから。さて、次回はこれも奈良県内では地味~ぃな存在である安堵町へと進んで行ってみようと思います、地味~ぃとは言っても見所はたくさんありそうな町ですよ、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。 まちみち