まちみちふうけい

間もなく10年目も通過点

No.1377 曽我川(2)

2020-07-14 11:02:08 | まち
よろしくお願いします。

















今回は奈良盆地の中央部を南北に流れる曽我川を流れとは逆向きに追っていく、その第2回目です。走ったのは自粛が叫ばれている真っ最中のGWの頃、写真を見ても分かるように雲は多いものの青空が顔をのぞかせ、大和三山や二上山は緑が眩しく、畑には一面のれんげの絨毯が広がっていてまさにこれぞ!と言った時期なのですが、人の出具合はさっぱりです。自分(一人称)は家に閉じ籠っていられない質なので、こうやって日々を過ごすしかないと言った感じで走りました、本来なら連休と言うことで泊りがけの旅を予定していましたが、さすがに非常識だと思ってキャンセル、だからこんな感じで近場を何かしらテーマを見つけて巡りました。5月は花の季節が終わり緑が新しく生まれてくる頃、この季節だからこそ見ることができる風景なのですが、今年はそれも横に追いやられてしまった感じでした、何かもったいよな~、あまりにももったいないよな~。さて、走りの方はそんな長閑な風景を十分に楽しみながら橿原市へと入って来ました、そろそろ緑色以外の風景も見たいところ、と思っていたら何か前方に集落が見えてきたなあ、行ってみることとしましょう。
















曽我川の名前の由来となっているのでは、と言うことで橿原市の曽我と言う名の町並へとやって来ました。川が町の真ん中を貫くように流れているからまさにそうなのでしょうが、ならその「soga」とはどこから?でこの辺りで思い付くのが蘇我氏、飛鳥時代の豪族で政権にも大きく関わった一族です、その蘇我氏の出自がこの町ではないか、とされているとのことです。蘇我氏と言うと当時の豪族の中では抜きん出ていて、推古天皇の時代には聖徳太子との三位一体での政権への参加、その後も天皇をないがしろにした振る舞いや皇族の暗殺事件などで政権をほしいままにしていたが、蘇我入鹿が中臣鎌足と中大兄皇子に討ち取られたことで滅んでしまいました・・・と思われがちだが、血脈はその後も地味につながっていったらしい・・・。そう言えばこの間BSで『大化の改新』と言うドラマをやってました、岡田准一が中臣鎌足役、渡部篤郎が蘇我入鹿役でした。文献ではイマイチよく分からない時代もドラマでやると、なるほど~、そう言うことなのか~、と分かりやすい設定になってました、まあ主役の二人が親友と言うのはどうかな?と思いましたけど。このドラマについてはまたいずれかの機会に取り上げてみたいと思っています。


















本来のテーマの川巡りがどっかへ行っちゃった感じになってさまいましたが、曽我川は曽我の町で明日香村方面から流れてきた高取川と合流する、高取川についてはこの前ここでも取り上げました。その合流点を過ぎて進行方向左手側に曽我の町並を見ながら進んで行ってJR万葉まほろば線、国道24号線を越える。左手側には緑が眩しい畝傍山、右手側には・・・ん、何か趣がありそうな町並があるぞ、と言うことでちょっと寄道。写真下から5枚目、4枚目にあるのは雲梯町の町並、名前が何か学校の校庭にありそうな遊具を思い出しそうな感じだが、読みは「unate」、「うな(うね)」のはしごと言うのが水路を表していると言うことで、この地も環濠集落だと言うことがうかがえる、橿原には畝傍と言う地名もあるが何か関係がありそう、一旦気になってしまうと突き詰めたくなるのが僕の悪い癖、また調べてみることになりそうです。町並を抜けるとカーブしてきた曽我川と再会、南阪奈道の高架が通りその向こうには橿原運動公園、曽我川巡りはまだまだ南へと続いて行きますが今回はここまでとしておきましょう、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました・・・・・・・・・・・まちみち



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