おはようございます。
今回は万葉歌碑巡り、葛城市から葛城古道、五條を経て一気に和歌山県まで入っていきたいと思います。まずは国道24号線、葛城市に入ってすぐにあるのが柿本交差点、これまでは何気なく見過ごしていた地名も歌碑巡りとなると何か響くものが、と思い検索してみると近鉄新庄駅付近にはいくつか万葉歌碑があるとのこと、早速行ってみることにしましょう。まずは写真2枚目、近鉄新庄駅の真ん前にひとつ、駅前に架かっている橋・・・「ひとまろはし」とあるからやはりこの地は柿本人麻呂に由縁のある地なのか・・・の欄干にも歌が刻まれている。踏切を渡ると駅のすぐ真裏にあるのが柿本神社↓↓↓
「春柳 葛城山に 立つ雲の 立ちても居ても 妹をしぞ思ふ」(柿本人麻呂・巻11-2453)
この歌はさっきの橋の欄干にあったのと同じもの、まあ文脈を見ても分かるとおり、いてもたってもいられずあなたを思っていると言う、内容は単純なものです。ちなみにもうお分かりだと思いますが「妹」と言うのは血縁のある妹のことではないですよ、もしそうなら危ない内容になってしまいかねないもんね・・・。
御所市から葛城古道を進んで行くとたどり着いたのが九品寺、この寺院については前にここで紹介したことがありました。その寺院の駐車場にひとつ歌碑があったのですが、字がちょっとわかりにくくこの歌についてもデータがなかったのでここはスルーしておきます。そのまま古道を道標に沿って進んで行って葛城一言主神社へとたどり着く、石段を上って行くと境内に万葉歌碑が立っている↓↓↓
「葛城の 襲津彦真弓 新木にも 頼めや君が 我が名告りけむ」(作者不詳・11-2639)
内容は「葛城の襲津彦が使う新木の強弓のように、私を妻として頼りにしておいでなので、それで私の名を口に出されたのでしょう」(wikiより)、作者は女性で「私の名を口に出された」と言うのは男性が女性に求婚していると言うことに当たる、「葛城の襲津彦」と言うのは大陸に渡って戦った勇猛な人物、その名を例えに出す辺りはこの女性もかなり自意識が高い人だったのでしょうか・・・。
五條市を通り過ぎて和歌山県橋本市へと入りました、五條にもいくつか万葉歌碑があったのですがほとんどスルーしてしまうことになりました、今回は1回で橋本まで行く予定なので本当に申し訳ないことです。まずは真土峠を越えて和歌山県に入ってすぐの所にある観光名所が飛び越え石、昔の人はここを流れる川にあるいくつかの石を飛び越えて国境を行き来していたとのこと、この辺りにはいくつかの万葉歌碑を見ることができる。
「橡の 衣解き洗ひ 真土山 本つ人には なほしかずけり」(作者不詳・12-3009)
写真2枚目にある歌碑にある歌には「真土山」と詠われているのですが、その前の「橡の衣解き洗ひ」とどう言った関係があるのかはよく分かりません。下の句に当たる部分は「うちの奥さんにはかなわないねえ~」と上の句の行為を自慢でもしているかのよう、真土山は何か語呂がいいからとりあえず入れてみたと言った感じですかねえ、サザンオールスターズの曲によく湘南のの地名が出てくるのと同じ感じ・・・って言ったら怒られるかも。
「あさもよし 紀伊人羨しも 真土山 行き来と見らむ 紀伊人羨しも」(調首淡海・1-55)
文武天皇(42代)が祖母の持統天皇(41代)と紀伊の国に行幸に訪れた時に、それに従った調首淡海が詠った歌とのこと。真土山を越えて紀伊の国に入った時の感想を、羨ましいと言う言葉を使って正直な気持ちを詠ったものだと思われます、こう言われると和歌山の人も悪い気はしないもんでしょう。奈良の者としては和歌山を羨ましいと思うことはあまりありませんが、高校野球の強さだけは羨ましいですねえ、智辯和歌山の強さは同じユニホームの奈良にあるチームと比べるとそりゃあ羨ましいもんですわ。でも智辯和歌山、来年のセンバツはどうですかねえ~、微妙なところですかね~、天理が神宮で負けたから余計に微妙な立ち位置になってしまいました、まあ来年の選考会を楽しみに待ちましょう。
「白栲に にほふ真土の 山川に 我が馬なづむ 家恋ふらしも」(作者不詳・7-1192)
もうひとつだけ、一番下の写真にあるJR、南海橋本駅前にある万葉歌碑の歌です、ちなみに歌碑の右側にチラリと写っているのはある漫画のキャラクターですがお分かりでしょうか。ここにも真土と言う地名が出てきますが、山川に「我が馬なづむ」とあるのは馬が川を越えるのを行き悩んでいると言うこと、写真にある飛び越えの石を馬が怖がっていると言うことでしょう。それを自分の家族が旅をしている自分のことを案じていると、まるで自分の都合のいいように詠っている感じです、馬の気持ちも知らないで~とでも言ったところでしょうか。さて、ちょっと駆足で橋本までやって来たのですが、真土峠付近にはまだまだ取りこぼした歌碑もありました、相棒君と行くにはちょっと厳しいところです、まあ機会があればまた再訪して「紀伊人羨しも」な気分になってみようとしましょうか・・・、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。 まちみち
今回は万葉歌碑巡り、葛城市から葛城古道、五條を経て一気に和歌山県まで入っていきたいと思います。まずは国道24号線、葛城市に入ってすぐにあるのが柿本交差点、これまでは何気なく見過ごしていた地名も歌碑巡りとなると何か響くものが、と思い検索してみると近鉄新庄駅付近にはいくつか万葉歌碑があるとのこと、早速行ってみることにしましょう。まずは写真2枚目、近鉄新庄駅の真ん前にひとつ、駅前に架かっている橋・・・「ひとまろはし」とあるからやはりこの地は柿本人麻呂に由縁のある地なのか・・・の欄干にも歌が刻まれている。踏切を渡ると駅のすぐ真裏にあるのが柿本神社↓↓↓
「春柳 葛城山に 立つ雲の 立ちても居ても 妹をしぞ思ふ」(柿本人麻呂・巻11-2453)
この歌はさっきの橋の欄干にあったのと同じもの、まあ文脈を見ても分かるとおり、いてもたってもいられずあなたを思っていると言う、内容は単純なものです。ちなみにもうお分かりだと思いますが「妹」と言うのは血縁のある妹のことではないですよ、もしそうなら危ない内容になってしまいかねないもんね・・・。
御所市から葛城古道を進んで行くとたどり着いたのが九品寺、この寺院については前にここで紹介したことがありました。その寺院の駐車場にひとつ歌碑があったのですが、字がちょっとわかりにくくこの歌についてもデータがなかったのでここはスルーしておきます。そのまま古道を道標に沿って進んで行って葛城一言主神社へとたどり着く、石段を上って行くと境内に万葉歌碑が立っている↓↓↓
「葛城の 襲津彦真弓 新木にも 頼めや君が 我が名告りけむ」(作者不詳・11-2639)
内容は「葛城の襲津彦が使う新木の強弓のように、私を妻として頼りにしておいでなので、それで私の名を口に出されたのでしょう」(wikiより)、作者は女性で「私の名を口に出された」と言うのは男性が女性に求婚していると言うことに当たる、「葛城の襲津彦」と言うのは大陸に渡って戦った勇猛な人物、その名を例えに出す辺りはこの女性もかなり自意識が高い人だったのでしょうか・・・。
五條市を通り過ぎて和歌山県橋本市へと入りました、五條にもいくつか万葉歌碑があったのですがほとんどスルーしてしまうことになりました、今回は1回で橋本まで行く予定なので本当に申し訳ないことです。まずは真土峠を越えて和歌山県に入ってすぐの所にある観光名所が飛び越え石、昔の人はここを流れる川にあるいくつかの石を飛び越えて国境を行き来していたとのこと、この辺りにはいくつかの万葉歌碑を見ることができる。
「橡の 衣解き洗ひ 真土山 本つ人には なほしかずけり」(作者不詳・12-3009)
写真2枚目にある歌碑にある歌には「真土山」と詠われているのですが、その前の「橡の衣解き洗ひ」とどう言った関係があるのかはよく分かりません。下の句に当たる部分は「うちの奥さんにはかなわないねえ~」と上の句の行為を自慢でもしているかのよう、真土山は何か語呂がいいからとりあえず入れてみたと言った感じですかねえ、サザンオールスターズの曲によく湘南のの地名が出てくるのと同じ感じ・・・って言ったら怒られるかも。
「あさもよし 紀伊人羨しも 真土山 行き来と見らむ 紀伊人羨しも」(調首淡海・1-55)
文武天皇(42代)が祖母の持統天皇(41代)と紀伊の国に行幸に訪れた時に、それに従った調首淡海が詠った歌とのこと。真土山を越えて紀伊の国に入った時の感想を、羨ましいと言う言葉を使って正直な気持ちを詠ったものだと思われます、こう言われると和歌山の人も悪い気はしないもんでしょう。奈良の者としては和歌山を羨ましいと思うことはあまりありませんが、高校野球の強さだけは羨ましいですねえ、智辯和歌山の強さは同じユニホームの奈良にあるチームと比べるとそりゃあ羨ましいもんですわ。でも智辯和歌山、来年のセンバツはどうですかねえ~、微妙なところですかね~、天理が神宮で負けたから余計に微妙な立ち位置になってしまいました、まあ来年の選考会を楽しみに待ちましょう。
「白栲に にほふ真土の 山川に 我が馬なづむ 家恋ふらしも」(作者不詳・7-1192)
もうひとつだけ、一番下の写真にあるJR、南海橋本駅前にある万葉歌碑の歌です、ちなみに歌碑の右側にチラリと写っているのはある漫画のキャラクターですがお分かりでしょうか。ここにも真土と言う地名が出てきますが、山川に「我が馬なづむ」とあるのは馬が川を越えるのを行き悩んでいると言うこと、写真にある飛び越えの石を馬が怖がっていると言うことでしょう。それを自分の家族が旅をしている自分のことを案じていると、まるで自分の都合のいいように詠っている感じです、馬の気持ちも知らないで~とでも言ったところでしょうか。さて、ちょっと駆足で橋本までやって来たのですが、真土峠付近にはまだまだ取りこぼした歌碑もありました、相棒君と行くにはちょっと厳しいところです、まあ機会があればまた再訪して「紀伊人羨しも」な気分になってみようとしましょうか・・・、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。 まちみち