まちみちふうけい

間もなく10年目も通過点

No.1553 過去旅より・・・三重県の非電化路線

2021-04-20 10:29:37 | 鉄道
よろしくお願いします。

















三重県は隣の県なのに感染症禍や自身のケガもあって、昨年は一度も足を踏み入れることができませんでした。直近で行ったのが一昨年の近鉄名古屋線各駅巡り、長距離路線を1日かけて伊勢中川駅から近鉄名古屋駅の一つ手前まで進んだのですが、その時はまた三重県走るぞ~、と思っていたのがこんなことになってしまいました。そんなわけで今年は行くぞ~、三重県・・・と意気込んではいたもののもう3分の1を過ぎようとしています。実はこの間、久しぶりに三重県に足を踏み入れました、行先は伊賀上野、奈良から国道163号線を素直に進んでたどり着きました、その記録については近々お伝えしたいと思っています。次はもっと先へ行ってみようと思っているところなのですが、今回はそんな自分(一人称)にフラグを立てる意味で、と言うことで以前に三重県内を走った記録をお送りしていこうと思います。




















お送りしているのはJR紀勢本線、参宮線各駅巡り、走ったのは2015年の8月、甲子園で東海大相模が優勝を決めてすぐの週末でした。その時は亀山駅からではなく関駅から走り始め、山を一つ越えて最初の下庄駅から各駅巡りをスタート、その駅の手前で1番目のゾーンの写真1枚目、2枚目にある4両編成のディーゼルカーが走り去るのを見てテンションが上がってしまったんだよなあ。電化率100パーセントの奈良県ではもう見ることもなきディーゼル車両が三重県内ではまだ幅を利かせて走っている。近年は軽量化された車両が主流になっているが、まだまだ昭和を思わせる車両がいきなり通り過ぎて行ったのが何か凄く新鮮な光景だった。そう言えば昨年暮れに岡山駅に行った時も昭和風味のディーゼルカーを撮りまくったなあ、重厚さが漂う風貌もだけど走行音とかエンジンの音がまた懐かしさをそそられるんだよなあ。1番目のゾーンの真ん中あたりの写真にある一身田駅では上下両方のホームで国鉄型の車両を見ることができた、夏休みの週末なのに学生さんがたくさん乗っていてデッキや扉の前に立っている人もいた、だから5両もつないでいるわけか。列車がホームに停まっている間ずっとディーゼルカー特有のエンジンが鳴り響いている、奈良ではもう絶対に聞くことができない音だ、子供の頃は当たり前のように聞いていた音なのに・・・。















津駅にたどり着くと2つに私鉄が寄り添ってくる、伊勢鉄道はまあ身内みたいなものだが近鉄はれっきとしたライバル路線、そして勝負は歴然としている。特急列車がビュンビュン走り抜ける近鉄に比べて、小さなディーゼル車両がトロトロと単線の路線を走るJRでは勝負にならない、この一方的な対決は名古屋から鳥羽まで続いている。桑名、津、松阪、伊勢市、鳥羽と近鉄と同居している駅ではお客さんはほとんど近鉄に取られてしまって、JRはもう勝負をあきらめている感じ、でもそれでいいんだよなあ、特に張り合う必要もないしマイペースで自分ところが取れるお客さんを運べばそれでいいのです。そうすれば明るい未来も見えてくるのでは・・・、実際名古屋~四日市間はJRがかなり攻勢をかけてきている、でも優等列車が走らない参宮線はまだまだ厳しい。今回ここに並べた写真はもう5年以上前の風景、今はどうなっているのでしょう、まああんまり変わってないと思うのですが、それを見に行くのが今年の宿題です、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。           まちみち





No.1552 京都疎水巡り(6)・・・疏水のスタート

2021-04-19 10:37:16 | まち
よろしくお願いします。




















京都疎水巡りも今回が最終回、流れとは逆向きに巡ってきた水路は大津市に入ってすぐの所でトンネルに姿を消してしまいました。姿が見えないものを追いかけても仕方ない、ここはいつものように国道1号線へと出て逢坂を越えて大津市の中心部へと入る。京阪京津線の線路が路面に合流してすぐにある京町1丁目南交差点を左に折れて三井寺の方へと向かい、途中で右に折れて住宅街の中を進んで行くと北国橋へとたどり着き疏水と再開する。三井寺の近くでトンネルに入ってしまう疏水、大津市で水路の姿を見られるのは琵琶湖の流出口からこのトンネルまでのほんの数百メートルの間、今回はその短い距離を巡る記録です。北国橋のすぐの所にあるのは大津閘門↓↓↓

「閘室など重要な部分に石材が用いられている他は、レンガで築かれており、使用したレンガは約60万個に達します。明治期の現存するレンガ造りの近代閘門としては、石井閘門(宮城県、重要文化財)が最古のものとして知られていますが、大津閘門はそれに次ぐ近代閘門として注目されています。現在は、年数回程度、「びわ湖疏水船」の運航シーズンの開始時と終了時に、舟を通過させるため、閘門を開閉しています。その様子は、疏水沿線からも眺めることができ、水門を通じて水が流れ込む様子は、知られざる見どころといえます。」

とのことです。

















京阪石山坂本線の三井寺駅を通り過ぎると観音寺西交差点、いくつもの道が複雑に分岐する交差点については後程取り上げることとして、ここを通り過ぎると国道161号線観音寺交差点、横断歩道を渡ります。琵琶湖はもう目の前にありここが疏水の始まりとなる所、そんなわけで宇治川の合流点から6回に渡ってお送りしてきた疏水巡りはここであっけなく終わってしまうこととなりました。横断歩道を渡ると道は琵琶湖の方へ少しだけ伸びている、進んで行くと右手側には公園と三角屋根の木造の小屋。公園には写真にあるように「われは湖の子」と彫られた碑と『琵琶湖周航の歌』の歌詞が刻まれた歌碑が立っている、その隣にある木造の小屋はボート部の艇庫らしいがもちろん今はもう使われていなさそう。小屋にある「三高」とは京都大学のことで↓↓↓

「この曲は1917年(大正6年)6月28日、第三高等学校(三高。現在の京都大学)ボート部の部員による恒例の琵琶湖周航の途中、部員の小口太郎による詞を「ひつじぐさ」(作曲:吉田千秋)のメロディーに乗せて初めて歌われた。その後この歌は、三高の寮歌・学生歌として伝えられた。 」

とのことです、いかんいかん、またまた手抜きの手法を使ってしまった。














国道の横断歩道を渡って再び観音寺西交差点へ、何本もの道が交差する中に疏水に架かる橋が浜大津駅方面へ遊歩道となって伸びている。ちょっと気になったのでその遊歩道を進んで行ってみることに、都心に近いところにも住宅地はあって、道はその中をくぐり抜けるようにして浜大津駅の手前まで続いている。どうやらこの道が江若鉄道の廃線跡らしい、まあ確証はないが写真3枚目にある場所辺りが駅があった場所ではないだろうか、左側にある石段が何かの痕跡なような気もしますがどうなんでしょう。ビルの合間を抜けて横断歩道を渡ると浜大津港、大津に来たら毎回ここにきては取り留めもない写真ばかり撮っているのですが・・・やっぱり今回もそうなってしまいました。さて、目的の疏水巡りも終わりました、いや、実はまだ終わっていない、疏水には別線があるのでせっかくなのでそちらの方も巡ることにしましょうか。その記録についてはまた次回と言うことで、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。           まちみち



No.1551 近鉄奈良線2060年問題

2021-04-18 20:47:32 | 鉄道
よろしくお願いします。







「奈良県と奈良市、近畿日本鉄道は25日、近鉄奈良線が横断する世界遺産「平城宮跡」の周辺の渋滞対策で、近鉄奈良線の線路移設を盛り込んだ「踏切改良計画」を策定し、国土交通省に提出した。昨年7月に県の移設案をもとに協議入りした3者は、近鉄奈良線の高架化、地下化を含めた移設で合意。総事業費はおよそ2000億円を想定し、2041年度に着工、60年度の完成を見込む。」

・・・だとさ、着工が2041年、完成が2060年、またえらい未来な話やなあ~、多分もう生きてないだろうなあ。
そんなわけでかねてより懸念されていた近鉄奈良線の近鉄奈良~大和西大寺間の改良計画が発表されました。どうなんだろうねえ、この案?いやまあ別にいいんですけど気が長すぎないか~、何かいかにも荒井知事が言いそうな感じの話なんだけど・・・。大和西大寺駅・・・昔から「西大寺」で馴染んでたからこの駅名にはイマイチ馴染めない、八木とか上本町もそう・・・はついこないだ駅舎がリニューアルされてエキナカやロータリーが整備された、それがもういきなり高架化の話、今の駅は20年しか使わないと言うことか、何かなあ~。その高架となった西大寺駅から上の地図にあるように奈良線は急カーブで大宮通へと入ってそこからは地下を通って奈良駅まで至る、要は平城宮跡域は避けると言うことです。

















踏切改良計画については確かに長年懸念されていたことでした。近鉄奈良駅から西大寺駅までは、地上へ出るとまず新大宮駅前の踏切、次に奈良市役所前の踏切、その次が平城宮跡を南北に貫くみやと通りの踏切、そして二条町の踏切、そのどれもが結構開かずの踏切、ただどの道も幹線ではないのでまあ今のままでもいいんではない、と言った感じ。特急や快速急行などが頻繁に通る路線でしかもこの先にあるのは終点駅の奈良駅、電車は必ず折り返してくるので遮断機が閉まってしまう頻度も高くなってしまう。そして西大寺駅の真横にある踏切、奈良線と京都線が分岐する所にあり一旦閉まってしまうとなかなか開いてくれない、道は幹線道路ではないがバスが通る道とはT字になっているため、遮断機が下りてしまうとそのバス通りの道までが渋滞してしまう、西大寺駅前を通るこの道がもう狭くてしゃ~ないんだよなあ。まあそれを思うと高架化もありと言いたくなるがそれでも実現が40年後ですからね~、今すぐ何とかしてくれとは行かないのが何とも奈良らしいと言うか・・・。











平城宮跡を貫くように走る近鉄奈良線の風景はもうお馴染みもお馴染みと言った感じだが、これも懸念材料とされているとのこと。世界遺産に登録された場所を鉄道が走ることによって歴史的な景観が損なわれる、勝手なこと言っちゃあいかんよ~、元々は鉄道を敷く時にこの場所が歴史的な所だと言うことをちゃんと調べないのが悪いのに。つい数十年前まではここで田んぼを耕している風景の写真もあったくらい、文化財も何もあったもんじゃない扱いを受けていた場所だった、それが現在では世界遺産となって鉄道が邪魔になったなんて、エゴもいいところな話だわ。まあ近鉄電車が平城宮跡を走り抜ける風景はここでももう何度もお伝えしたことがあるし、もう当たり前にある風景だから今更そんなこと言っても、って気になってしまうんだよなあ。朱雀門と近鉄電車と言えばこのシーン↓↓↓



『鹿男あをによし』は奈良の魅力を最大限に引き出してくれたドラマでした、クライマックスのこのシーンも電車がここを通るからこそ、と言った感じだが、その光景も記憶もみんな地下に埋められてしまうことになるんやな。先の踏切問題と合わせていい機会だと思って路線移設に踏み切ったんだろうね、まあそれでもまだ40年後の話なんだろうけど。














西大寺~奈良間には3駅ができる予定、まずは朱雀大路駅(仮)、大宮通りの朱雀門の向かいの所が更地になったのはこのためだったのかな、でも高架になった西大寺駅から平城宮跡の端っこを通って大宮通りまでうまい具合に地下に入ることができるんやろうか。そのまま大宮通りを真っ直ぐ進んで新大宮駅、ここは既存の新大宮駅からは結構距離がある場所・・・多分佐保川を渡って奈良コンベンションセンター辺りに駅ができそう、まあ今の場所は結構治安悪そうな所ですからね。そしてもう一駅、写真下5枚目からは古い写真が並んでいますが、ここは昔近鉄奈良線が地上を走っていた時にあった油坂駅界隈、今度はここの地下に油坂駅(仮)ができる予定です。でも本当に大丈夫なんかね~?用地買収にはお金もかかるし時間もかかる、更に地下を掘るとなるとまたいろいろと出てくるんじゃないかな、もしそうなると工事も止まってしまうだろうし、本当に実現するんでしょうか、このプロジェクト・・・。2060年と言うことだからまあ多分自分(一人称)も生きてないと思うし、別にどうなろうがもうしばらくはこのままだと思うので悠然と構えておくこととしましょう、まあ奈良のことだから計画が頓挫することも大いに考えられることですが。今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。           まちみち



No.1550 日本で2番目に小さな町巡り(1)・・・三宅町屏風地区

2021-04-15 10:45:42 | まち
よろしくお願いします。















奈良県は面積が全国で下から数えて7番目、そのうちの半分以上が吉野郡で他の市町村は北半分に密集しています。狭い範囲の中にいくつもの町がひしめき合っていると面積が小さくなってしまうのは仕方のないところ、日本の町の面積ランキングを見ると下から数えて10位内に3つの町が入っています。下から8番目が川西町、3番目が安堵町、ここでもよく見かける町名だと思いますが今回取り上げるのは日本で2番目に小さい三宅町、これまでも太子道巡り、古墳巡り、川巡りなどで取り上げたことがあり、南に向かう時にも通り過ぎることもあってよくここでも何度でも名前を出すことが多い町名です。安堵町、川西町とはつながるように接していて、どちらかと言うと奈良県内の中では地味なイメージがある町なのですが、これまでは各テーマで巡っていた所を三宅町そのもの町巡りとして、3回に渡ってお送りしていきたいと思います。まあ小さな町です、自転車なら3~4時間もあればほとんど町域を回ることができました、それでは行ってみることとしましょう。

まずは川西町にある飛鳥川の堤防沿いにある集落から車が通るのも難しいほどの狭い道を進んで、いつの間にか三宅町へと入ってまず上の写真にある町並、小柳集落へと入る。この辺りは馬見丘陵公園へ行くときによく通る所、通り慣れた道、見慣れた町並、急なカーブの上り坂を進んで行くと飛鳥川へとたどり着くが橋を渡るともう広陵町へと入ってしまう。町の境界を通る飛鳥川沿いの堤防は現在工事中で行くことができない、いったん広陵町に入って県道108号線を大和郡山方面に戻ると再び三宅町に入り、飛鳥川を渡ると右手側に靴下の工場が見えてくる。米ぬかを使って製造された靴下は以前『鶴瓶の家族に乾杯』で取り上げられたことがあり、売れるまでにかなり苦労した話をされていました。そうそう、三宅町と言うと昨年この番組で加藤雅也が訪れていました、奈良県民なのに行ったことがない所だからここを選んだと言っていました、どんだけ存在感の薄い町なんや・・・。




















さっきのゾーンの靴下工場から県道を3分も進まないうちに川西町へと入ってしまう、次の目的地へはいったんその川西町を走ることとなる。県道108号線は唐院交差点で右へと折れて天理方面へ、しばらく進むと左手側に墓地がある、その道へと入るとまたまた三宅町へと入り、正面の田んぼの中にポッコリとした丘が見えてくる。以前古墳巡りでもやって来たことがある寺の前古墳、墓地を抜けて畦道を進んで行くと安養院と確かに寺院があるので寺の前?そんな単純な名前なわけないか。その道を少しだけ進むと今度は田んぼの中に四角い丘が見えてくる、これが茄子塚古墳、この辺りは三宅古墳群に当たり、付近にはそれらしい丘が平べったい地形の中に浮かび上がるように見えている。その平べったい地形の中で更に目に着くのが畑の中を縫うように流れる水路、側にある看板にはこの辺りは大きな川に挟まれた所なので、その水の流れを逃がすために造られた水路だと書かれている。

















今走っているのは三宅町の中心部からは少し離れた田園風景の中、ちなみに中心部と言える所は駅が近いとか主要道路が通っているとかいろいろ考えられるが、三宅町は狭い町なので役場がある所を一応中心部としておきます。その役場や町の施設が前方に見えている田んぼの中の道を水路に沿って進んで行くとアンノ山古墳、緑の部分はほとんど見当たらず冬枯れした丘は周辺の田んぼと同化してしまっている。更に進んで行くとこれは古墳とすぐにわかる形の瓢箪山古墳、ポッコリとした丘の上には何か碑のようなものが立っている。名前は瓢箪山だが形はまあ瓢箪と言っても許せるかな~レベル、何かクジラかでっかいナマズが地上に埋まっている感じ、と言うと地元の人は気を悪くしてしまうか。そんなわけで始まりました三宅町巡り、狭い町を3回もかけて巡るのもまた呑気な話になってしまうかも知れませんが、この先もお付き合い願いたいところです、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。           まちみち


No.1549 和歌山の旅、2021年新春(3)・・・和歌山市へ

2021-04-14 10:23:56 | 文化財
よろしくお願いします。





















和歌山市へ向けての走り、国道24号線にある道の駅付近で万葉歌碑巡りを終えた後も紀ノ川沿いをひたすらと進んで行きます。耳にお付き合いの箱根駅伝ではまさかの大逆転劇が繰り広げられていました、駒沢が3分以上の差をつけていた創価を10区でひっくり返しての優勝となりました。舞台稽古のために途中退場したゲスト解説の和田正人・・・それでもマネージャーに許可をとって30分長くいてくれた、何ていいやつなんだろう・・・もまさか創価が負けるとは思わなかっただろうな、まあ勝負事は最後まで分からない、絶対にあきらめてはいけないということです、大八木監督もなかなかいい男でした。自分(一人称)も走りの方はあまりの風のきつさに一瞬気持ちも折れそうになったが、あきらめずに最後まで走ることとしよう、今日の最終目標は・・・まあそれは後程、まだそこまでたどり着けるかどうか分からないですからね。今回は今まで走ったことのない紀ノ川の南側の地域を走って岩出市を通り過ぎて、その後和歌山市へと入りました、次の目的地は万葉歌碑のある場所です。


















もう和歌山市の中心部は目の前と言った所、交通量が多い県道9号線を左へと折れてたどり着いたのは紀伊風土記の丘、正月3日で明日から仕事始めの人も多いのでしょうが駐車場にはたくさんの車が止まっていて、公園に向かう道にもたくさんの人が歩いていました。その道を進んで入口の手前で相棒君を止めて園内へと入って行く、ここでの目的も万葉歌碑なのだが、園内に入るとすぐに見るからに文化財と言った感じの古民家が目に入ってきた。上り坂の両側には古民家や住居の遺跡が建ち並び、その奥には古墳群もあるとのこと、目指す万葉歌碑はその上り坂を進んで行った小高い場所にある万葉植物園にあるのですが、その模様についてはまた別の枠でお送りすることとしておきましょう。この紀伊風土記の丘は名前は知っていたのですが訪れるのは今回が初めて、万葉歌碑巡りのために来ただけだったが、古民家や古墳など興味が引かれる見所もいろいろ。ただそれらを巡るには今回はあまりにも時間がなさすぎた、これもまた次回への宿題となってしまいました、でも今のところ和歌山に行く予定はないんですよね、次回はいつ行くことになるのやら・・・。













紀伊風土記の丘を後にして、県道9号線へは戻らず山を囲むようにある道を南回りで進んで行く。日前神宮前を通り過ぎてJR和歌山駅の南側のアンダーパスを越えて和歌山市の中心部へ、和歌山の道も碁盤の目のようになっていて、あまり走ることもないからどの道を進むとどこへ行くと言うのがあまりよく分からない。今進んでいる県道138号線は写真にある道標にあるように、このまま進んで行くと県庁や和歌山港へと行くことができるみたいなので、そのまま真っ直ぐ進んで行くことにする。やがて右手側には和歌山城が見えてきた、ここまで来ると位置関係もだいたい分かってくる、そのまま進んで行くと県庁前交差点へとたどり着いた。ここは国道24号線、26号線、42号線が起点終点となる道路のターミナル、交差点の一角には写真にもあるように道路元標が立って・・・たか、今まで?これだけ目立って立ってたら気づくはずなんだけど、自分(一人称)が見落としてたんやろうか~、だったらチコちゃんに叱られんなあきませんね~。さて、空もだんだん暮れてきましたが最終目的地の和歌山港へはまだ明るいうちに行けそうです、さあ、海に沈む夕日、見ることができるでしょうか?空は何か曇っている感じなんだけど・・・、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。           まちみち