大陸旅遊倶楽部的日記

三国志・水滸伝・史記の旅と中国茶のほかモロモロ…

頤和園2015 その十 昆明湖1

2015年09月24日 | 中国の旅

東堤から十七孔橋を渡った先、南湖島の広潤霊雨祠(こうじゅんれいうし)は
元は竜王廟で宮廷の雨乞いの場。
西太后は船で頤和園にやってくると、船を降りて焼香したそうだ。

     ▼広潤霊雨祠の竜王さま(2002年冬撮影)

昆明湖は乾隆年間までは、西湖といっていたそうで
現在も昆明湖の西堤を隔てて西湖の名前は残っている。

乾隆帝は水軍を調練する為に、西湖を東に拡大して昆明湖を造ったが
その際、竜王廟の周囲の土地を残して南湖島としたそうだ。
南湖島は竜王廟の島ということか。

竜王廟の脇には藤棚があって、このシーズンは藤の花がとても美しかった。 
今回は時間の関係でそのまま船着場に向かったので見ていないが、
時間があれば是非見ていただきたいスポット。 


   ▲涵虚堂 この前の船着場から仏香閣方面へ船が出ている

涵虚堂(かんきょどう)は昆明湖北岸の仏香閣に相対して建っている。
乾隆年間は望蟾閣(ぼうせんかく)という三階建ての楼閣で
水軍の調練を観閲した所だった。

光緒年間に平屋に建て替えられ、西太后はここから海軍学堂の演習を
見学したそうだ。

現在はここの前から対岸の仏香閣方面に向けて遊覧船が出ている。
遊覧船は別料金で15元(300円)。 


      ▲西堤は杭州・西湖の蘇堤を模している▼

遊覧船は西堤を脇に一路仏香閣方面へ。
西堤は杭州西湖の蘇堤を模したというだけあって、船の上から眺めると
西湖にいるような感覚を覚える。 


  ▲南湖島対岸の仏香閣


▲仏香閣の西側にある船着場。上部の建物は画中游

写真上部の建物は頤和園で唯一乾隆帝時代からある建物群
この中に身をおくと絵画の一部になったような気がするということで
画中游(がちゅうゆう)と呼ばれる。


  ▲清晏舫(せいあんぼう)=石舫(せきぼう)

清晏舫は旧称を石舫といい、乾隆20(1755)年に造られた。
当時は中国式の船楼があったそうだが、英仏連合軍に焼き討ちされて
しまい、光緒19(1893)年に欧米の観光船を模した船楼を再建した。

清晏は河清海晏(かせいかいあん=黄河が澄み、海が穏やかの意。
転じて天下泰平の象徴)からきているそうだ。