不登校の息子とビョーキの母

不登校の息子との現在、統合失調症の母との過去

おなかが痛い!

2019-03-05 11:14:47 | 日記
うちは二人姉妹なので、先に結婚したほうが家を出れば、残ったほうがビョーキの母の面倒を見なければいけません。

いや、「いけない」ということはなくて、成人なのだから家を出て一人暮らしをしてもいいのですが、
父の事業が傾いて以来何かと世話になりっぱなしの叔父夫婦や祖母の手前もあって、
母を一人で置いていくのはマズい気がするわけです。
火事でも出したら困りますし……。

認知症の親を独り暮らしさせていたら、同じような気持ちかもしれません。

そういうわけで私はわりあいに早めの24歳で結婚しました。
うまいこと姉に母を押し付けたわけです。

その後もたまに遊びに行くことはありましたが、手入れをしない古民家はまるで廃屋のようだし、
ろくにもてなしもできない母の元に夫を連れて行くのも気が引けて、足が遠のいてしまっていました。
母も夫に遠慮があるようで、来いとわざわざ言うことはありませんでした。

「この前電車の中で倒れちゃったの。救急車で運ばれて、警察病院に行ってさ……」
こんな電話がかかってきたのは、私が結婚して2~3年たった頃だったと思います。

「えっ、なんで?」
私は驚いて聞き返しました。

「なんか、パニック障害とか言うんだって。急に心臓がバクバクして、おなかが痛くなって」

今はよく聞くようになった病名ですが、この時の私には初耳でした。

「で、どこが悪いの?」
「どこも悪くないんだって」
姉はきまりが悪そうに笑って、
「まあストレスみたいなもの?じゃないかって……」

「どうしたら治るの?」
「それは分からないんだって。私の場合、電車に乗らなければ大丈夫みたいなんだけどね」
「電車に乗らない、って……」
私は絶句しました。独身の姉は毎日電車に乗って仕事に行っています。
ビョーキの母が働けるはずもありません。

父の生命保険は借金の返済にほとんど消えてしまい、母の生活費は毎月少しずつ祖母が送ってくれていました。

とはいえ、住んでいる家は祖母のものだし、どこへも出かけない、何も買わない、
服すら着替えない母に必要なお金と言えば、公共料金と食費と統合失調症の通院治療費くらいでしたが。

私だけがうまく母から逃げおおせたと思ったのは、甘い考えでした。
ビョーキの母との生活が、姉の心を少しずつむしばんでいったのでしょう。

私は久しぶりに実家に足を踏み入れることにしました。