コロナ禍で在宅勤務を余儀なくされた人は多いと思いますが、オンラインで働けるというのはヒキコモリにとっては朗報じゃないでしょうか。
誰とも会わずに済むなら私みたいな対人恐怖症でも働けます。まあヒキコモリの根っこがすべて対人恐怖とは限らないでしょうが……。
私は翻訳家を目指していますが、前は翻訳者をやっていました。
「翻訳家と翻訳者ってどう違うの?」
と思われるかもしれません。
私の感覚では、「翻訳家」は物書き、「翻訳者」は技術者です。
私がやっていたのは韓国ドラマやバラエティ番組に字幕を付ける仕事です。
エンターテインメントなのにと意外に思われるかもしれませんが、字幕ではあまり個性を出しません。
テレビで放送する場合はもちろんDVDにする場合でも、字幕の納期は短いので、一人で全部訳すことはまれなのです。
1話の映像ができたらAさんが訳して、その間に2話の映像ができたらBさんが訳して、
Aさんが1話を訳し終えた頃に3話の映像が来るといった具合です。
もっと納期が短い場合には3人とか4人で担当することもあります。
チームでの作業になるので、個性を出してしまうとドラマ全体のバランスが取れなくなる恐れがあるのです。
そしてなるべく意訳はしません。というのも回想シーンなどの場合は過去話から当該場面を探す必要があるからです。
例えば「トッポッキが食べたかった」というセリフを「おやつが食べたかった」などと訳してしまった場合、
「トッポッキ」というワードを検索して当該のシーンを捜し出そうとしてもヒットせず、最悪の場合過去話を全部見直すことにもなりかねないからです。
字幕が没個性でも、俳優の演技があるので作品は十分楽しめます。そういう意味で字幕翻訳家は完全なる裏方です。
必然性がない場合は方言も訳さないし、呼称も『揺れ』がないようにします。
主人公の一人称が、ある時は「俺」で、ある時は「僕」、またある時は「私」では困るのです。
「主人公の一人称は『俺』、ただし仕事中は『私』」というようにちゃんと統一して表にまとめ、関係者全員が閲覧しながら作業を進めます。
表記も同様で、「バカ」なのか「馬鹿」なのか、「ダメ」なのか「駄目」なのか、いちいち決めていきます。
ドラマの字幕は1秒に4文字くらいまでがストレスなく読み切れる分量だと言われています。
ぴったりの訳語が見つかっても、字数が合わないために言いかえる、場合によっては丸々割愛せざるを得ないこともあります。
「驚いた」では字数が足りない、でも「びっくりした」ではこの人物の役柄からすると軽すぎる。じゃあ「驚きを感じた」にしようか……
こんなパズルのような作業を日々繰り返すことによって「似た内容を様々に言いかえる」という言葉の引き出しは確実に増えたと思います。
役者が早口でしゃべると、全てを字幕に入れることはできません。しゃべっている内容の中で何を捨て、何を活かすかを判断することも大切です。
その場では不必要に見える情報でも、あとで重要な伏線になる場合も少なくないからです。
多くの場合は脚本だけ先に渡されますが、全部読んでから作業するほどの時間はとてもありません。
要するに字幕翻訳はかなりな自転車操業なのです。
『翻訳家』にはこういう制約が少ないんじゃないかと思います。別の難しさはあると思いますが……。
誰とも会わずに済むなら私みたいな対人恐怖症でも働けます。まあヒキコモリの根っこがすべて対人恐怖とは限らないでしょうが……。
私は翻訳家を目指していますが、前は翻訳者をやっていました。
「翻訳家と翻訳者ってどう違うの?」
と思われるかもしれません。
私の感覚では、「翻訳家」は物書き、「翻訳者」は技術者です。
私がやっていたのは韓国ドラマやバラエティ番組に字幕を付ける仕事です。
エンターテインメントなのにと意外に思われるかもしれませんが、字幕ではあまり個性を出しません。
テレビで放送する場合はもちろんDVDにする場合でも、字幕の納期は短いので、一人で全部訳すことはまれなのです。
1話の映像ができたらAさんが訳して、その間に2話の映像ができたらBさんが訳して、
Aさんが1話を訳し終えた頃に3話の映像が来るといった具合です。
もっと納期が短い場合には3人とか4人で担当することもあります。
チームでの作業になるので、個性を出してしまうとドラマ全体のバランスが取れなくなる恐れがあるのです。
そしてなるべく意訳はしません。というのも回想シーンなどの場合は過去話から当該場面を探す必要があるからです。
例えば「トッポッキが食べたかった」というセリフを「おやつが食べたかった」などと訳してしまった場合、
「トッポッキ」というワードを検索して当該のシーンを捜し出そうとしてもヒットせず、最悪の場合過去話を全部見直すことにもなりかねないからです。
字幕が没個性でも、俳優の演技があるので作品は十分楽しめます。そういう意味で字幕翻訳家は完全なる裏方です。
必然性がない場合は方言も訳さないし、呼称も『揺れ』がないようにします。
主人公の一人称が、ある時は「俺」で、ある時は「僕」、またある時は「私」では困るのです。
「主人公の一人称は『俺』、ただし仕事中は『私』」というようにちゃんと統一して表にまとめ、関係者全員が閲覧しながら作業を進めます。
表記も同様で、「バカ」なのか「馬鹿」なのか、「ダメ」なのか「駄目」なのか、いちいち決めていきます。
ドラマの字幕は1秒に4文字くらいまでがストレスなく読み切れる分量だと言われています。
ぴったりの訳語が見つかっても、字数が合わないために言いかえる、場合によっては丸々割愛せざるを得ないこともあります。
「驚いた」では字数が足りない、でも「びっくりした」ではこの人物の役柄からすると軽すぎる。じゃあ「驚きを感じた」にしようか……
こんなパズルのような作業を日々繰り返すことによって「似た内容を様々に言いかえる」という言葉の引き出しは確実に増えたと思います。
役者が早口でしゃべると、全てを字幕に入れることはできません。しゃべっている内容の中で何を捨て、何を活かすかを判断することも大切です。
その場では不必要に見える情報でも、あとで重要な伏線になる場合も少なくないからです。
多くの場合は脚本だけ先に渡されますが、全部読んでから作業するほどの時間はとてもありません。
要するに字幕翻訳はかなりな自転車操業なのです。
『翻訳家』にはこういう制約が少ないんじゃないかと思います。別の難しさはあると思いますが……。
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