講演会で販売していた
佐藤初女さんのご本を一冊
連れて帰って読んだ。
限りなく透明に
凛として生きる
初女さんにインタビューしてるのを
ライターさんが起こしてるんだけどね
少し残念だったな。
ライターさんの推したい部分が
太ゴシックになってるの。
講演会主催の、わたしのお菓子の先生が
おっしゃってた。
初女さんの言葉から、なにをどのように
受け止めるかは、聞き手によってさまざまだとおもう。それでいい。それがいい。
だからご本の感想ではなくて
講演会、ご本、そこから派生して
調べたもの、見たもののことを
書いてみようと思う。
初女さんの持っている施設の名前
森のイスキア。
いすきあ、って、なんだろう?
それはイタリアにあるちいさな離島。
スパが有名なんだって。
とても不便なところにある。
カプリ島までいって、超絶早起きして、朝イチの船に乗って
やっと着くのはお昼すぎ。
初女さんの施設は
イタリア人のお金持ちの青年が
イスキア島で人生をみつめなおした
という、お話にちなんでつけられたそう。
本家は青い海に抱かれた場所。
初女さんのは岩木山のふもと。
だから、森のイスキアなんだね。
幼い頃、教会の鐘に惹かれて
神様とおちかづきになった初女さん。
洗礼は、でも、それからずっとあと、
ひとり息子を産んだあと。
胸にお病気があった初女さんは
出産を周囲に強く反対されたそう。
でも、じぶんのなかに宿った
いのちの強さを信じたと。
だけど生まれた赤ちゃんを
抱く体力がなかったので
いつも二人でともに神様を
感じることで繋がろうとおもった。
その息子さんのお嬢さんが
映画のなかで一緒に
胡桃を割ったり菊を摘んだりしてた
お孫さんなんだね。
あの映画は1995年公開、
わたしが娘を産んだ年。
ふたりっきりで、四六時中
過ごす日々はしんどかったけど
とても楽しかったな。
彼女がふにゃん、と目覚めてる間は
ずーーっと間断なく話しかけてた。
私の妹が笑って
おねーちゃんアカンボにそんなの
わかんないよ、と云ってたけど
ちゃあんと彼女はインプットしていて
一歳半くらいからは、ものすごい勢いで
みずから喋るようになった。
舌や唇の巧緻性よりもさきに
言語中枢がめきめき育ったから
不思議な言い回しになっていて
それもとってもおもしろかった。
その頃の言い回しでとくに
だいすきだったのは
「あっとー」
ありがとう、てことなの。
バランス悪いおっきなあたまを
こくん、とさせながら
感謝の気持ちをあらわす。
私も真似して、なにかしてくれるたびに
おんなじように云うと
とても嬉しそうだった。
だからついうっかり、玉ねぎの皮、
一個むいてくれて、あっとーって云うと
あっというまに袋いっぱいの玉ねぎが
まるぼうずになっちゃうんだけどね。
初女さんの講演会で
とてもおどろいたのは
っていっても何から何まで
驚きの連続だったけれど
とりわけびっくりしたのは
映画上映終わり、15分休憩です、
そのあと初女さん講演です、
って
司会のミナホちゃん(ぐっじょぶ!)
がいうがはやいか
初女さんが壇上にあらわれ
すっ、と座られたこと。
え?え?休憩だけど?
そして初女さんは
壇のお椅子から
会場をゆっくりゆっくり
見回していらしたの。
そしたら、お部屋のなかの空気が
とても澄んで、軽やかで、温かくなった。
初女さんのお顔はとても穏やかで
肌の色がすきとおるようだった。
そして15分経ち、話をはじめた初女さんは、
この機会を持てたことを関係するすべての人に感謝します。
だけどさらりと感謝しますというだけでは軽すぎてとてもつらい。
だからこの思いはこれからの
わたしの暮らしに生かします。
とおっしゃった。
え?え?これはエンディング?
いや、これが、
感謝からはじめるのが
このひとのやりかたなんだ、
って思ったときに
少し鳥肌たったの。
それで、終わるときもやはり
感謝で終わる。
大変な思いで産み育てた息子が
じぶんより先に亡くなってしまい
深い悲しみに落ち込んでさえも
そのあとなぜか、たてつづけに
一人息子を亡くしたという来客が
あらわれたことを
これは神様がいつまでも落ち込んでたら
いけないよ、とおっしゃってるんだな、と
ありがたく受け止められる
とても強くて
とてもすなおな心。
お料理をするひとらしい
表現で
だいこんでも、煮ていると
ある瞬間透明になり
そこから煮汁のおいしさを
含むようになる、と。
我を張るのではなく
まわりから流れてくるものを
すうっと吸い込める
透明なにんげんでいたい
だけどそれは
自分がないということじゃない
むしろ、確固とした信念が
あるからこそ
どんな風もとりこめる
そこにたどりつくまでに
わたしはあとどれだけのことを
しなくちゃならないんだろう。。
でも、そこにいってみたいな。
そして最後に、初女さんが
おむすびのつくりかたを
教えてくださってる動画を見た。
YouTubeってありがたいね。
おむすびのために、切り取る
海苔のはじっこ
たった2センチ。
それが、たくさん出るから
佃煮にしているとおっしゃる
初女さん。
そんなにも、たくさんのおむすびが
今このときも、だれかをなぐさめて
いきる力をくれてるんだな。
そして、玉ねぎをかたっぱしから
むいていた娘が19になり
講演会の翌日の
おむすび講習会で習ってきた
おいしいおむすび。
この機会をつくってくれた人
おいしい食材を育ててくれた人
大切に持ってかえってくれた娘
そしてもちろん、初女さんに
ありがとうの思いで
いただいたのだった。
しみじみと、しあわせだったよ。
佐藤初女さんのご本を一冊
連れて帰って読んだ。
限りなく透明に
凛として生きる
初女さんにインタビューしてるのを
ライターさんが起こしてるんだけどね
少し残念だったな。
ライターさんの推したい部分が
太ゴシックになってるの。
講演会主催の、わたしのお菓子の先生が
おっしゃってた。
初女さんの言葉から、なにをどのように
受け止めるかは、聞き手によってさまざまだとおもう。それでいい。それがいい。
だからご本の感想ではなくて
講演会、ご本、そこから派生して
調べたもの、見たもののことを
書いてみようと思う。
初女さんの持っている施設の名前
森のイスキア。
いすきあ、って、なんだろう?
それはイタリアにあるちいさな離島。
スパが有名なんだって。
とても不便なところにある。
カプリ島までいって、超絶早起きして、朝イチの船に乗って
やっと着くのはお昼すぎ。
初女さんの施設は
イタリア人のお金持ちの青年が
イスキア島で人生をみつめなおした
という、お話にちなんでつけられたそう。
本家は青い海に抱かれた場所。
初女さんのは岩木山のふもと。
だから、森のイスキアなんだね。
幼い頃、教会の鐘に惹かれて
神様とおちかづきになった初女さん。
洗礼は、でも、それからずっとあと、
ひとり息子を産んだあと。
胸にお病気があった初女さんは
出産を周囲に強く反対されたそう。
でも、じぶんのなかに宿った
いのちの強さを信じたと。
だけど生まれた赤ちゃんを
抱く体力がなかったので
いつも二人でともに神様を
感じることで繋がろうとおもった。
その息子さんのお嬢さんが
映画のなかで一緒に
胡桃を割ったり菊を摘んだりしてた
お孫さんなんだね。
あの映画は1995年公開、
わたしが娘を産んだ年。
ふたりっきりで、四六時中
過ごす日々はしんどかったけど
とても楽しかったな。
彼女がふにゃん、と目覚めてる間は
ずーーっと間断なく話しかけてた。
私の妹が笑って
おねーちゃんアカンボにそんなの
わかんないよ、と云ってたけど
ちゃあんと彼女はインプットしていて
一歳半くらいからは、ものすごい勢いで
みずから喋るようになった。
舌や唇の巧緻性よりもさきに
言語中枢がめきめき育ったから
不思議な言い回しになっていて
それもとってもおもしろかった。
その頃の言い回しでとくに
だいすきだったのは
「あっとー」
ありがとう、てことなの。
バランス悪いおっきなあたまを
こくん、とさせながら
感謝の気持ちをあらわす。
私も真似して、なにかしてくれるたびに
おんなじように云うと
とても嬉しそうだった。
だからついうっかり、玉ねぎの皮、
一個むいてくれて、あっとーって云うと
あっというまに袋いっぱいの玉ねぎが
まるぼうずになっちゃうんだけどね。
初女さんの講演会で
とてもおどろいたのは
っていっても何から何まで
驚きの連続だったけれど
とりわけびっくりしたのは
映画上映終わり、15分休憩です、
そのあと初女さん講演です、
って
司会のミナホちゃん(ぐっじょぶ!)
がいうがはやいか
初女さんが壇上にあらわれ
すっ、と座られたこと。
え?え?休憩だけど?
そして初女さんは
壇のお椅子から
会場をゆっくりゆっくり
見回していらしたの。
そしたら、お部屋のなかの空気が
とても澄んで、軽やかで、温かくなった。
初女さんのお顔はとても穏やかで
肌の色がすきとおるようだった。
そして15分経ち、話をはじめた初女さんは、
この機会を持てたことを関係するすべての人に感謝します。
だけどさらりと感謝しますというだけでは軽すぎてとてもつらい。
だからこの思いはこれからの
わたしの暮らしに生かします。
とおっしゃった。
え?え?これはエンディング?
いや、これが、
感謝からはじめるのが
このひとのやりかたなんだ、
って思ったときに
少し鳥肌たったの。
それで、終わるときもやはり
感謝で終わる。
大変な思いで産み育てた息子が
じぶんより先に亡くなってしまい
深い悲しみに落ち込んでさえも
そのあとなぜか、たてつづけに
一人息子を亡くしたという来客が
あらわれたことを
これは神様がいつまでも落ち込んでたら
いけないよ、とおっしゃってるんだな、と
ありがたく受け止められる
とても強くて
とてもすなおな心。
お料理をするひとらしい
表現で
だいこんでも、煮ていると
ある瞬間透明になり
そこから煮汁のおいしさを
含むようになる、と。
我を張るのではなく
まわりから流れてくるものを
すうっと吸い込める
透明なにんげんでいたい
だけどそれは
自分がないということじゃない
むしろ、確固とした信念が
あるからこそ
どんな風もとりこめる
そこにたどりつくまでに
わたしはあとどれだけのことを
しなくちゃならないんだろう。。
でも、そこにいってみたいな。
そして最後に、初女さんが
おむすびのつくりかたを
教えてくださってる動画を見た。
YouTubeってありがたいね。
おむすびのために、切り取る
海苔のはじっこ
たった2センチ。
それが、たくさん出るから
佃煮にしているとおっしゃる
初女さん。
そんなにも、たくさんのおむすびが
今このときも、だれかをなぐさめて
いきる力をくれてるんだな。
そして、玉ねぎをかたっぱしから
むいていた娘が19になり
講演会の翌日の
おむすび講習会で習ってきた
おいしいおむすび。
この機会をつくってくれた人
おいしい食材を育ててくれた人
大切に持ってかえってくれた娘
そしてもちろん、初女さんに
ありがとうの思いで
いただいたのだった。
しみじみと、しあわせだったよ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます