他人が何を信じようが構わないのだ。
他人は他人なのだ。
相手に対して勧めてこなければいいのだ。
結婚した相手が幸いにも地元に氏神様がいた。
義父は毎年、正月に氏神様(神社)の手伝いをしていた。
この神社の寄進には寄付をしたので、神社に名前が刻まれた。
先祖代々のお墓が曹洞宗のお寺にある。
市内の自宅からも徒歩で行かれるお寺にある。
ところが私の家の親戚も主人の家の親戚も新興宗教を信心している人がいる。
果ては私の親戚にはカルト教団までいるのだ。
私が子供のころには我が家も父の姉の影響で某新興宗教の信者だった。
自宅の隣が協会だった。
お店を始めたが、信者しか来なかったのでつぶれた。
従姉が嫁に行き、行った先が別の新興宗教だったので、改宗した。
その従姉の父が亡くなったときは元の宗教で葬儀をした。
母だけが残った。(おばさんです。父の姉です)
そのおばさんは従姉によって改宗した。
そしたら元気になったという。
本当かどうかは定かではない。
別の従姉によると、おばさんは娘の言いなりだそうだ。
母方の従弟は病気のデパートで若くして死んだ。
おばさん(母の妹)も病気を抱え、認知症にもなり、死んだ。
たまたま嫁ぎ先が新興宗教の信者だった。
亡くなったニューヨークに渡った従姉は別の宗教に改宗した。
おばさん(父の姉)は熱心な信者だった。
しかし今は誰一人としてやってはいない。
母の弟の嫁がカルト教団です。
気が付いたらカルト教団に入っていた。
私の父は若くして新興宗教をやめてくれたので良かったと思う。
私は嫁にきて数年目に主人のおばさんが自宅に信者の夫婦を連れてきて、2時間も説得された。
信心すれば幸せな家庭が築けるという。
我が家に子供がいないのも信心していないからだというのだ。
延々と2時間も説得され、その気がないので、後日主人の両親に話して断ってもらった。
そのおばさんの家の息子夫婦にも子供はいない。
独身の頃に話を戻すと、某デパートの食品売り場で働いていた時に、周りがみんな某新興宗教の信者だった。
お昼休みや休憩時間にその新興宗教の話をしてくるのにはまいった。
職場の同僚はそれが嫌で会社を辞めた。
ある時旅行に行ったら有名なお寺を見学しないと言う。
バスの中で待っていると言う。
ツアーだった。
一人だけお参りしなければいいのよ。
と、行って付き合ってくっれた。
残りの数名はバスの中にいたのは言うまでもない。
私はお寺を見学し、お参りし、バスに戻ってきた。
その後、門前の蕎麦屋にはみんなで入って蕎麦を食べた。
そういえば小学生の時に同級生に神社のお祭りを誘ったら断られたことがあった。
彼女は適当な理由を付けたと思うが、今にして思えば新興宗教の信者だったかもしれない?
高校の修学旅行に行ったら、同級生の数名が大浦天主堂で文句を言った。
「大したことはないわね。つまらないね」
その数名は熱心な新興宗教の信者の家庭だった。
高校生の時には学校の名簿に親の職業欄を書くところがあり「宗教教師?」みたいな職業の他人もいた。
おそらく自宅が新興宗教の教会だと思われた。
社会人になって2度目の会社ではアルバイトに来ていた人が、実家が新興宗教を生業にしているというだけで、どこの会社も就職先を断られて、アルバイトをしていた私の会社に就職した。
親の職業が新興宗教というだけで就職できないのは差別である。
我が家が新興宗教をやっていたからと言って子供ができる保証もないのだ。
主人も私も病気にならずに元気に過ごせる保証もないのだ。
近所の友達は新興宗教の教会をしている。
彼女は私には勧めてはこない。
そもそも新興宗教で子供ができるとは思わないし、病気にならないとも思わない。
単に心のよりどころに過ぎないのだ。
私はお寺も神社も行く。
教会も見学できるならするのだ。
もしも結婚した相手が何らかの新興宗教をやっていたら、結婚はしなかったと思う。
拝んで子供ができるなら不妊治療には通わなかったと思う。
主人も私も病気にはならなかったと思う。
宗教というのは単に心のよりどころでしかないのだ。
他人に勧めて自分が幸せになれるとは思えないのだ。
お正月には氏神様にもお参りに行く。
厄年には厄払いにも行くのだ。
地元のお祭りに主人の亡くなった父は八雲神社のにわか神主をしていた。
他人は他人なのだ。
相手に対して勧めてこなければいいのだ。
結婚した相手が幸いにも地元に氏神様がいた。
義父は毎年、正月に氏神様(神社)の手伝いをしていた。
この神社の寄進には寄付をしたので、神社に名前が刻まれた。
先祖代々のお墓が曹洞宗のお寺にある。
市内の自宅からも徒歩で行かれるお寺にある。
ところが私の家の親戚も主人の家の親戚も新興宗教を信心している人がいる。
果ては私の親戚にはカルト教団までいるのだ。
私が子供のころには我が家も父の姉の影響で某新興宗教の信者だった。
自宅の隣が協会だった。
お店を始めたが、信者しか来なかったのでつぶれた。
従姉が嫁に行き、行った先が別の新興宗教だったので、改宗した。
その従姉の父が亡くなったときは元の宗教で葬儀をした。
母だけが残った。(おばさんです。父の姉です)
そのおばさんは従姉によって改宗した。
そしたら元気になったという。
本当かどうかは定かではない。
別の従姉によると、おばさんは娘の言いなりだそうだ。
母方の従弟は病気のデパートで若くして死んだ。
おばさん(母の妹)も病気を抱え、認知症にもなり、死んだ。
たまたま嫁ぎ先が新興宗教の信者だった。
亡くなったニューヨークに渡った従姉は別の宗教に改宗した。
おばさん(父の姉)は熱心な信者だった。
しかし今は誰一人としてやってはいない。
母の弟の嫁がカルト教団です。
気が付いたらカルト教団に入っていた。
私の父は若くして新興宗教をやめてくれたので良かったと思う。
私は嫁にきて数年目に主人のおばさんが自宅に信者の夫婦を連れてきて、2時間も説得された。
信心すれば幸せな家庭が築けるという。
我が家に子供がいないのも信心していないからだというのだ。
延々と2時間も説得され、その気がないので、後日主人の両親に話して断ってもらった。
そのおばさんの家の息子夫婦にも子供はいない。
独身の頃に話を戻すと、某デパートの食品売り場で働いていた時に、周りがみんな某新興宗教の信者だった。
お昼休みや休憩時間にその新興宗教の話をしてくるのにはまいった。
職場の同僚はそれが嫌で会社を辞めた。
ある時旅行に行ったら有名なお寺を見学しないと言う。
バスの中で待っていると言う。
ツアーだった。
一人だけお参りしなければいいのよ。
と、行って付き合ってくっれた。
残りの数名はバスの中にいたのは言うまでもない。
私はお寺を見学し、お参りし、バスに戻ってきた。
その後、門前の蕎麦屋にはみんなで入って蕎麦を食べた。
そういえば小学生の時に同級生に神社のお祭りを誘ったら断られたことがあった。
彼女は適当な理由を付けたと思うが、今にして思えば新興宗教の信者だったかもしれない?
高校の修学旅行に行ったら、同級生の数名が大浦天主堂で文句を言った。
「大したことはないわね。つまらないね」
その数名は熱心な新興宗教の信者の家庭だった。
高校生の時には学校の名簿に親の職業欄を書くところがあり「宗教教師?」みたいな職業の他人もいた。
おそらく自宅が新興宗教の教会だと思われた。
社会人になって2度目の会社ではアルバイトに来ていた人が、実家が新興宗教を生業にしているというだけで、どこの会社も就職先を断られて、アルバイトをしていた私の会社に就職した。
親の職業が新興宗教というだけで就職できないのは差別である。
我が家が新興宗教をやっていたからと言って子供ができる保証もないのだ。
主人も私も病気にならずに元気に過ごせる保証もないのだ。
近所の友達は新興宗教の教会をしている。
彼女は私には勧めてはこない。
そもそも新興宗教で子供ができるとは思わないし、病気にならないとも思わない。
単に心のよりどころに過ぎないのだ。
私はお寺も神社も行く。
教会も見学できるならするのだ。
もしも結婚した相手が何らかの新興宗教をやっていたら、結婚はしなかったと思う。
拝んで子供ができるなら不妊治療には通わなかったと思う。
主人も私も病気にはならなかったと思う。
宗教というのは単に心のよりどころでしかないのだ。
他人に勧めて自分が幸せになれるとは思えないのだ。
お正月には氏神様にもお参りに行く。
厄年には厄払いにも行くのだ。
地元のお祭りに主人の亡くなった父は八雲神社のにわか神主をしていた。