ちいちゃんのひとりごと

ちいちゃんのひとりごとを勝手気ままに書いています。

今年も踏んだり蹴ったりの幕開けです

2025年01月10日 | 介護
今年も踏んだり蹴つたりの幕開けです。
3日は浅草の木馬亭に浪曲定席を観に行き、帰りに丸亀製麺に入り、うどんを食べて出てきたらスマホとPASMOを入れていたショルダーを紛失しました。
ショルダーは交番に届いてました。
スマホもPASMOも丸亀製麺のおつりの150円もポケットテッシュも無事でした。
その後、口唇ヘルペスが出来てからの横断歩道での自転車ごとの転倒です。
右ひざをすりむき、右の肋骨を強打しました。
自宅には何もしない。出来ない旦那がいます。
旦那は糖尿病と高血圧と頸部脊柱管狭窄症と髄膜種と慢性左硬膜下血腫とてんかん発作と痙攣の病気を経験しています。
私はと言えば心臓肥大と不整脈と脂肪肝と更年期からの精神疾患です。
おまけに明日をも分からない入院したままの認知症の母がいます。
もしかしたら肋骨は骨折しているかも知れませんね。
明日にでもやっていたら整形外科に行こうと思います。
そもそも踏んだり蹴ったりの人生でした。
32歳で結婚するも子宝に恵まれず、不妊治療も4年であきらめる始末です。
その後子供のいない人生を選びましたが、母が70歳で働けなくなり、同居を始めました。
そして90歳を迎える前に母が認知症になりました。
一昨年の12月に手に負えなくなり特養に入れるも、昨年になり、胆のうを悪くして入院し、93歳の高齢者故、あれこれできずに病院を転院する羽目になりました。
病院で出された食事をきちんと食べない。
水分を摂らない。
面会に行ってもすっかり私のことは忘れてしまいました。
自分の妹の話をしたり、名前を言ったり、田舎の話をします。
おそらく老衰に…。
94歳で生きているだけで奇跡ですね。
そもそも旦那は38歳で結婚するまでは実家にいました。
親がなんでもしてくれるのです。
私は1度だけコロナに感染した時も何もしない旦那にご飯の用意はしました。
38度の高熱が出たのにね。
今日のお昼も旦那には適当に食べてもらうも、ご飯茶碗も探せない始末です。
冷蔵庫に有るものを出して食べるように言うも刻みたくあんと佃煮しか出さない始末です。
たしかに自転車ごと転倒したのは私が悪いのです。
夕食も私が用意しましたよ。
二人分の鍋を作り、鮭のかまを焼いて骨を取り除き、器に入れて出しました。
ところが鍋はご飯の上に乗せて食べる始末です。
旦那の出来ることと言えば雨戸の開け閉めと新聞や郵便物を取りに行くことくらいです。
さあ、困りましたね。

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つくづく災難は続くのだ!

2025年01月10日 | 介護
つくづく災難は続くのたと思う。
そもそも想定外に生きている。
14歳で散るはずの命は67歳を迎えた。
つくづく予定よりも長く生きるもんじゃあないなと?
私の母だって想定外に生きている。
自分がまさかの94歳を越えてまで生きているとは思ってもいなかったと!
そもそも実母が若くして亡くなった。
あとから来た後妻に育てられたのだ。
小学2年生から家事と子守りをさせられた。
仕方がない。
後妻は次々に子供を産むのだ。
私はずーっと実母です。
時折出入りする父がいました。
酒とタバコとギャンブルが好きな父でした。
サラリーマンが向かずに職を転々してました。
自営業も上手く行かず、母は度々家を出るのです。
家を出た母のところに時折父がやって来て、しまいにはまた同居します。
それの繰り返しでしたね。
呑んだくれのたばこを吸いギャンブル好きな父でしたが、家族サービスは良くしてくれました。
今回の私の転倒も一つの試練だと受け止めます。
こんなに長生きはするもんじゃあないな?
ましてや結婚までしてしまいました。
守るべき人が出来たのです。
何もしない出来ない旦那は私が守らなければなりません。
今は死ねない。
死んではいけない。きちんと母を見送って主人を看取ってからですね。
人生は長いな?
どこかで私も無理をしているなかな?

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痛い身体を押して家事をする

2025年01月10日 | 介護
まったく旦那は元気な頃から家事と言うものはしてくれない。
私は午前中に横断歩道で信号を待っていたら転倒したので、右側の肋骨が痛い。
湿布薬を貼ったが、もしかして骨折?と、思うくらいに痛い。
昔、自宅の階段を4段ほど踏み外して、転倒して下駄箱に左の肋骨を強打して骨折したことがあった。
整形外科に行ったが、毎回超音波だが何かの電気を当てるだけだった。
そもそも肋骨には何も出来ないのかも?
友達が昔肋骨を骨折した時もしばらくどこかの整形外科に通っていたが、途中からやめてしまったと聞いた。
痛い身体を押して家事をする。
めんどくさいので鍋にした。
買ってきた鶏肉と自宅にあった野菜と油揚げを入れて鍋にした。
野菜を切っていたらうっかり左手の中指に包丁が当たってしまって切れた。
あわててバンドエイドをする。
旦那は何でも聞いてくる。
「飲んでもいいか?」
「食べてもいいか?」
私もいちいち返事がめんどくさい。
そう言えば暦を見た。
九星暦だ。
あらあら?
七赤金星の今日の暦は悪かった。
ついでに旦那の三碧木星も見た。
こちらも最悪の●でした。
やれやれだな。
これからは何事にも気を付けて過ごしたいと思います。皆さんも気を付けてくださいね。

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死ぬかと思った!

2025年01月10日 | 介護
口唇ヘルペスが出来たので不整脈の薬をもらうついでに近所のかかりつけ医に行った。
帰りにその足でお使いに行く。
途中の横断歩道で信号を待っていたら突然の強風にあおられて自転車ごとアスファルトの道路に倒れ込んだ。
右側を強打した。
すぐさま青信号で渡ってきた奥さんが心配したくれた。
礼を言い起き上がり立ち上がる。
右側は肋骨を強打した。
右膝は擦りむいた。
アスファルトに両手を突いた。
そのままスーパーまで行き、買い物を済ませて、隣の薬局で大きなバンドエイドと湿布薬を買う。
自宅に戻り、旦那に転んだことを言うも、パソコンの前の旦那はヘッドフォンで気が付かない。
もう一度言うと「大丈夫だよ」と、言う。
こちらは大丈夫ではないのだ。
私の不注意にしろ、身体の右側を強打しているのだ。
擦りむいた膝にバンドエイドを貼り、強打した右側の肋骨に湿布薬を貼ってもらう。
ところが不器用な旦那はきちんと貼れない。
しまいに「もう一度医者に行ってくる?」だった。
先程行ったのは近所の内科です。
行くなら整形外科だろう?
自ら招いたことと言え、嫁の私のことなど心配はしていない。
私は何も出来ないしない旦那のために私が出来る範囲で家事をする。
旦那のこともするのだ。
そんなこんなで湿布薬を右側の肋骨に貼り、右膝にバンドエイドを貼りトイレに行った。
そこへ救急車のサイレンの音が聞こえた。
私は救急車は呼んでないぞ❗
トイレから出て外を見に行く。
いつもの隣の借家の奥さんだった。
このところ昨年から救急車を呼ぶのは隣の借家の奥さんです。
その後は家には入り旦那にお昼を食べてもらう。
自分でご飯をよそっておかずを出して食べるように言うも、茶碗はどこだ?
ご飯茶碗を探す始末です。
仕方なく私が旦那のご飯茶碗を出し、ご飯をよそって、冷蔵庫のおかずも出しました。
やれやれです。右側を強打しているので右下にしては寝れません。
仕方なく身体の左側を下にして横になりました。
お昼は食べる気も失せました。
とにかくインフルエンザ流行しています。
コロナもまだまだあります。
外出はマスクは必須ですね。
ところがマスクで眼鏡が曇ります。
度々転ぶのは私がそそっかしいのと、ついうっかりと、ボーッとしているからですね。
転倒したことを旦那に詫びました。
普通に歩いていても転びます。
自転車を押していても転びます。
前期高齢者です。
気を付けていも転びます。
皆さんも気を付けてくださいね。
明日は我が身ですからね。


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