ちいちゃんのひとりごと

ちいちゃんのひとりごとを勝手気ままに書いています。

セカンド・オピニオン?

2025年01月11日 | 介護
午前中に整形外科に行きました。
私の肋骨はレントゲン撮って骨折でもなくヒビが入っているでもなく打撲でした。
院外処方で湿布薬をもらってきました。
ところがセカンド・オピニオンに行くべきだと?
CTやMRIも撮るべきだと?
レントゲンに写らないこともあるそうです。
毎回その度にセカンド・オピニオン?
毎回その度にCTやMRI?
お金は誰が出すのですか?
他所の病院までは交通費も?
キリがありませんね。
しばらくは湿布薬で様子を見ますね。
そもそも内科のかかりつけ医は私が結婚してこの市に住んでからかかっています。
いわゆるかかりつけ医です。
先生を信頼しています。
先生が無理な病気は紹介状を書いてもらったりして、他所の病院に行きます。
私が行った整形外科もとなり町に出来てからことあるごとに行っています。
しばらくは湿布薬で様子を見ますね。
それでも良くならなければ他の整形外科に行きますね。

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災難続きの人生でした

2025年01月11日 | 介護
そもそも災難続きの人生でした。
こともの頃から災難とは隣り合わせでしたね。
なぜか両親が変な時に引っ越しをして、幼稚園にも保育園にも通えない。
したがって小学生になっても友達の作り方も遊び方もわからない始末です。
おまけに容姿が悪い。
勉強が出来ない。
そんな私は格好のいじめの対象でした。父の事情で引っ越しをして転校した先でもいじめにあいました。
結局中学校でもいじめの対象でした。
何とか高校に進学するも高校でもいじめの対象でした。
友達もいない私はテレビで見た芸能人に憧れを抱き、高校を卒業したら専門学校に行って手に職だなと!
ところが専門学校に行くことを親に反対されてなくなく就職をしましたが、最初の会社がどうも傾きかけていたので半年で辞めました。
その後は別の会社に就職するも会社でもいじめにあうのです。
陰湿ないじめはあとをたちません。
二十歳の頃に訳あって親の反対を押し切って他所へ行くも話とは違う仕事と、私のミスで自らわずか1か月と1週間で辞めました。
再び以前の会社に就職するも、弟が22歳で結婚したので、私も漠然と会社を辞めました。
私も結婚願方があったのです。
クッキングスクールに1年間通いました。
ところがグルーブで何かをするのが苦手です。
何とか1年間は通いましたが、その後は家にいたら家事をする羽目になり、再び就職先を見つけてきて就職しました。
ここでもいじめにあうのです。
どこまでもどこまでもいじめは付きまとうのです。
何とか結婚して寿退社を望んでいました。
32歳でお見合いをした相手とあっという間に結婚をしました。
ところが幸せは長くは続きません。
子供が欲しかったのに出来なかったのです。
そして母が70歳になり働けなくなり、母を引き取りました。
母は90歳をあと数年手前にして認知症になったのです。
それより数年前に主人も大きな病気をしました。
その病院では100人手術して2人は上手くいかないそうです。
その2人に主人は該当してしまったのです。
そして3年前の突然の脳の病気からの入退院です。
元々何もしないし出来ない主人はますます何もしないし出来ない主人になりました。

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