ちいちゃんのひとりごと

ちいちゃんのひとりごとを勝手気ままに書いています。

あの日の感情が込み上げてきた

2023年04月01日 | 日記
もう、とてつもなくあの日の感情が込み上げてきた。
涙をこらえていた。
過去がよみがえった。
その昔、親に隠れて小遣いで劇場に行った。
仕事が早番の日は残業だと親に嘘をついて行った。
嘘はバレるのだ。
ハンドバックに劇場のチケットの半券がある。
ストーカーのような母親はたびたびこっそり娘のハンドバックを見ていた。
場合によってはうそをついて出かける私の後を途中まで着いてきた。
嘘はバレる。
帰ってきて嘘の話をした。
川越のコンサートに行ったのに、新宿のデパートのバーゲンに行ったと言った。
まんまとバレた。
他のファンのように遠出は出来ない。
泊りの場所にも行かれない。
無理やり親に頼み込んで行った大阪の梅コマは日帰りだった。
何とか説得して行った長島温泉のファンの集いはファンの他人と馴染めなかった。
みんなが10回行けば私は2回が精一杯だった。
親は今で言う推し活にお金をつぎ込むよりも真面目に1日を過ごしてほしかった。
お金は有意義に使い貯金するものだと決めつけていた。
起きる時間をほぼ決められ、寝る時間も決められた。
自分の部屋と言うものが無かった。
学校にも職場にも居場所の無かった私は好きな芸能人に憧れ、居場所を求めていた。
母が70歳になり働けなくなると主人と相談して母と同居した。
そしたら生活は元の木阿弥になったのだ。
夫婦が寝るまで寝ない。
夫婦の会話に口をはさむ。
外出すれば「どこへ行くの?」「何しに行くの?」「何時に帰るの?」は定番だった。
帰ってきたら帰ってきたで根掘り葉掘り聞かれた。
旦那の給料を聞かれ、ボーナスは出たかと聞かれ、買い物に行けば買ってきたものまで聞かれて文句を言われた。
40代の終わりに私は更年期になった。
しかしどうもおかしい?
近所の婦人科に通った。
婦人科では「更年期」だと言われた。
初めはホットフラッシュだった。
やがて意欲低下になり、つわりの経験も無いのに、毎日吐き気をもよおしていた。
近所の婦人科では無理だと思い、別の婦人科2か所に行くも「うちに来る病気じゃあないですよ」と、言われた。
友人に相談して市内の保健センターの相談窓口にも行った。
市内の病院は嫌なので相談した友人に聞いて市街の病院に行くようになった。
母が何度か付き添ってくれたが、先生の前で自分の都合のいいようなことを言うので、私も困って母に付き添いをやめてもらい、土曜日が休みの主人と行くことにした。
病院に行き、先生と話をして薬のおかげもあり、私の病気は徐々に良くなっていった。
そのころたまたまテレビでシャンソン歌手のクミコさんを見た。
歌を聴いているうちに「この人のこの歌だわ!」と…。
パソコンを開き、あれこれ彼女のことを検索した。
スケジュールを見つけてコンサートにも行った。
イベントにも行った。
ライブにも行った。
もちろん病院にも通い薬も服薬していた。
そのうち薬も軽いものになった。
あんなに暗く辛かった私は少しづつ元気になっていった。
母は相変わらずだったが、心に支えが出来て主人もいることが心強かった。
それから数年たまたま浪曲を聴く機会を得た。
その日は行ったらNHKの取材があり、お客さんが少なかった。
改めて1月に行こうと思ったら年末からの神経性胃炎で行かれなかった。
年明け早々近所のかかりつけ医が始まると行き、薬をもらい事なきを得た。
改めて2月の定席の浪曲を聴きに行った。
なぜかわからないが 一人の師匠にピンときて現在に至っています。
ほぼほぼその業界の他人で嫌いな人はいません。
ましてや関西などの東京にほぼ来ない人もYouTubeなどで聴き、皆さんいいなと思っています。
母との同居は私に課せられた運命だとあきらめます。
最後まで看取るのも運命だと…。
私が日に日に元気になったら今度は主人が病気です。
度重なる入退院です。
何度も呼んだ救急車です。
しかし私の信念は「人生前向き」です。
課せられた運命も前向きに立ち向かっていこうと思います。
ここへきてあの日の昔のドキドキがよみがえってきました。
たまたまこの間行った催しで両ひざがガタガタ震え、泣きそうになりました。
これは良くないぞと思っている次第です。
いやあ、クミコさんの時ではそんなことは無かったんですよ。


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