にこにこ堂「ちえまる本舗!」

編み編み大好きなハマのおばはん。闘病の日々ですが、明るい気持ちで頑張っています!!負けないぞ!!

母の祈り

2005-04-11 | 脳幹出血
きゅうちゃんが七沢に転院して少ししてから、逗子のお義母さんを我が家に呼んで一緒に暮らし始めました。
私の一存で来てもらったのですが、あの歳で(当時80歳)長年住み慣れた土地を離れ、見知らぬ所で新たに生活を始めるという事は、お義母さんにとって非常に不安で心細かっただろうなあと思います
ましてや、頼りにしていた息子が倒れてしまったのですから、尚更ですよね。
きゅうちゃんが七沢から退院してくるまでの数ヶ月、私と二人きりでしたが、実の親子のようにまるで違和感がありませんでした。かなり気を遣ってくれていたからこそのことでしょうね。
今考えると、それこそ数えるくらいしか会ったこともなく、いきなり自分の息子と籍を入れたこんな人間の所へよくきてくださったものだと思います。
でも、こんな時にお義母さんをたった一人ぼっちにしておくことができませんでした。あまりに淋し過ぎます。
毎日一緒に朝食を摂って鎌倉の病院へ仕事へ行き、帰宅は夜暗くなってから。
週二回のお休みの日も朝9時ごろ出かけ、七沢のきゅうちゃんに逢って夕方帰ってくると、心配そうに玄関まで出迎えてくれました。
いつもエプロンをつけて一所懸命洗濯、掃除、夕飯の支度をして待っていてくれたのです。
まわりに知り合いもなく、たった独り、どんな気持ちで一日、一日を過ごしていたのでしょうか・・・そういえば、お隣によちよち歩きの可愛い女の子がいて、洗濯物をほしているときにお喋りしたりしてとても可愛がっていました。楽しみといったらせいぜいそんなものだったのでしょうね
でも、身体が不自由になってしまった息子の帰りをじっと待っていたお義母さんは、いつもとても穏やかな顔をしていました。
毎晩きゅうちゃんの話をするたびに言っていたこと。
「命が助かって本当によかった。あんなになってしまって、できることなら変わってあげたいねぇ。元気で戻ってきてくれるといいねぇ。でも、あんたがいてくれて本当によかった・・・、これからもきゅうと私のこと、宜しく頼みます・・・」
そのたびに二人で泣いていました

歯磨きも一苦労・・・

2005-04-10 | 脳幹出血
きゅうちゃんは、リハビリ病院で初めて歯磨きに挑戦しました。
でも、普通に動かせる左手も、思ったとおりに動かせず、歯ブラシの柄がズルッと動いて歯茎に当たってしまったり、感覚がない為、何度も同じ所にブラシを当ててしまい、口をゆすいだ時に真っ赤な泡が出てきてびっくり・・・大出血して大変だったそうです。
口の中が麻痺していることは本当に怖いことですね。
抜歯をするのに麻酔をかけられた時に、帰り際、看護師さんから
「まだ麻酔が効いているので、その間は飲んだり食べたりしないでくださいね」
と注意をされるわけがよくわかります。
病院の洗面所へ行って感激したのは、鏡が斜め下を向いていたことです
そうですよね、殆どの患者さんが車椅子なので、車椅子に坐っていてもちゃんと顔が見えるようにそのようになっているのだなあと、納得しました。さすが、普通の病院と違うところですね

あと、必ず階段のところに太い綱がはってありました。車椅子ごと落ちないようにしてあるのでしょう。
ちょっと不思議に思ったのは、屋上に出られないようにしっかりと鍵がかかっていたのです。
まわりの景色が素晴らしいので、屋上へ出られたらいのにと思いましたが、それは、自殺する人が多いからだそうです。それを聞いたとき、とてもショックで、かわいそうで悲しくなりました。
いろいろな患者さんでいっぱいでした。いつもいつも廊下にいるおじいさん、一日中歩き回っている若い男の子・・・
一見普通に見えるのに、この病院に入院しているのだから、きっといろいろな障害があるのだろうな。などと、毎回きゅうちゃんに逢いに行くたびに健常者としてのありがたさを実感していました。

舌かんじゃった!!

2005-04-09 | 脳幹出血
毎日歩行訓練、言語訓練などのスケジュールをこなして、食事もなんとかスプーンで食べることができるようになり、ほんの少しずつ身体も動くようになってきた頃、思わぬアクシデントが発生したのです。
私がきゅうちゃんの昼食をテーブルに運び、食後のお茶を取りに行って帰ると、なんと!口から真っ赤なよだれがしたたり落ちているではありませんか!
胸にかけたエプロンも真っ赤に染まり、びっくり仰天した私は、すぐに、
「アッ!舌を噛んだな!」と思いました。
どうやらデザートのリンゴをかじった時に、ついでに自分の舌も思いっきり噛んでしまったようです。
びっくりするほど凄(すご)い出血で、私の応急処置ではとても対応し切れません!
運悪く日曜日で、しかも救急設備のない病院だったので、看護師さんの指示で口の中にタオルを入れて圧迫止血しながら、すぐにタクシーで救急病院へ行くしかありませんでした。
道が混んでいたため、病院へ到着するまでの間に、出血はほとんど止まりかけていましたが、なんと傷口が4センチのかぎ裂きに切れていたのです。
こんな状態で食事などしようものなら、また傷口が開いてしまうのでは?と思ったので、無理やり縫ってもらいました。
本人は大丈夫だと言っていましたが、また一つ心配事を抱えて帰るのは嫌だったのです。
しかし、その時、馬鹿な私はとんでもない思い違いをして大恥をかいてしまいました。
何針か縫うのですから当然麻酔を打ちますが、きゅうちゃんは顔も半分麻痺しているので、先生に、
「麻痺しているので麻酔はいいです」と言ったら、先生が、
「えっ!それは別です。やっぱり痛いよ!(爆笑)」
きゅうちゃんも呆(あき)れて笑っておりました。

ますますつらい日々の始まり

2005-04-06 | 脳幹出血
10月7日(木)

きゅうちゃんの転院、逗子のお母さんの引越しの手配、保険やら手続きやら 相変わらずなんだかんだ忙しく、毎日があっという間に過ぎていきます
港南台(JR)→藤沢→相模大野(小田急線)→愛甲石田→七沢行きのバスで、 なんと計二時間だ・・・
週二回の病院のお休みには必ずきゅうちゃんに逢いに行こうと思います。
もっとひんぱんに行ってあげたいけれどこんなに遠いんじゃ、仕方ないね
逗子のお母さんが21日に引っ越してくることになりました。
いよいよって感じです。いってみれば「同居」だけど、それどころではないのでさほど気にはなりません。
問題は一軒家を借りていたので、その荷物の整理やら廃棄、ああ・・・もうおかしくなりそう。
とにかく落ち着いて、ひとつひとつ片付けていくしかないものね。しかし、憂鬱だ・・・
いやいや、がんばらねば

きゅうちゃん、今が一番つらい時です。私が何をいってあげても何も力になれそうにありません
何しろ転院してから一週間は、リハビリもなにもしないそうです。これは、今までのリハビリの習慣というか、癖をすべて白紙に戻すためだそうです。
これはもはや拷問にちかいものがあります。何も出来ないつらさ・・・たまらないでしょうね~。逆にそんなことをしているうちに、どんどん身体が動かなくなってしまうじゃないか大丈夫かよ~って感じです。
それに、きゅうちゃんに
「大丈夫だよ頑張れば云々・・・・」などという言葉はとても言えません。ただひたすら彼の言い分を聞いてあげるのが精一杯です。
来月は、是非外泊できるようにしたいと思っていますが、本人がなんて言うか、まだ怖くて切り出せません・・・

です「靴下なんて片手で履けるわけない!」と怒っていたのに、ちゃんと上手に履いていました。いつ練習したんだろう・・・
そして、嬉しかったのは、
「自分で着替えたり、トイレへ行ったりの身の回りのことが出来るようになりたい」と思っているようなのです。言葉の端々にその気持ちが感じ取られるのです。
きゅうちゃん、一所懸命自分自身と闘っているのだから、この時こそ私が支えてあげなければいけないんだろうな・・・よし

リハビリ病院と診療計画

2005-04-05 | 脳幹出血
【注】このイラストは、私の記憶の中のイメージで作成したものです。本物はもっと大きかったですねぇ~。

この病院は、脳卒中後遺症をはじめとし、脳血管疾患の機能回復訓練を中心とした、社会復帰を図る病院として、昭和41年神奈川県が開設したリハビリテーション専門病院だそうです。
入院区分としては、

 検査教育入院・・・・・・・・・・・・・・・・20床
    
  入院期間 一週間~一ヶ月程度

 早期リハビリテーション(急性期も含む)・・・44床

 一般リハビリテーション/・・・・・・・・・・360床
   
  入院期間 三ヶ月程度

 リハビリテーション教育入院・・・・・・・・・31床
 (脳卒中後遺症のため、一般リハビリテーションを終了したけれども、在宅生活を継続するため  にリハビリテーションの再訓練が必要と認められる方)
   
  入院期間 二ヶ月程度

きゅうちゃんのように、片麻痺の場合は発病後一年以内の方を入院の対象としているそうですが、発病後一年以上を経過していても、リハビリ治療の効果が期待できる方については対象とするそうです。
リハビリの一般過程を終了しても、まだもう少しリハビリを継続して、もっと身体が動けるようになりたい場合は、上記の「リハビリテーション教育入院」を許可してもらえるそうです。
また、逆に、日常生活動作機能が、種々の理由により減退傾向にあり、その防止のため、リハビリ治療が必要と認められる方も可能だそうです。


【きゅうちゃんの、この病院での「入院診療計画書」】によると、

 病名   脳出血・脳幹・高血圧

 症状   運動麻痺・仮性球麻痺・感覚障害・言語障害・

 治療計画 PT:移動動作訓練治療(乗り移り・立位保持・歩行)

              OT:片手動作訓練治療・ADL訓練治療
             
              ST:言語療法訓練治療

 検査内容および日程
             ・一般入院時検査:採血・尿・MRI or CT・心電図・レントゲン等
             
             ・定期検査(毎月一回):採血検査・心電図検査・尿検査等
             
              検査説明は異常と判断されない場合は致しません。
              適宜お問い合わせください
 推定される入院期間
              90日以内の入院期間を目標にするように指導されております。
              (一月上旬)
              治療必要と主治医が判断した場合のみ、入院期間を延長いたしま               す。

今日からリハビリ病院だよ!

2005-04-05 | 脳幹出血
10月1日(金)

朝6時半、予定通り、きゅうちゃんのお友達がパジェロで病院へ迎えに来てくださいました。
倒れてから車に乗るのは初めてです。しかも、車高がかなりあるのでみんなで心配しましたが、ゆっくりと動く方の手足をうまく使って乗り込むことができました。よかった
まだ身体が安定していないので、窓の上についている手すりに必死でしがみついていました。私も右側に坐り、しっかりと腕を掴んであげていたので大丈夫
病院は、厚木から更に40分ほど山奥に入ったところで、目の前に広がった、あまりに素晴らしい風景に私は思わず圧倒されました。
これからしばらくの間、週二回、ここへ来るたび旅行気分を味わいながら、この素敵な風景を眺めることができるのだと思うと、なんだか嬉しくなってしまいます。
その病院は脳血管障害の患者さんばかりで、まず玄関を入っていきなり全く違う世界に遭遇し、唖然としました。
それこそ完璧なる車椅子の世界です。何処を見ても車椅子だらけで、まさに車椅子が当たり前の風景といった感じです。
健常者の私の方が患者のような錯覚を覚え、なんとも異様な気分でした。
きゅうちゃんの病室は三階の三人部屋でした。同室のお二人の患者さんはこれから入院してこられるそうで、一番乗りだった私たちが、幸運にもベッドの選択権を手に入れることができたのです。やった~!!
当然のことながら、一番明るい窓際にしてもらい、とても喜んでいたのでしたがとんでもない!!問題はこれからでした。
担当医師との顔合わせで、しょっぱなから非常に不愉快な思いをさせられたのです。
たぶん先生も、脳幹出血の患者さんを扱ったことがなかったのでしょう。 今までの担当医からの紹介状を読み終えた後、突然呆(あき)れた顔をしたかと思ったら、こう言ったのです。
「普通の患者さんがこの病院に入院する時は車椅子で、退院する時はほとんど杖だけど、 あんたの場合は行きも帰りも車椅子だ。一生このままだね」
その瞬間、自分の顔つきがみるみる変わっていくのがわかりました。
な、な、なんてひどい!
あまりに失礼な言葉に、私はその場で殴ってやろうかと思いました。
とても医師が言うべき言葉とは思えません! 
もちろん私だって、退院する時は杖ではなく、「車椅子だろうな・・・」とは思っています。
しかし、これから一所懸命頑張ろうと張り切っている矢先だっただけに、余計腹が立ったのです。
この日は一日中ムシャクシャして気持ちが治まりませんでした。
でも、私の怒りとはうらはらに、きゅうちゃんは、別段気分を害した風もなく淡々としていました。
病院のまわりは、360度山に囲まれ、今にも牛の鳴き声が聞こえてきそうなくらい長閑(のどか)な所です。
温泉が出るらしく、あちこちにお風呂屋さんがありました。
とても心地よい秋の風が吹き始め、一年の中で最も過ごしやすい季節に、このような環境の良い病院へ来ることができたのはよかったのですが、きゅうちゃんはといえば、常に目が揺れているせいで、景色どころかテレビも見られないまま、三ヶ月にも及ぶ長くつらいリハビリと機能訓練の毎日を過ごしていたのです。
慣れないリハビリ生活の中で、今までのことやこれからのことなどを、いったいどんな風に考えていたのでしょうか?
 それを思うたび、私にきゅうちゃんのことを理解してあげられるのか、果たしてこれから先の心のケアをしてあげられるのだろうかと、とても不安でたまりませんでした。
後で入ってこられた患者さんも、後遺症がひどくて大変な思いをなさっていましたが、やはりきゅうちゃんの症状が一番重かったようです。


「脳血管リハビリセンターにて」(きゅうちゃんの手記より)

ここは完全な車椅子社会で、何でも車椅子が優先で、周りの人は、先生と看護師さんを除いて全員と言ってよいほど車椅子利用者なのです。
全箇所にちゃんと手摺が付いていて、生活がとても楽に過ごせるようになっていました。
その気になれば一日中立たなくても済むので、健康な時よりかえって快適かもしれませんね?
助かるはずのない私が、どうしたことか助かってしまったのだから、言うまでもなく、当然最悪の障害が残ってしまいました。
まず、目は景色が二重に見えて常に上下左右に揺れていますし、耳も左側がほとんど聞こえません。顔は左側の方がだらんと下がってしまっているのが自分でもわかるのです。
口も左側に曲がっていてしかも動かず、物が食べにくいし水分もたれてきてのみにくい。 も一つついでに喋りにくい! まるで幼児語です。
でも、命が助かったのだから良しとしなければいけませんね?
身体も、右半身が麻痺していて右手右足が全く動きません。平衡感覚も木っ端微塵(こっぱみじん)にやられてしまったので、回復しても一人では歩けないと言われました。
まるで足は腰からぶら下がっているような感じです。そしてこんなにも手足が重いものだとは思ってもみませんでした。
泥酔して意識を無くした酔っ払いを担ぐと、よく、「石の様に重たい」というのがわか
るような気がしました。


明日は転院!オナラでGO!!

2005-04-04 | 脳幹出血
【おわび】
去る9月3日に届いた七沢のリハビリ病院から送られてきた「入院許可通知」に書いてあった、一番肝心の「転院日」を書き忘れていました。とほほ・・・

         転院日・・・1999年10月1日!

9月29日(水)

この三ヶ月間、本当にいろいろありました。
でも、なんとか一歩一歩ゆっくりと明るい方向へ向かっています。
最初は、つらくてつらくて
「何故私一人だけが、こんなにつらい思いをしなければならないの?」
と、そればかり考えていました。
夜の中の全ての人が、とても幸福そうに見えて、まるで自分ひとりだけが全く違う世界にいるかのように思えて仕方なかったのです。心の底から神様を恨みました。
でも、今は違います。
ひたすら回復だけを一心に祈りながら、毎日毎日きゅうちゃんの所へ通い続けて本当によかった
人生悪い事ばかりじゃない 恨み続けていた神様に「ごめんなさい」ですね
きっと、「まだまだこれから、あんた達にもう一つの素晴らしい人生と大切な使命ををあたえよう。あんた達なら頑張れる
と言ってくださっているのだと思います。

9月30日(木)

いよいよ明日は七沢のリハビリ病院へ転院です
仕事を終えて、4時半ころ病院へ到着。
明日の朝、まごつかないように荷物を整理してまとめていると、さっそくすぐ横からきゅうちゃんの小言が飛んできました。
「とっとずつ、とっとずつ、あこんでいえば、あわてずにつんだろに・・・(ちょっとずつ、ちょっとずつ、はこんでいれば、あわてずにすんだろうに・・・)」
まったく、ごもっともで
わかっちゃいたけど、洗濯物がたくさんあって重かったから、なかなかそこまで出来なかったんだよぉ~と、心の中で叫びつつ、ひたすら準備を進めました。
ここのところ、今現在よりどんどん気持ちが先行して、「先の事、先の事」ばかり考えてしまっているのです。
ただでさえも頭の回転が悪い私です。
(少しでも段取りを考えながら事を運んでいかなければ)と、無意識に思ってしまうのでしょう。
なので、きゅうちゃんが一所懸命話をしているのに、半分しか聞いてあげていない自分に気が付くたび、そんな自分がとっても嫌になります。きゅうちゃん、ごめんね


明日の朝、6時半にきゅうちゃんのお友達二人が車で迎えにきてくださることになっています。
何しろ厚木の山奥なので、道中おなかがすきます。
ちょっと早起きして、四人分のお弁当を作ろうと、たくさん買い物をして帰りました。
帰り際、きゅうちゃんの目の手当てをしていたら、「ぶう~っ」とオナラが出た
知り合って初めて聞いたオナラの音はとても新鮮で、まるで勝利のファンファーレか「おたけび」に聞こえました

顔面麻痺の移植手術

2005-04-03 | 脳幹出血
9月25日(土)

今日のきゅうちゃんはいつもどおり「物静か」で、ごく普通に私の帰りを待っていてくれました。
今日は、鎌倉東急でカットフルーツ盛り合わせとブルーベリーとチーズのおやつを差し入れ。
昨日持って行った少し大きめのあんばんともうひとつ、何だかとても硬そうなパンは全てきれいになくなっておりました。
食欲あるんだねよかった
おっ、バナナもなくなっとる
もう少しで七沢だから、いまのうちだよ

9月28日(火)

朝の食事を半分に減らしてもらったにもかかわらず、再びリハビリ中に気分が悪くなってもどしたらしい
パジャマの胸のあたりに、もどした後のシミがついていました。
急いであたらしいのに着替えました。きっと精神的に不安定なのと、平衡感覚が影響しているのでしょう。
午後七時過ぎ、主治医から久々のお話がありました。
顔面麻痺のことでした。まだきゅうちゃんも若いし、これからなので整形の先生方がいろいろ話し合って考えてくださっているそうです。
マヒ側がだらんと下がっているので、そこの部分におなかのお肉を移植する方法だそうですが、私はあまり気がすすみません。
そこまでして顔をもどす必要などないような・・・それに、何だか表情がなくなってしまう気がします。きゅうちゃんはきゅうちゃんです。私はこのままでいい。
でも、ここまで一所懸命考えてくださっている先生のご好意をとても有り難く思いました。
本当にありがとうございます。あとは本人の意思に任せようと思います。

今日は逗子のお母さんとおばさん、税理士のM先生、きゅうちゃんのお友達の板前さんたちがお見舞いにきてくださったそうで、枕元に綺麗なお花、カステラや果物、フランスパンでいっぱいまるで芸能人の楽屋みたいだね
お母さんとおばさんは、きゅうちゃんの劇的な回復振りに喜んで、延々二時間も面会していたそうで、さすがのきゅうちゃんもグロッキー気味でした。お疲れさん

みんなお疲れ・・・

2005-04-02 | 脳幹出血
9月24日(金)

今日もすったもんだの一日でした。
今月の給料日が今日だったので、いろいろと用をすませなくてはと、早く起きて仕事前に銀行へ向かいました
逗子のお母さんへの振込み分、家賃、入院費の分を引き出そうとしたところ、なんと暗証番号を忘れてしまったのです。何度かきゅうちゃんに頼まれて使っていたのに・・・。
長~い行列に並んでやっとやっとITMに到達したというのに、最悪・・・でも、仕方ないので窓口で払い戻そうとして伝票に書き込んだら、今度は金額の桁をまちがいた・・・仕方ないので、もう一度差額分を引き出したりして・・・
その後、郵便局へ行ったときも、残高がいくらだったかわからず、半端な金額をおろしてしまった・・・全くえらいこっちゃ
まだまだ、今度は区役所へ行き、きゅうちゃんの印鑑証明、国民年金の手続き。

完璧に疲れ果てている状態できゅうちゃんの病室へ到着。
無理してきゅうちゃんの所へ行くべきではなかったようです。こんな日は最初から最後までついていないものですね~。
ちょうど昼食前のわさわさしている時間帯で、何だか居場所がない感じ。
おまけに理学療法士の人から嫌な事を聞いてしまいました。朝食後、きゅうちゃんはいつものように必死で食事をすませたのですが、食べるのが遅くて充分な休憩もとらないまま動いたため、気分が悪くなってもどしたそうでした。
そんな事があったせいか、きゅうちゃん自身も今日はひどく元気がなく、弱音の連発でした。
かなりショックだったのでしょうね。そして急に生活が変わり、日に二回のリハビリが始まったため、かなり疲れているのではないでしょうか?
私もいったいどのようにして慰めてあげたらいいのかわからず、本当に困り果てました

「差し歯事件」勃発\(◎o◎)/!

2005-04-01 | 脳幹出血
9月23日(木)時々

今日はさんざんな一日になってしまいました
夕方きゅうちゃんの病室へ行くと、きゅうちゃんが開口一番
「まえわのたしまがとれたった・・・」全く何のことかさっぱりわからなかったので、
「え?なんだって?まえわ?」
きゅうちゃんは左手で前歯を指差しました。ああ、前歯の事か。
あれっ歯が一本ないではないか・・・
ああ、そうか、差し歯が取れちゃったって言ったんだ
「じゃ、取れた差し歯は?」と尋ねると、サイドテーブルの上を指差したので見てみましたが、何も乗っていません。
おかしいなあと思ってよく考えたら、さっきくしゃくしゃにまるまったティッシュが乗っていたので、てっきりゴミだと思って捨ててしまったのでした。
あ、その中に入っていたんだ・・・と、急いでゴミ箱をあさりました。
あ~よかったあったあった
と、そこまではよかったのです。そのとき、取れた差し歯を他のものに包んであげていればよかったのですが、気の利かない私は、またそのままティッシュにくるんで置いて帰ったのです。

夜の九時過ぎ、突然病院から電話がかかってきてびっくりしました
「なにかあったんですかっ
すると看護師さんが困ったような声で
「あの~、差し歯がないのですが・・・お持ち帰りになりましたか?」
「ええ~っ病室に置いてきましたけど、ないんですか?」
「ないんですよ~何度も探したのですが、」もうすでに声が泣いている・・・
すぐにピンと来ました。きっと帰ってくるときにまたあのティッシュに包んだまま置いてきたので、同じようにゴミだと思って捨ててしまったのです。あああ~~、私のせいだ・・・
差し歯があれば歯医者さんの治療が楽ですが、ないとなると面倒なことに・・・なんとしても見つけ出さなければ

どうしよう、どうしよう・・・と一晩中考えていました。
そして、明け方近くなって突然思いついたのです
(そうだ、ゴミの回収の時にもう一度ゴミ袋の中を探してみようお掃除のおじさんに頼んでみよう
朝がくるのを待って、急いで病院へ向かいました。
裏口の廊下で待ち構えていて、清掃員のおじさんがゴミ袋がたくさん乗った台車を押してきた時、脳外科病棟の分のゴミ袋を点検したいと申し出ました。
丁寧に理由を言えば見せてくれると思ってすがりつくように頼みましたが、山のように積まれたゴミ袋のどこに脳外科がうもれているのかわからないらしく、おじさんはひとごとだと思って
「止めたほうがいいんじゃないの?」とのたまったのです。
なに~っ!!何処に脳外科の袋を積んだかくらい覚えておいてよぉ~っと叫びたい気分でした・・・あ~あ・・・