落葉の積もる場所

- The way I was -
 

円楽さん ご逝去

2009年10月30日 | WEBLOG
若くしてお亡くなりになった  消しゴム版画家・ナンシー関さんが、





    「あの人、アル中だから 手が震えてるし、 「笑点」観てても 危ういカンジ」 





と、 切り捨てていた 三遊亭円楽さんの 命の灯が、   今日 消えてしまいました。







































               享年 76歳。







































予期していた事ですが、 やっぱり 残念でたまりません。


子どもの頃から、 テレビで ご活躍されていたので、 


まるで、 実の おじいちゃんか、 おとうちゃんを、 失ったような気分です。





































またひとり、  昭和を象徴する 偉大なアーティストが お亡くなりになりました。

































































          合   掌











      
          

遥かなるサンフランシスコ

2009年10月30日 | WEBLOG
    


運輸省・航海訓練所(当時) の 練習船 『大成丸』。










『大成丸』 概要
          総トン数 5886.73トン
          全 長  124.84m
          幅    17.00m
          最大速力 19.22海里
          定 員  214名



















全国に、5校ある商船高専(富山、 三重・鳥羽、 広島、 愛媛・弓削、 山口・大島) から、


航海学科の学生が集まり、 この船に乗船して半年間の実習航海を行う船です。














その中にいた、 E。


鳥羽商船高専で、 1年留年を経験してから練習船に乗り込んできた学生です。


  (私は、さらに留年していましたので、 Eは、私より1歳年下でした)





無口で、伏目がちな、 いわゆる 陰気な男でした。















大成丸に乗船しての、 私たちの外洋航海は、こんな感じのスケジュールでした。




     













外洋へ出ていく前に、 国内の港を巡る準備段階(いわゆるドサ回り)を経て、





いよいよ、  サンフランシスコを 約2週間かけて目指す航海が始まったのです。
















サンフランシスコ入港までの 2週間は、 


どこの港にも入らず、 毎日毎晩同じ顔を見て過ごす、いわば  「閉鎖空間での生活」 です。





ワンパターンの生活による退屈と、 閉鎖空間が生み出すストレスが、


友達のひとりもいなかったEに対するイジメを生み出していました。





もちろん、 殴る蹴る などの暴力行為ではなく、


消しゴムをちょいと隠す、とか  意味もなく顔をジッと見つめる 程度の


子供じみたイジメでした。 





主導していたのは、 山口・大島商船高専のBと、 富山商船高専のT。


ジャイアン系の、ごっつい体つきをした、 典型的ないじめっ子たち。













最初に、 Eの変化に気が付いたのは私でした。





ボ~っとしていることが多くなり、 動作が極めて緩慢になったのです。


飯を食べる速度、 階段を昇る速度 ・・・。


以前にも増しての無表情は、 まるで 「鉄仮面」 そのもの。





そして、時おり見せる、  中空を見つめたままの 虚ろな眼差し。















原因は、 BやTのいじめにあると耳にした私は、(年上だったこともあり)


彼らに軽く注意を与えました。


さらに、 Eがおかしくなりつつある気がする … ことも話しました。


本人たちは、「軽くからかっていた」程度にしか思ってなかったようですが、


卒業を控えた時期に、変な事態になってはヤバいことぐらい、すぐに理解し、 


  「もうEにはかかわらない」 と 約束してくれました。














しかし、



東京を出港してから、 すでに 1週間が過ぎており、


Eの病状の進行は、 残念ながら、止まることはありませんでした。











話し相手になろうとする私に対しても、 頑なに拒絶の姿勢を示します。





否、   私だけに限らず、 誰に対しても・・・。

















私は、 一応、担当教官にも話をしておきました。





教官は、


   「海に飛び込まれたりしては取り返しがつかないから、動向に注意を払ってくれ」


と言っただけでしたが。



















私たち実習生にとっては、 初めて訪れるアメリカ本土。


有名な 『金門橋』、 日系三世による歓迎パーティや、 バス観光など、 


お楽しみが一杯待っている サンフランシスコへの航海。











しかし、それは Eにとって、 ただ単に


無限地獄のような 孤独な航海 に過ぎなかったのかも知れません。





しかも、 サンフランシスコで、数日滞在した後 出港した後は、 


次の寄港地・タヒチまで またもや、数週間の閉鎖生活が彼を待ち構えているのです。







































 -  サンフランシスコ入港日  -










私たちのグループは、 船首(船の前部)での作業にあたっていました。


汗をかきながら、ようやく作業を終え、 部屋に帰ろうとしていた私たちの目に


信じ難いほど 異様なEの姿が、飛び込んで来ました。















船の手すりから、思い切り 身を乗り出して、 じっと海面を見つめたまま微動だにしない E。

















その尋常でない表情に、 さすがのBやTも驚き、


慌てて私たちは、 Eを手すりから引き離すと、 


数人がかりで抱きかかえるようにして、 船医の部屋へ直行したのです。




















問診のあと、 通訳を兼ねた教官と船医が、Eを現地の病院へ連れて行きました。



























サンフランシスコの大きな病院で くだされた病名は、









    「心身症」 でした。
























そのまま、二度と私たちに姿を見せることなく、 Eは飛行機で帰国の途に着いたのです。




























Eにとって 遠すぎた サンフランシスコ。




















もともと、彼が持っている 「病質」 らしい、と 船医は説明していましたが、






BやTは、 深くうなだれて 猛省していました。












そして、  私も、 自身の 力量不足・努力不足 を痛感し、 



その後、  長い間 自己嫌悪に 苛まされることになったのです。