『道』 La Strada (伊)
1954年制作、1957年公開 配給:イタリフィルム モノクロ
監督 フェデリコ・フェリーニ
脚本 フェデリコ・フェリーニ、トゥリオ・ピネリ
撮影 オテロ・マルテリ
音楽 ニーノ・ロータ
主題歌 『ジェルソミーナ』 Gelsomina
主演 ザンパーノ … アンソニー・クイン
ジェルソミーナ … ジュリエッタ・マシーナ
「キ印」(イル・マット) … リチャード・ベースハート
コロンバイオ―二 … アルド・シルヴァーニ
野獣のようで力自慢がとりえの大道芸人ザンパーノは相棒の助手を亡くしたため、貧しくて頭の悪いジェルソミーナの買取りを
彼女の母親に求め、母親も口減らしのためにジェルソミーナは一万リラで売られてしまう。二人はオート三輪で大道芸の旅に
出発した。ある時二人は小さな曲馬団に参加したが、ザンパーノはその一団の「キ印」と呼ばれている綱渡り芸人からさんざん
からかわれて険悪な関係となるがジェルソミーナは「キ印」が弾くヴァイオリンの哀しいメロディに引きつけられ、彼と親しく口を
きくようになる。しかしザンパーノは「キ印」とのトラブルがもとで曲馬団を追われ再び大道芸の旅に出かける。旅の途中、二人は
修道院で一宿一飯の世話になるがザンパーノはジェルソミーナに手伝わせて盗みを働こうとする。盗みは未遂に終わったが
ジェルソミーナはそんなザンパーノと別れてこのまま修道院に残りたい気持であったが結局はザンパーノと共に歩む道を選ぶ。
そんな旅の途中二人は「キ印」と出会ってしまった。当然のごとく争いが始まり怒ったザンパノーはジェルソミーナの見ている
前で「キ印」を殴殺してしまった。「キ印」を放置したまま二人はオート三輪で旅に出るがジェルソミーナは事件のショックで立ち
直れなくなってしまい、もてあましたザンパノーは雪の山道にジェルソミーナを棄てて去ってしまった。
それから数年、この町に戻ったザンパーノはジェルソミーナがいつも口ずさんでいたメロディーを耳にした。唄っていた少女に
聞くと四、五年前この町で病死した女が、いつもこのメロディを唄っていたという。ザンパーノは夜の海浜でひとり泣き崩れた。
この作品はフェリーニと脚本家のトゥリオ・ピネリが書き下ろしたオリジナルで、人間の神性と獣性を描きながら純粋無垢な魂を
讃えたフェリーニの初期の傑作です。後の『甘い生活』や『8 1/2』にみられるような難解性もなくどちらかというとわかりやすい
ストーリーを軸にしてリアリズムで残酷さと優しさを克明に対比してみせ、人々の感性に激しい揺さぶりをかけています。また、
フェリーニ作品の神髄でもある「魂の救済を求めながらも挫折する人間の弱さ」を痛烈に表現しながらも、ラストシーンでは明日
への希望を捨てさせないロマンティシズムで締めくくっています。
監督のフェリーニは現実直視型のネオ・リアリズムのロベルト・ロセリーニ監督の脚本を担当したことで多大の影響を受けました。
この作品を監督するに至ってもネオ・リアリズム的描写の真実味を軸として、さらに現代社会の虚しさの中に人間の内面を厳しく
追求しました。その上で現実直視型のネオ・リアリズムを踏襲しながら、荒廃した冷たい現実から未来に希望を託すという独自の
ロマンチシズムの要素を加えた映像世界を築き上げたことでした。
その手法はネオ・ロマンティシズムとも称され、フェリーニはこの『道』によってイタリア映画界の新しい道を切り開きました。
この映画の主題歌の哀愁をおびた『ジェルソミーナ』はフェリーニの盟友でもあるニーノ・ロータの作曲によるもので、映画では、
山村の修道院でジェルソミーナがトランペットを奏でるシーンが印象的でした。またロータは他にもマーチ調の『ラ・ストラーダ』も
作曲しており、この二曲を組み合わせたものがサントラ盤としてレコード化されています。
しかし、日本では、サントラ盤よりもスリー・サンズのRCAレコードが大ヒットしました。
↓はスリー・サンズの『ジェルソミーナ』 【YOUTUBEより】
↓はニーノ・ロータ楽団による『ジェルソミーナ』 【YOUTUBEより】