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『ふたりの女』 旅の友・シネマ編 (27) 

2018-12-30 18:49:38 | 旅の友・シネマ編



『ふたりの女』 La Ciociara (伊)
1960年制作、1961年公開 配給:MGM モノクロ
監督 ヴィットリオ・デ・シーカ
脚本 チェザーレ・ザヴァッティーニ
撮影 ガボール・ポガニー
音楽 アルマンド・トロヴァヨーリ
原作 アルベルト・モラヴィア
主演 チェジ―ラ … ソフィア・ローレン
    ロゼッタ … エレオノーラ・ブラウン
    ジョヴァンニ … ラフ・ヴァローネ
    ミケーレ … ジャン・ポール・ベルモンド
    若者 … レナート・サルヴァトーリ



第二次大戦末期1943年のイタリア。連日のローマ空襲から逃れるため、夫に先立たれたチェジーラは15才の娘ロゼッタを連れ、
生まれ故郷の村へ帰ることを決意し、母娘はやっとの思いで故郷の村に着いた。母娘はそこで内気な青年ミケーレと出会う。
ミケーレは何かとこの母娘に気を配ってくれた。やがてミケーレはチェジーラに恋するようになるがロゼッタが彼に想いを寄せ
母娘の間に不穏な空気が流れる。そんな時、ムッソリーニが身柄を拘束され、独軍占領下であったこの村に連合軍兵が潜入、
やがてドイツ兵の撤退が始まり、ミケーレは道案内役としてドイツ軍に同行させられる。間もなく米軍が進軍してきてドイツ兵も
撤退し戦争は終りに近づいた。チェジーラは娘と二人で廃墟の中をローマに向かう。しかしその道中で連合軍としてイタリアを
解放しに来たはずのモロッコ兵部隊に襲われ親娘は集団レイプされてしまった。その夜、通りかかったトラックに乗せてもらって
運転手の若者の家に宿泊、その時にミケーレが死んだと知らされた。感情をなくしてしまった娘もミケーレの死を聞くと母の胸に
すがって泣き出し、母娘はいつまでも抱き合っていた。



アルベルト・モラヴィアの原作をイタリアン・リアリズムの先駆者ヴィットリオ・デ・シーカが映画化した戦時下の文芸ドラマで
一人の青年をめぐって三角関係を繰り広げる母と娘の絆を軸にやがて訪れるショッキングな悲劇を直視した作品です。
デ・シーカは敗戦国イタリアの一般庶民の痛みと哀しみを、現地ロケなどにより彼の初期を思い起こさせるリアリズムで
描き、自身にとって初めて「戦争」というテーマに真正面から挑み、戦争の最大の被害者は常に一般市民であることを
強く訴えると同時に第二次世界大戦へ至ったイタリアの国家責任に対しても痛烈な批判の目を向けています。



映画の終盤では、グミエと呼ばれるモロッコ兵部隊によって、罪のない母親と娘が集団レイプされるというショッキングな
シーンが強烈なインパクトを残していて、勝利者(連合軍)によってもたらせられた敗戦国への悲惨な現実を暴いて見せました。
この作品はフィクションなのですが、フランス軍の支援部隊として連合軍のイタリア上陸作戦に加わったグミエが卑劣な
戦争犯罪を繰り返していたのは事実で、ベトナム戦争でもみられたように、兵士によって数えきれない殺人・強盗・レイプ
事件が起きており、この映画でも戦争下では日常茶飯事のように弱者に起きたこれらの問題を激しく非難しています。



デ・シーカ作品は、現実直視の中にも厳しすぎる現実ながらもそれを究極の悲劇とせず、少なくとも未来は明るくあってほしい
という願望がうかがえます。今回の『ふたりの女』は1956年の前作『屋根』で見られたあまりにも甘すぎたロマンチシズムから
かなり現実直視型に戻りはしましたが、この作品でソフィア・ローレンとの出会いにより残念ながら商業主義(スター主義)の
艶笑作家に成り下がってしまいました。



ロベルト・ロセリーニ、ヴットリオ・デ・シーカで始まったイタリアンリアリズムは1953年ころから初期の意気込みが軟化しましたが
その精神は新たな旗手のフェデリコ・フェリーニやミケランジェロ・アントニオーニに受け継がれてさらに開花していきました。
また、イタリアン・リアリズムと商業主義との折り合いを図ったピエトロ・ジェルミの登場、そしてリアリズムとロマンチシズムの
見事に融合させたヴァレリオ・ズルリーニなどによってイタリアの新たな時代が始まることになります。


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