いのちの意味は〈教育本部が開く未来〉 第1回 防災――信頼を基盤として
聖教新聞 2015/ 3/ 8
生命ほど尊いものはない。「無上宝珠」――牧口初代会長の大著『創価教育学体系』では、子どもたちの生命が、この最大の尊称で呼ばれている。その生命をいかに守り、育むか。その尊さを伝えていくか。今月31日に「教育本部の日」を迎える同本部の友の取り組みと、識者の視点を紹介する新連載「いのちの意味は」。第1回は「防災」に焦点を当てる。
「あの時、先生たちがいてくれたから……」
〝3・11〟が近づくと、保護者から保育園への連絡帳には、そんな書き込みが増えてくる。
主任保育士の増森めぐみさん(女子部副本部長)は目頭を押さえ、首を小さく横に振る。〝あの時は、ただ無我夢中で……〟
ここは、東日本大震災の時、宮城県仙台市で唯一、津波の被害に遭った保育園である。
◆◇◆
「すぐ子どもたちを2階に避難させて!」
2011年3月11日。激しい揺れがいったん収まった直後から、〝命を守る戦い〟が始まった。
けたたましいサイレン音と警報。まもなく津波が到達するという。園舎の1階では、0歳児から2歳児が昼寝していた。
保育士総出で園児を2階に移動させた後、備蓄していた食糧や着替え、避難靴などを運び出す。と、そこでどす黒い濁流が、保育園に押し寄せた。フェンスを次々となぎ倒していく。
第2波、第3波が来るかもしれない。園児を屋上に避難させるべきか。外は雪が降るほどの寒さである。大人はいい。だが0歳児など乳児は耐えられるのか。難しい判断を迫られた。
増森さんは津波の状況を監視し続けた。
津波の流れが変わった。周辺の泥水も少しずつ引いている。「これなら!」。そのまま2階の部屋で待機する決断をくだした。
外も園の中も真っ暗闇。今にも泣き出しそうな子どもたち。増森さんら保育士は自らを奮い立たせた。
「絵本、読もっか」
懐中電灯を頼りに、楽しい物語を読み聞かせる。いつもの声で、いつもの笑顔で。歌も歌った。次第に子どもたちにも笑顔が戻る。
1人、2人と保護者が迎えに来始めた。ある保護者が、同じ園のママ友のことを教えてくれた。「彼女がスーパーの駐車場にいるのを見たの。私は『津波が来るから屋上に逃げて!』って叫んだんだけど……」
「子どもを迎えに行かなきゃ!」と制止を振り切って行ってしまったという。その後――「彼女の自動車が流されていくのが見えて……」とだけ言って、声を詰まらせてしまった。
ほかにも、保護者の生存が確認できないという報告が届く。心で必死に題目を唱えた。〝生きてて!〟
すると――車と一緒に流されたはずのお母さんが、暗闇の中を走って来たのである。「良かったあ!」。涙を流して抱き合った。
全員の園児を無事に引き渡せたのは、震災翌日の午後5時20分であった。
◆◇◆
幾人かの保護者が口にした言葉がある。「先生たちを、信じていました」
ある母親は、長男が通う小学校に駆けつけて無事を確認した後、次男の待つ保育園に急ごうとした。が、津波が来る恐れもあり、とても長男を連れて行ける状況ではない。電話もつながらない。焦る気持ちをこらえ、自分にこう言い聞かせたという。「きっと、保育園の先生たちが守ってくれているはずだ」
震災後、保育園のこの時の様子が、全国保育士会の機関誌などで紹介された。増森さん自身、全国保育士研修会の席上、約500人を前に「大規模災害に備えた保育士の対応と方策」について精いっぱい語った。
独自に作成した防災マニュアル、備蓄品の増量や内容の見直し、設備の耐震強化、園児を保護者以外の親戚や知人に引き渡さなければならない時の判断の在り方等々――。
別の地域では、幼い命が犠牲になった保育園や小学校があったことを思うと、今でも涙があふれてくる。「もし自分がその場にいたら、子どもたちを守れただろうか」。想像するだけで体の震えが止まらない。
災害の理不尽さ、そして命を守ることの難しさを痛感しつつも、強く訴えていることがある。「自助・共助を支える基盤は、『信頼関係』だと思う」
自助――自分の命を自分で守る、と口にするのは簡単だ。だが災害時の教育現場において、保護者と教育者との間に、また職場の仲間との間に、信頼関係がなかったとしたら……。
連携がうまくいかず、かえって自らを危険な状態にさらし、守るべき命を守ることさえ、できなくなるのではないだろうか。
では、どうすれば?
「職務を全うすることは当然です。その上で日頃から互いの悩みに寄り添い、励まし合うことで信頼は深まるはず」
それは、学会の同志の絆が教えてくれたことかもしれない。保育士としての自分に限界を感じた時、女子部の先輩や家族が何度も足を運び、「1ミリでも前に進めれば大勝利だよ」と安心させてくれた。
仕事が多忙を極め、学会活動が思うようにできない時も、「めぐちゃんが今、保育園で頑張っていることで、助かっている人たちがたくさんいるんだよ」と、笑顔で受け止めてくれた。
「励ましとは、安心と希望と勇気を与えること」。この池田名誉会長の言葉を実感し、実践するための、今日までの歩みだったとさえ思う。ゆえにその励ましの心を仲間に、保護者に、そして園児にも届けようと努めてきたのである。
先月、東北で大小の地震が相次いだ。その時、気付いたことがある。
園児たちがパッと静かになり、避難の態勢を取るようになっていたのだ。「先生の言うこと、ちゃんと聞こうよ!」と、友達に促す園児もいる。その成長が、たまらなくうれしい。
――先日も、保護者と話す機会があった。3月11日を目前に控え、話題は自然と災害時の対応に及ぶ。
増森さんはキッパリと、しかし笑顔で言った。
「もしもまた何かあった時は、まずご自身の安全を守ってください。それまでお子さんたちは、大切にお預かりしますから!」
取材を終えて
「命には優先順位がある」と言えば、きっと反発を受けるだろう。それを承知の上で思う。「親にとって子の命は全てに勝る」。子にとっても、親は世界でたった一つの掛け替えのない存在だ。
「いのちと申す物は一切の財の中に第一の財なり」(御書1596ページ)
それぞれが〝第一の宝〟として大切にし合う家族の命。災害は時に「そのどちらかを選べ」と言わんばかりの残酷な選択を迫る。その矛盾に抗う戦いが「日々の祈りだと思うんです」と増森さん。親と子、全ての笑顔を守りたい。だから、もっと知恵を、力を――と。教育本部の使命と挑戦が、ここにある。(宮)
識者の視点
群馬大学大学院理工学府 片田敏孝教授
東日本大震災後、日本社会に、特に教育現場の先生方に、その困難や課題に負けじとする思いが芽生え、広がり始めていると感じています。
創価学会の教育本部の皆さまが、「子どもたちを守りたい!」との強い思いで保護者や地域に働きかけ、信頼を結んでおられるご様子を伺いました。
そんな先生方に、私は、敬意を表したい。
今、自分にできることを精いっぱい行い、社会に訴えておられる。それは、必ずや人の心を動かし、地域をも変えていかれることでしょう。
しかし、防災の専門家の立場から、「それで十分なのか」と問われれば、難しい。現実問題として、東日本大震災のような、どうにもならない災害もあり得るのです。その前提に立ち、それでも今、考えられる精いっぱいの取り組みを重ねていく。それしかない。
私は2004年から岩手県釜石市の防災・危機管理アドバイザーとして、市内の小・中学校で防災教育に取り組んできました。
震災時、市内のほとんどの児童・生徒が、自らの判断で避難行動を取り、津波から逃れることができました。それは、日頃からの先生たちの真剣な思いがあったからです。
人間は、言葉だけでは動かない。防災教育を、具体的に「備える」「逃げる」行為に結び付けるには、教える側の思いに「共感」を覚えてもらわなければなりません。
ある小学校で私が防災教育に取り組んだ事例を、一つ、挙げましょう。
私は児童たちに問いました。「家の外で大地震に遭った時、津波が来る前に、すぐ逃げますか」
彼らは「逃げる!」と、元気に答えます。
私は、さらに尋ねました。「じゃあ、みんなが逃げた後、君たちのお父さん・お母さんが、どうするだろう?」
その途端、児童たちの表情が暗くなります。そして言うのです。
「僕たちのことを迎えに来ちゃう……」
――「来る」ではなくて「来ちゃう」と。
私は続けます。
「お父さん・お母さんは自分の命よりも君たちの命の方が大事なんだ。だから君たちが、ちゃんと『逃げる子』になることが大切だよ。それを、ご両親が信じてくれていれば、迎えには来ない」
そこまで言って、私は〝宿題〟を出しました。
「君たちが『逃げられる子』だということを、ご両親に分かってもらわなければいけないね」と。
彼らは自宅に帰ってから、ご家族との語らいの場を持ちます。そして、実感するのです。
お父さん・お母さんが自分のことをどう思っているのか。どれほど大切に思ってくれているか。その親子の絆に触れて、涙する子もいました。
そこで子どもたちは気付きます。「自分の命を自分で守ることが、お父さん・お母さんの命を守ることにもつながる」ことを。
津波で犠牲になられた方々の状況を検証すると、親が、子どもを懸命に探した末に亡くなられたケースが少なくありません。
目の前には、高台へと続く階段もあった。でも上らなかった。いや、津波が来ると分かっていたからこそ上れなかった。
その近くに、大切なわが子がいるかもしれないと思ったから――。
私は思います。災害時において、「人間は〝人間ゆえに〟逃げられないんだ」と。家族の絆があるからこそ、お互いを思いやる生きものだからこそ、逃げられない。私にも娘がいますので、その気持ちは痛いほど分かります。
しかし、東日本大震災では、それによって被害が大きくなってしまった事実もあるのです。そのことを、私たちは直視しなければなりません。
平時における避難訓練等は、もちろん大切です。しかし防災教育とは、避難の「HOW TO」だけを教える〝逃げろ逃げろ教育〟ではありません。
災害と向き合うことを通して、家族を思い、自分の「命の意味」を考え、「自分の命を守ることの意味」を突き詰める教育です。いわば「生き方を問う」教育なのです。
子どもたちの生き方が変わり、家庭が変わり、地域社会が変わっていく――防災教育には、そんな大きな可能性があると私は信じています。
かただ・としたか 1960年、岐阜県生まれ。群馬大学広域首都圏防災研究センター長。工学博士。専門は災害社会工学。2004年から釜石市の防災・危機管理アドバイザーを務めるのをはじめ、地域での防災活動を全国で展開している。著書に『人が死なない防災』『命を守る教育 3・11釜石からの教訓』などがある。
ずっと自分のブログで紹介したいと思っていた聖教新聞の記事・コラム・特集。
身の回りを整理していたら、やっと今頃になって発見!
過去の記事が多いので、もし問題があるようでしたらご連絡ください。