仕事の件は上司に訴えたらしく、じいちゃんの件は休職中(?)のオレが前面に立って対応したためか、やっと落ち着いた…みたいだよ。(^_^;)
夕飯時にカミさんの愚痴を聞かなくて済み、オレの精神状態も落ち着く。
とりあえずオレの職場での状態は試用期間という扱いだから、仕事に戻ったとしても…という不安があるんだねぇ。

カミさんのソバに癒され…

娘のパンに癒され… (^^ゞ
〈健康〉 第8回「忘れられない看護エピソード」
2018年5月13日 聖教新聞
厚生労働省、日本看護協会が主催する第8回「忘れられない看護エピソード」の表彰式が今月6日、東京都渋谷区の日本看護協会JNAホールで開催されました。
「忘れられない看護エピソード」は、「看護の日・看護週間」に当たり、看護の現場で体験した心温まるエピソードを募集。今回は、全国から3439作品が集まり、厳正な審査を経て入賞20作品が決定しました。
表彰式には、特別審査員で脚本家の内館牧子さん、「看護の日」PR大使で女優の中越典子さんらが出席。入選作の発表や、入賞作をもとに制作されたショートムービーの上映、トークショーなどが行われました。
ここでは、看護職部門、一般部門で最優秀賞・内館牧子賞を受賞した4作品を紹介します。
大阪府 松本幸子さん(39)
さながら次世代へとつなぐ命のバトン……。
「〇〇ベイビーのへその緒がなくなりました」。朝一番の申し送りでこの言葉を耳にしたのは助産師2年目のときでした。それまでにも何度か同じことがありました。しかし、ゴミ箱やオムツ入れの中を探せば必ず見つかりました。「きっと今回も出てくる」。根拠のない自信を抱きつつ、私たちはいつも通り業務をこなし始めました。「もう一度、病棟内を探し尽くしたけど見つからない」。夜勤者が看護師長に報告しているのを耳にしたとき、「大変なことになった」という思いと同時に、「手を尽くした結果だから仕方がない」と言い訳にも似た思いが複雑に交差しました。病棟全体が「仕方がないムード」に包まれていた午後、帰宅したはずの夜勤者の1人が疲れ切った表情で現れました。
「師長さん、やっぱり見つかりませんでした。すみません」。私は一瞬、状況が飲み込めずにいました。へその緒を諦めきれず、回収業者に連絡をし、ゴミ集積所に1人で出向いて探していたのです。看護師経験30年ぐらいのベテランさんでした。驚きを隠せない私の心を見透かしたように、すかさず師長は言いました。「例えそれが『鼻くそ』であったとしても、患者さんから預かった物は宝物のように大切に扱う。それが私たちの責任。母児、2つの命を扱う助産師の責任はもっと重たいで」と……。
その言葉が意味する、目に見えない重圧に一瞬、言葉を失いました。「助産師を生きる覚悟」を決めた、まさにその瞬間でした。
ことし、助産師18年目を迎えます。「患者さんの鼻くそ」は、事有るごとに私をあるべき方向へと導いてくれました。そして今、その覚悟を次世代へとつないでいきたいと願っています。さながら命のバトンのように……。
沖縄県 津波あけみさん(53)
K氏は、がんの末期で、骨まで転移し毎日のように痛みを訴え「痛い、痛い、もう死ぬよー。もう死ぬよー」と大きな声で、薬を要求していました。私は、仕事のたびに彼の元に足を運び、何かできることがないかを考えながら毎日を送るようになりました。
そんなある日、K氏が「もう、死ぬよ」と静かな声で話しました。私は、いつもと違うK氏に近寄り腰を落とし「もう死ぬの?」と問い掛けると、彼は「うん」と答えて遠くをまた見つめるのです。私は、なぜか「Kさんが死ぬとき、そばにいてもいい?」と許しを得るような気持ちで話すと、「いいよ」と優しい声で答えてくれました。K氏との空間が満ち足りた空気に変化しました。人はいつか死にますが、看取ることは怖いものではない、とそのとき知りました。
10日ほどたった、私が深夜勤務のときです。病棟の出入り口の鍵を開けると、自分の体に、初めて感じる清らかで張りつめた空気。「K氏は今日逝く」と確信しました。呼吸が速くなり苦しそうなK氏でしたが、年配の男性看護師の「Kさん、まだまだ死ねないよー。深呼吸してみてください」との呼び掛けに励まされ呼吸をしているようでした。声は出せなくても、死にゆく人は生きるために必死で声に応えようと、できることをしているのです。
いつもなら不眠や幻聴で苦しみ、イライラしてナースステーションに誰かしら患者さんがいるものですが、その夜はK氏が亡くなるまで苦しみを訴える患者さんはいませんでした。
私は、彼が希望していたたくさんの小銭を胸ポケットにいっぱい詰め、手には財布を持たせ、自分の両手をK氏の胸にあて「そばにいるよ。そばにいるよ。ありがとうねー。ありがとうね」と話し掛けました。1分間に5回呼吸をして、K氏は逝ってしまいました。私は、この看取りを通して、人の尊重と看護の喜びを知りました。看護の魅力は、実践の中にたくさんあるのです。
埼玉県 小松崎有美さん(33)
真っ青な私とは対照的に看護師さんは太陽のようだった。その日から出産まで二人三脚が始まった。まず体重を増やすために毎食チョモランマのような白米が出された。しかし半分は机の引き出しに隠す。それでも看護師さんが来たとき、その黒い目はいっそう黒く光った。おなかに聴診器を当て、「ママ、おかわりって言ってるよ」。そう言うのだ。さらに「私はね、看護師だけど頑固師なのよ。絶対死んでほしくないの」と続ける。それを聞いて引き出しを開けずにはいられなかった。
それからというもの、巡回の際には必ず聴診器でおなかの「声」を聴いてくれた。さらに私のことを「ママ」と呼んでくれた。それによって私は一歩ずつ母親になっていった。
しかし、日がたつにつれ、出産への恐怖が強くなった。これまで満足に食事を取らなかったことで赤ん坊に何かあったらどうしよう。ああ、私は母親として失格だ。
予定日が近づくにつれ、気が遠くなる。あるときいてもたってもいられず、ナースコールを押した。不安な思いを打ち明け、泣きながら、「お母さん。お母さん」と言った。このときなぜ「お母さん」と言ったのか。今考えると看護師さんが母親のような温かい存在になっていたからだと思う。
そのとき、看護師さんが出したのは聴診器だった。最後の聴診器は私の胸に当てた。そして私の心の「声」を聴いてくれた。「つらかったね。大丈夫よ。赤ちゃんも大丈夫。ここまできたんだから、わがままにママになりなさい」
これが彼女の信念。そして頑固道。私はこの言葉で覚悟を決めた。
そして母親になった今、うまくいかないときでもずうずうしく前を向ける。そう思えるのもやはり、あの頑固師さんのおかげである。
東京都 東のぶこさん(70)
子宮頸管無力症からくる習慣性流産で二度も失敗したので、慎重に暮らした。安定期に入ったころにまた出血。救急車のサイレンの音が「またダメ~またダメ~♪」に聞こえて、歯を食いしばった。「三度目か……」
もうろうとした私の目に、愛らしいおたふく顔の、看護師が映った。「大丈夫、赤ちゃんの生存、成長が確認できました。赤ちゃんはがんばっていますよ」。出血も止まり、1日数回、本当かなと思いつつ、両膝上げ体操も素直に続けた。おたふくが目を細め「赤ちゃんもママに会いたいって……」。白い歯がのぞく。希望が生まれた。夫も仕事帰りに、顔を見せる。「お前は、もう少しでママに放り出されるところだったのだよ。断固、食らいついてくれよ」とおなかをさする。出産は祈りだった。
時期を同じくして入院した隣の患者が、声を殺して泣いている。きっと流産か、死産だったのだ、と息を詰めていた。
後でその事情を知った。4人目も女の子なので、ご主人がお見舞いに来ないらしい。
「ご主人さま、お忙しいのよ。ほぉら、元気な赤ちゃんよ。ママに似て美人さんだー」とカーテン越しに聞こえる、おたふくの弾むソプラノ。
1970年代は、事前に性別は知らされず、ある意味楽しみだったはずなのに。隣の患者の事情を聞き、産めるかどうかの不安でいっぱいの私は「何とぜいたくな……」とつぶやいた。
ある日、おたふくがお隣さんに「姫が4人ってうらやましいわ、『細雪』みたい。年頃になったら、おうちの中は花御殿ね」。なかなか利口な方だ。
このおたふくになら何でも話せる、頭痛の種も少し遠のいた。
不思議と、かたくななお隣さんも、日々、やわらかい表情になった。
退院の日は、赤ちゃんをいとおしそうに抱くご主人の後ろ姿を追って、満面の笑みで病室を後にしていた。
いったい、おたふくは、どんなおまじないをかけたのかしら?
きっと、「お多福マジック」に違いない。
心がホッとする話題なので、毎年、楽しみにしています。
〈ライフスタイル ガールズトピック〉 体格差には、事前の戦略・スピード・技で勝負!
2018年5月11日 聖教新聞
東京五輪の追加競技で初めて採用された空手。競技は演武の「形」と、対戦する「組手」があり、組手はコントロールされた技のポイント数で競う“伝統派空手”。その最有力候補の一人が、植草歩選手(68キロ超級)。五輪への出場は、今夏の国際大会から約2年間のランキングポイントで決まる。全日本選手権3連覇中の植草選手に、25歳ならではの思いを聞きました。
高校生の時、全国大会で初優勝。空手の特待生として帝京大学に進学すると、世界学生空手道選手権、全日本学生空手道選手権で優勝。しかし、大学時代の集大成として臨んだ全日本選手権の結果は2位。
「初めて『優勝したい!』と強く思って臨んだのに、勝てなかったのがすごい悔しくて。『2位でもスゴイじゃん』と言われても、全くうれしくなかった。挫折感というか恥ずかしい気持ちでした」
引退を考えた。東京五輪の開催は既に決定していたが、空手の採用はまだ未定。これまで女子選手は社会人になると競技から離れる人が多く、心は揺れた。
「でもフィジカルトレーナーから『歩はアスリートとしては、いまだに身体の弱い部分や使いこなせない筋力がある』と言われ、そこが変わればもっと強くなれるのではと、社会人になって心機一転。環境や自分の考え方を変え、いろんなことに取り組み、今があります」
そこから栄養士やトレーナーらと共に、下半身や体幹、蹴りを中心としたフィジカル、メンタルなど、心技体全てにおいて挑戦を開始。技の完成度も高め、自分では“遅咲き”と表現する、2015年からの全日本選手権3連覇という結果に結びついていく。
「自分はカッコいいこと言えないし、好きにしゃべろうと気楽に構えてたら、先輩が『続けるって絶対言ってね』って。『え、続けないですよ』と言うと『植草さんがそれ言っちゃダメ。夢の舞台で活躍したいって言って』って。
それで言われるまま語ったら、翌朝の新聞に『五輪優勝します!』みたいに載ってて。自分の言葉ではなかったし、怖いなーって(笑い)。『どうしましょう』とトレーナーに。自分の気持ちより先に、周りがどんどん進んでいく感じでした」
しかし“言っちゃった”ことで、覚悟を決めた。
「女子の28歳って記録競技だとギリギリかもしれないけど、自分は対人競技だし、まだ変わる余地はあるかなって。トレーナーからも『高校も大学も受験せず空手で入れて、卒業後は履歴書も書かず空手をするために就職できて、空手に助けてもらったのに、恩返しをしないで自分だけ頑張ったと酔いしれて引退するのはどうなのか。恩返しを本気で思えた時に、一人前になれるんじゃないのかな』と言われて……。やっぱり五輪だし、私がとらないと絶対いけないんだって腹をくくりました」
その後の活躍は前述の通りだが、特に重圧のかかる試合が終わった後、“空手やりたくない病”を発症するそうだ。そんな時は、どうするのか――。
「トレーナーは『もうやらなきゃダメだ!と焦るまで(空手を)やるな』と。世界大会優勝後、フィジカルトレーニングはできても、空手はどうしてもしたくない。でも全日本選手権がある。大会が近づくにつれて『目がスピードに慣れないとか、反応が遅くなったらどうしよう』と不安になり、『やりたいです』って言ったんですけど『そんな中途半端だと、またやりたくなくなるから、やるな』と言われました。
結局、選手権前ギリギリまで、有酸素運動やランニングなどをやりましたね。空手界は365日、日々鍛錬みたいな世界ですけど、各トレーナーは選手にできない決断をしてくれます。結果、その全日本も優勝できました」
「空手の時は髪の毛は後ろで縛ってお団子に。オフの時は下ろして、化粧もする。今日もヘアアイロンで巻いてきました。いつもと違う自分になるのがオフ。買い物も好きで、海外では日本で見ないジャージとかつい買っちゃいます(笑い)。
遊びも一生懸命やりたいです。25歳って今しかないじゃないですか。若い時にできることをするために、土日どう過ごすか。土曜は高校生の指導に行くので、その夕方とか日曜が丸一日オフの時は、どこに出掛けようとか。まあ長期のオフで旅行――とか1回もないんですけど(苦笑)」
こんなに明るい植草選手だが、意外にも昔は人前で緊張して話せなかったり、ネガティブ思考だったという。
「変わりました。私、音痴なんですけど(笑い)、帝京大学時代に皆の前で手拍子のアカペラで歌わなくてはいけなくて、度胸がつきました。前は人をうらやましく思うことも多くて“私なんて”というタイプ。だから勝てなかったんだと、今は思います。
言葉は全部自分に返ってくるので、最近はポジティブな言葉を使っています。でも人間だから、国際大会で自分より大きく、手足が長い選手を前にすると、怖いなとか、負けたらどうしようと思う。でもすぐに“私ならできる”と心の中で何回も繰り返します。体格で不利でも、それ以上に自分には技とスピードと、相手選手に対して『この技で攻める』という事前の戦略がある。だから自信を持って臨めます。あとは『優勝したら○○するんだ!』と、楽しいことを考えるようにしてます」
最後に、今後の抱負を聞いた。
「東京五輪では、金メダルを取るのが一番の目標。もっと空手競技をメジャーにしたいです。自分自身、今はプロとして空手ができる環境なので、後輩のために違うステップの道筋も作れるのではないかと思います。育成も含め、次の世代の子たちが空手を続けやすい環境を作るのが夢です」
【レイアウト】齊藤功輝
【新国立競技場前の写真】佐藤絢輝
【試合の写真】空手道マガジンJKFan提供
すごく前向きになれた記事
全国のバス会社を対象に国土交通省が行ったアンケート調査で、80%を超える会社で運転手が不足し、このうち5社に1社が減便や路線の廃止などを検討せざるをえない状況になっていることがわかりました。国土交通省がバス会社を対象にこれほど大規模に調査したのは初めてで、運転手不足が深刻な影響を及ぼしている実態が浮き彫りになりました。
このアンケート調査は、国土交通省がおととし3月、全国のバス会社を対象に行ったもので、350社から回答があり、このほど結果がまとまりました。
それによりますと、「運転手が不足していると感じる」と回答した会社は283社で、81%近くに上りました。
このうち「減便」や「路線の休廃止」などを検討せざるをえないと回答した会社は、およそ5社に1社にあたる59社に上ることがわかりました。
また、各社が望ましいとしている運転手の人数から実際の人数を差し引くと、全国で合わせて3000人を超える運転手が不足していることも明らかになりました。
国土交通省がバス会社を対象に、これほど大規模に調査したのは初めてで、運転手不足が深刻な影響を及ぼしている実態が浮き彫りになりました。
国土交通省は「バス業界は長時間労働や低賃金といった待遇面での課題が大きい。具体的な解決策はすぐに打ち出せる状況にないが、職場環境の整備支援などに取り組みたい」と話しています。
【黒字路線でも廃止や減便】全国の路線バスをめぐっては、これまで郊外の路線などでは赤字に伴って路線の廃止や減便が行われてきましたが、ここ数年、都市部の黒字路線でも深刻な運転手の不足によって維持できない状況が出始めています。
このうち、福岡市に本社があり、国内で最大規模のおよそ1800台のバスを所有する西日本鉄道はことし3月、運転手不足を理由に深夜帯のバスや福岡市中心部を走る循環バスの一部で、廃止や減便を行いました。
このうち、午前0時以降に繁華街の天神などから郊外に向かう11路線ある「深夜バス」は、通常の2倍の料金を稼げるうえ、多い日には1便当たり90人が利用していました。
西鉄ではふだんの運行だけで1日20人の運転手が不足していたうえ、野球の試合やコンサートのたびに臨時バスを出すため、運転手に残業や休日出勤を依頼していましたが、こうした勤務を理由に離職者も出ていました。
西鉄は離職に歯止めがかからなければ、人手不足がさらに深刻化するとして、長時間労働などを是正するため、黒字路線の一部廃止などを決断したということです。
西鉄で運転手不足を理由とした路線の一部廃止などは初めてだということです。
西日本鉄道の清水信彦自動車事業本部長は「長時間労働を理由に離職者が出て、ほかの運転手に負担がかかる悪循環に陥っており、厳しい勤務を強いられている状況を改善しないと、バス事業全体が壊れてしまうと考えた」と話していました。
【女性運転手獲得に取り組む会社も】人手不足の解消につなげようと女性運転手の獲得に積極的に取り組んでいるバス会社があります。
日本バス協会によりますと、女性のバス運転手は全体の1.7%にとどまり、都内で路線バスを運行する日立自動車交通でも120人の運転手のうち、女性は1人しかいませんでした。
この会社では女性の獲得によって運転手不足を解消しようと、おととしから女性が働きやすい環境作りを進めていて、運転手の制服を女性が選んだ明るいデザインに一新したほか、化粧ができる女性専用の休憩室を設けました。
さらに、希望者には子育てや家事との両立がしやすいよう、早朝や深夜の勤務のない路線を担当させるなどした結果、この2年で新たに4人の女性を採用できたということです。
日立自動車交通の採用担当、西窪裕光副部長は「男性の採用は伸び悩んでいて、このまま運転手不足が進めば、減便などに踏み切らざるをえないと考えた」と話しています。
自分もバスの運転手をしている友人に誘われています。
結愛ちゃん虐待死「ひどい親」と批判しても事件は減らない 「評価」に追い詰められる親たち
「もうおねがい ゆるして ゆるしてください」。東京都目黒区の船戸結愛ちゃん(5)が3月に死亡した事件で、警視庁は6日、父親の船戸雄大容疑者(33)を保護責任者遺棄致死の疑いで再逮捕し、母親の優里容疑者(25)も同容疑で逮捕した。ノートにつづられたという少女の反省文、1食しか口にできない日もあり、朝4時ごろ起きて平仮名を書く練習していたなど、笑顔の少女の写真とともに報道される内容はあまりに辛い。テレビ番組ではアナウンサーやコメンテーターが涙を流すシーンも放送され、ネット上では「子どもを産む資格がない」「人間じゃない」と容疑者となった親への怒りが溢れている。
虐待に関する取材を続け、『児童虐待から考える 社会は家族に何を強いてきたか』(朝日新書)などの著書があるルポライターの杉山春さんは「良い親か悪い親かだけをジャッジするような社会では、虐待はより発覚しにくく深刻化する」と指摘する。
報道によると、一家が以前住んでいた香川県で児童相談所が訪問を始めたのは2016年9月。その後、東京都目黒区へ引っ越すまでに、児相による2度の一時保護、父・雄大容疑者は傷害容疑で2度も書類送検されている(いずれも不起訴)。その情報は、所管する品川児相にも共有され、結愛ちゃんが亡くなる1ヶ月前にも家庭訪問が行われていた。それでも命を救うことができなかったことに、杉山さんは「いろいろな意味でとても残念な事件」と話す。
「結愛ちゃんが書いた反省文を読むと、家族から強いコントロールを受けていたと感じます。社会的な力を失った親が、家族の中でも最も弱い者を標的にするという家族病理が現れたように思います。父親は、香川では虐待で通報され、書類送検されています。逮捕当時、無職でした。
そうした状況は、父親にとって、耐えられないほどのマイナス評価だったのではないかと想像します。この家族はそうした評価を下された場所から逃げ出したようにも見えます。東京に転居すると大変なことになると(香川で親子を診察した)医師が警告していたという報道がありました。
病院は、児童相談所に虐待通告もしている。児童相談所とのやりとりだけでなく、地元の様々なつながりや細かな動きがどの程度、品川の児相へ共有されていたのか。この家族は何に苦しみどんな精神状態なのか、何を支援すればいいのかという視点でケアが入っていたようには見えません。結果論ですが、そうした病理性の高い家族への危機感が不足していたように思えます。その結果、地域を超えての移動が、孤立化を非常に深め 、1カ月半という短期間で急激に状況を悪化させた事件にも思えます」
一時保護された子どもの95%が在宅に戻るという現状がある。児相は在宅に戻すと判断したのであれば、地域の力を使って親の子育てを積極的にサポートする必要がある。遠距離間の移動の場合、その地域と家族の関係性をも理解した上での情報が、単純な書類のやり取りで伝えられるのか。遠距離の地域間の連携の難しさと重要性を感じさせる事件だと思われる。
一方、杉山さんが違和感を持つのは結愛ちゃん本人が覚えたての平仮名で書いた“反省文”を警視庁が唐突に公表したことやその報道の仕方だったという。
「なぜ、このタイミングの公表だったんでしょうか。子どものいたいけない言葉は、人の心を掴みます。しかし、それは同時に、親を責める声にすぐに変わっていく。うまく子育てができない親を責める社会の声を私は感じてしまいます。親が横にいて書かせたのか、どんな状況で書かれたものかわらかないけれど、過剰に良い家庭でなければならない、良い子に育てなければいけないと親も追い詰められていたことが見て取れます。今、子育てに苦しむ家族はこうした情報の出方に苦しめられるのではないかとの不安も感じました。この反省文を公表する場合、そこで起きる虐待の仕組みへの理解を促す報道も同時に行われて欲しいと感じます」
杉山さんのこれまでの取材では、「どうしようもない親」「不真面目」という社会的なレッテルに反して、虐待する親は「外から評価されたい」「頑張らなければ社会に受け入れられない」と考えている生真面目で弱みを見せられない孤独な人が多いという。
「2014年に厚木市で白骨化した子どもの遺体が見つかった事件では、シングルファザーとして子育てをしていた父は会社でAランクの評価を受けていました。10年7月に大阪市西区で3歳と1歳の姉弟が亡くなった事件でも、母親は専業主婦時代に母乳で子育てようとしていたし、使い捨ての紙おむつではなく布おむつを使っていました。離婚などで『良い母』ができなくなったとき、追い詰められどんどん社会から隠れていきました。ネグレクトを含む虐待事件では食事が制限されるケースが多く、その背景に、自分の立場を守るために子どもを強くコントロールしたいという感情がある場合があります。雄大容疑者にとっては二度の書類送検で『お前はダメだ』と繰り返し突きつけられた感覚だったのでしょう」
実際に、雄大容疑者が昨年12月まで勤めていた食品会社の関係者は「明るいキャラクターで、辞めると言ったときも引きとめた」と証言しているという。
「ひどい夫婦だと扇情的に騒ぎ立てることで、こういった人間の弱さを自分たちの問題として向き合い、どう解決していくかということから目をそらしている。それだけではなく、いままさに子育てがうまくいっていない親たちは罰せられることを恐れてさらに現状を隠そうとするでしょう。子どもを守るには、親が安心して子育てをする環境が不可欠です。親を優しく受け止めて、必要な時には、安心してSOSが出せるような、社会の目の中で子どもを育てていくことを考えていくべきです」(杉山さん)
この事件を悲しみと怒りで終わらせずにどう向き合うのか。社会全体の子育てへの関わり方が問われている。(AERA dot.編集部・金城珠代)
目には目を歯には歯を!…的に怒りしか出てこない今回の事件。
とはいえ…うーむ…。
どうしたら同じような事態を引き起こさないのだろうかと考えると、難しいよねぇ。
根本的なことから考えないといけないんだろうけど。新年度がスタートして、はや1カ月。社会に躍り出た若者たちが、意欲的に仕事に挑戦する姿がすがすがしい。一方で、社会の厳しい現実に直面し、戸惑いを感じている人もいるだろう▼福岡ソフトバンクホークスの工藤公康監督が、「創価大学ニュース」(97号)の対談で、若き日の体験を語っている。プロの世界に入った当初、先輩たちとの実力の差にがく然とした。だが、「やらされる練習からやる練習へ」気持ちを切り替え、“プロの野球”を体に染み込ませるように、猛練習を重ねていった▼地道に実力を付け、開花させ、通算224勝、11度も日本一を経験する大投手になった。氏は言う。「誰にでも無限の可能性がある」「努力することで一芸に秀でる、天才になり得る」▼「うさぎとかめ」の寓話について、池田先生が若き友に語ったことがある。「『かめ』が勝ったのは、別に相手が『うさぎ』だったからじゃない」。すなわち、「うさぎ」は「かめ」を見て走ったが、「かめ」はゴールのみを見つめて歩み抜いた。だから勝った▼人や環境がどうあれ、一喜一憂しないこと。昨日より今日、今日より明日へと、一歩一歩、粘り強く、自分を磨き続けた人に、人生の栄冠は輝く。新社会人の皆さん、ファイト!(誠)
休みが長くて少し心が折れそうな今、希望が湧くコラムだねぇ。