ことのはのはね~奈良町から

演劇、アート、短歌他、町家での出会いまで、日々を綴ります。

小町座「お、あるひとへ」稽古から①

2017-06-01 | 小町座
今回の公演は第1部、第2部と2本、お芝居を見ていただける、お得?!な舞台ですが…。第2部は、チャレンジ?!企画ともいえる、短い一人芝居が3本続きます。小町座のメンバーが一人ずつ、舞台をしきるのです。私は戯曲賞をいただいたことから演劇に関わったので、本当に書くことは好きというか、日常の一部というか、苦になりません。イメージを持ったら、だーーっと知らないうちに書けている、そんな感じなのです。「仕事」としてラジオドラマなど書く時は、かなり自分から「ひいて」、距離をとって書きます。「商品」として形になっているかどうか、ということです。でも、小町座の演劇は、もう自分の世界全開で…だから演技にも厳しくなります。
さて、今回の一人芝居3本、ようやく本日、全て演技をつけました。一人で舞台を背負うので、本当に大変、しかも、私がとてもうるさく、細かい。小町座のメンバーは私の早い指示についていくのが必死です。今日は、戦争中の母をざっと芝居をつけたのですが、いつも口うるさく言うのは、「必然」ということ。こういう気持ちがあるからこそ、次の動きが出て、その動きの間だから、次はこうなる、といった感じ。例えば、言われたことに「え?」と思う時、それは相手によっても、対象との距離によっても、体が思わず動くか、動かないか、「え?」と言ってから、次にどれだけ「ま」をとるかで、人間関係がわかったりもする…となると、その人の感性からの役作りはあるとしても、そもそも、どういった人物に仕上げるか、そこは演出の醍醐味になります。特に私は自分で本を書くから、おかしな読みをしたら「ちょっとそれは違うでしょう。」とまあ、わがままになってしまうわけで…。でも、それは、こう言った方がわかる、面白いというイメージがあり、それに近づいてくれると、ほぼ、間違いはない…。このことは、小町座のメンバーはよくわかっていて、いつも言ってくれるのは、自分たちだけで読んでいると、ある種の「パターン」読みになってしまうが、演出がはいると、全く違う人物になる、と言ってくれます。(そうでなければ、私の役目もないですしね。)
ただ、演技をつけると、ほとんど私自身も芝居をしている感じになり、この年になると、かなり疲れます…。書くことは一生できても、このやり方では中々、体力が続かないでしょうねえ…。
以前、テレビで見た蜷川幸雄さんの稽古風景も、絶えず、叫んでおられました。そんな御大と比ぶるべくもないけれど、その叫ぶ気持ちはわかります、なんだか、もうそうなるんです。力が抜けない…。演劇が好きなんですね、だからもう真剣になってしまう…。
今日、小町座のメンバーに伝えたことは「あなたの声を知って出しなさい」ということ。「あなたが、あなたの声で舞台に立ってもらわなければ困る」。
それは、変わりがきかないということ。日々の暮らしの中で、変わりのきかない「母親」という役目を果たしながら、演じることから「変わりのきかない」自分をさがす…。四十代の出演者が、母にもおばあさんにも子どもにもなります。その暮らしの「リアリティ」に私は胸をうたれています。