ことのはのはね~奈良町から

演劇、アート、短歌他、町家での出会いまで、日々を綴ります。

帽子のこと

2017-06-19 | その他
帽子が好きです。外に出る時の必須アイテムは帽子と手袋。お洒落を意識して、というよりも、かぶると安心するような、落ち着くような…。立派なものは持っていませんが、普段使いの帽子はわりと持っている方かも。
小さい時から、出かける時には、母が「帽子」と言っていました。といっても、お洒落というより、海に出かける時の麦わら帽。母は「山高帽かぶって。」と言っていました。山高帽は男の人の帽子ですが、その子どもの時かぶっていた麦わら帽子は、山高帽のような形をしていたからでしょう。冬の帽子の思い出は、母の手編みの薄いイエローの頭にフィットする帽子。耳の上に、女の子の顔を毛糸?で作ったものを
つけてくれていました。今でも懐かしく思い出します。なので、夏と冬は出かける時には、いつも帽子がありました。特別に意識もしませんでしたが、そんな延長で、今も必ずかぶってしまうのかも。
もう一つ、帽子が好きな理由は、大好きな女優さんの帽子姿にうっとりして。小学6年の時に、初めて買った映画の本、「グレタ・ガルボ」と「マレーネ・デートリッヒ」。当時、レトロな映画上映が盛んだったようで、NHKの教育テレビでも、白黒のトーキーを特集していて、よく見ました。「嘆きの天使」「モロッコ」「ミモザ館」「うたかたの恋」「肉体の悪魔」「椿姫」などなど…。私の親の世代よりもっと上の世代が見た映画にはまっていました。中でも、美の権化、グレタ・ガルボは特別で、なるほど、こういう完璧な顔もあるんだなあ、と、今でも時々、惚れ惚れと見てしまいます。先の初めて買った映画本には、あのフランスの哲学者、ロラン・バルトが、こう書いていました。「ガルボの顔は観念であり、ヘップバーンの顔は事件である。」さすが…!の形容ですね。確かに、ガルボの顔は記号を愛でるような感覚があります。「顔」って何?という根源的な問いを投げかけてくるような…顔なのです。
そのガルボのコスチュームの素晴らしさは、ハリウッドそのもの。絢爛の1920年代のファッションも楽しく、この年代のデザインのラインが、とても好きで、今、NHKで放送している「ダウントン・アビー」は、本当に目の保養になります。話を戻して…そのガルボの帽子、絵の額縁でないですが、あの顔をさらに引き立てる、輪郭の切り取り方をしてくれるのが、帽子です。ベレーに鍔の広い帽子に、トーク帽…。本当にどんな輪郭で帽子がガルボを隠しても、顔が新たな物語を湛えてくれるんですから。
帽子は基本、外でのかぶり物ですが、小さいものだと部屋でも良いとのこと。ただ、着物…となると外でもどうでしょうね?でも、着物に似合う帽子があってもいいな、と思っています。とまれ、暑くなるので、これからは帽子の出番!
ところで、ガルボそのものは、映画のように凝った衣装からほど遠い、シンプルで男性的な?方だったようです。ガルボという映画の神話は、本人とは関係ないところで、輝く虚構の中で残っていく…。それは本人にとっては、幸せなのか不幸なのか…。ただ、作品として「顔」は残り、その「顔」が歪んだり笑ったりするのを見ながら、「顔」って何だろうと考えています。
以下は、そのガルボ。流石の帽子スタイル、ご堪能下さい。