ことのはのはね~奈良町から

演劇、アート、短歌他、町家での出会いまで、日々を綴ります。

奈良演劇鑑賞会・関西芸術座「遙かなる甲子園」観劇

2017-08-30 | 演劇
平日、水曜日の奈良県文化会館大ホール。8割方、シルバー世代で埋まっている観客席。奈良演劇鑑賞会の例会です。各サークルで多く集って、みんなで演劇をみようという会。運営も自分たちで。もぎりも上演前の注意事項も、お当番の方がします。こうした労演形式の演劇鑑賞枠でこれまで芝居を見たことはありませんでした。主にしっかりとした新劇が多いので、若い頃はあまり興味がなかったのですが、大阪に行かずとも、それなりの芝居をと思うなら、この鑑賞スタイルはありと思います。
さて、今日は関西芸術座。関芸と呼ばれる、関西では古株の新劇団です。奈良町にぎわいの家での一人語りの河東けいさんも、この劇団の創立メンバー。私はかなり昔に、アトリエ?で、公演を見た記憶が…(演目何だった?寿歌?)。
「遙かなる甲子園」は、戸部良也 「遙かなる甲子園」というノンフィクションが原作。劇団の創立四十周年に、20年前に作られたとのこと。演出は鈴木完一郎さん。(これも昔、パルコ西武劇場でみた、あの美輪明宏さんの寺山の舞台「青森県のせむし男」の再演の演出が鈴木氏でした。天井桟敷の若松武さんが良かった…とちょっとマニアに振り返っています。)
原作の面白さもあるのか、非常に脚本が良く書けていました。ろう学校が甲子園を目指す、というシンプルな筋立ての中に、リアルなエピソードがとてもうまく鏤められています。演劇は「啓蒙」の役割がある、なんていうと、なんて古い考えと言われるかもしれませんが、演劇で知識を得ることは、気持ちに寄り添う知識なので、心に残ります。今回、初めて知ることも多かった。昭和39年に沖縄で流行った風疹にかかった妊婦から生まれた難聴の高校生たちが主役なのですが、その風疹は、アメリカで流行った風疹が持ち込まれたものだということ。また、沖縄が本土復帰前の昭和33年に甲子園に招かれて試合をして、「甲子園の土」を持ち帰ったが、当時、本土の土は「外国の土」なのでアメリカの検疫にひっかかり、球児たちにとって何よりも大事な「甲子園の土」が、無残に破棄されたということ…。単に障害を持つ選手が偏見や社会的な無理解を努力と信じる力で、乗り越えて行くというのでなく、その暮らしの背景にある沖縄の歴史が、暮らしの視点からしっかり描かれていました。
また、ろう学校の話なので、手話で進むのは当たり前なのですが、演出の力もあるでしょうが、改めて、なんと手話は演劇的かと思いました。感動したのは、言葉の意味と手話の形の関連性です。ろう学校は県大会にも、一般の高校との練習試合もできない、ということに対して、生徒も先生も「壁に穴を開ける!」ために努力するのですが、この「努力する」という言葉の手話の形が、てのひらに指を突き刺し、まさに「壁に穴をあける」ような形なのです。こうした、言葉と型と心情が重なるということに、「手話」とはなんと優れた美しい表現かと、感動したのです。そして、演劇は、こうした言葉と気持ちと人の形が交わる場所だという、シンプルなことが、今、とても大切なのだとも思いました。
役者さんのスピート感、選手のキャストは野球にも関わらず五人しかいなくても、それで十分よくわかる、動きのうまさ。学校巡演で鍛えられている!?とても力強い芝居、本当に楽しめました。
学校で演劇鑑賞ならこの芝居!と思います。平成の次の時代にも、多くの人に見てもらいたいと思った芝居でした。




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